第三章5 『襲来する猛虎』

「――三日間もどこで油を売っていた! 何の連絡も入れずにただ待たせるとは、いい度胸をしているじゃないか?」


「あはは……想像してたよりも怒られたな。すまなかったよ、リビカ」


 怒声の主はいつの間にやらレオニクスの眼前まで駆けつけており、指をさしてレオニクスを詰めていた。

 どうやら『武器屋?』の店主だったらしく、店先に並んだ多数の商品を放ったらかしにする程には怒っているらしい。


「本当に申し訳ないと思っているんだろうな!? 貴様はいつも飄々として何を考えているやら……って、ん? その小さいのは誰だ?」


 リビカと呼ばれた女性の鋭い三白眼が、少女を真っ直ぐ突き刺した。しかし、左目の下の泣きぼくろが、どことなく可憐さを引き立てているような気がしなくもない。

 『小さいの』とリビカは言うが、実際にはスタイルの良いレオニクスより少し小さい程度で横に並んでいる彼女の方がおかしいはずだ。


「この子はミズカ。そうだな……簡単に紹介するなら、『砂漠で拾った同居人』ってとこだ」


 最低限公開していい情報をまとめた結果なのは少女も瞬時に理解したが、それにしても意味のわからない二つ名だった。

 苛立っていたリビカも流石に呆れてか、そよ風になびいた真紅色の短い内巻き髪を放置してぽかんとしている。


「……流石にそれじゃ……よく分からないんじゃ……」


「そうかい? でも事実だろう?」


 そう言いながら、レオニクスは腰元の二つの短剣をを鞘ごと外し、リビカへ手渡した。


「事実……なのか。……そうか……」


 リビカは額を抑えつつ短剣を受け取ると、何かボソボソと呟きながら店に戻っていった。


「彼女はリビカ。武器屋を営んでいる。乱暴そうに見えるけど、手入れの腕は確かなんだ」


「――『乱暴そう』は余計だ」


 店のある方向から鞘付きの短剣が二本、レオニクスに投げ渡された。先程手渡したものとは鞘のデザインが異なるため、代替品かあるいはその逆なのだろう。


「これは……おい、一体何を切ったんだ。かなり粗暴な使い方をしただろう!」


 リビカはレオニクスから受け取った短剣を鞘から抜くと同時に言い放った。

 一見しても何ら変哲のない刀身だったが、その職であるリビカには見えているのだろう。

 少女を救った僅かな摩耗――獣人の首を斬り落とした跡が。


「ああ、そうそう。ミズカが山で野草を取っていたところを、大型の野生動物に襲われてしまってね。やむを得ず使わせてもらった」


 レオニクスの眼差しが少女に及ぶ。凡そ間違ったことは言っていないが、獣人に襲われた件を伏せるよう口裏を合わせろ、という意味だろう。


「……は、はい……あの時は、本当にありがとうございました」


 そうして頭をぺこりと下げた時、少女の脳裏にふと疑問が浮かんだ。

 残りの買い物を済ませている時も、王都を出た後も、その疑問は少女の頭から離れなかった。


 ――レオニクスはなぜ、自らの同族を殺してまで助けたのだろうか。


 今にして思えば、あまりにも不自然である。この国の法がどのように整備されているかは定かではない。だが、何であろうとあれ程までに躊躇いなく同族を殺せるものなのだろうか。

 しかも、守った対象は彼らにとって……


「――止まって」


 突如、レオニクスの静かな気迫が少女を襲う。

 驚きで見開いた目の先に映ったのは生い茂る木々。どうやら考え事をしているうちに帰宅は終了していたらしい。

 しかし、レオニクスの制止はそれを意味していなかった。


「一言も喋らないで。できれば呼吸もなるべく静かに」


 状況を理解できないまま、ただレオニクスの素早い指示に従う。

 そうして息を押し殺して訪れた静寂の中に、微かな話し声が混じった。


「――直前まで誰かがいた形跡はありますが……やはりただの森暮らしの変人なのでは?」


「あァ? の分際でオレの言うことを否定するたァ、中々肝の据わった野郎じゃねェか?」


 声のする方向を、木の影から覗き込む。

 そこにいたのは、二名の甲冑を着た獣人と、高貴で厳かな身なりをした獣人だった。


「い、いえ! 否定のつもりなど、滅相もありま――」


 片方の兵士が酷く焦った様子で言葉を放った。

 ――そこまでは理解できた。


「………………えっ…………?」


 少女の口から、思わず驚愕の声が漏れた。

 しかし、そんな些細な音になど構っていられない程の何かが目の前で起きていた。


「……近くにそこそこの墓場があって良かったなァ? しかも、の面前で死ねたンなら、の最期には勿体ねェくらいだろ。そこのテメェもそう思うよなァ?」


「……は、はいぃッ!! そ、その通りでございますッ! ティグリス様!」


 ティグリス――それが、を名乗る獣人の名前らしかった。

 その男はたった今、虎模様の肥大化した左腕で、隣にいた兵士の身体を鎧ごと吹き飛ばした。

 残っていたのは、死んだことを知覚していないかのような鎧を纏った下半身と、大量の飛散した血液だった。


「――ミズカ、ボクが合図したら、真っ直ぐ王都に走るんだ。いいね?」


 レオニクスの声は依然として平静を保っていた。しかしそれとは対照的に、塵芥のごとく吹き飛んだ命に動揺を隠しきれない少女がいた。

 得体の知れない恐怖が、荒くなる呼吸の度に反芻を繰り返す。そんな言い表しようもない感覚に襲われている。

 だがそれは、少女だけではなかった――


「あァ? 今のはテメェに聞いたンじゃねェよ」


「へ……? そ、それでは一体……誰に――」


 兵士の疑問は虚しく、また一つ塵芥が鮮血を散らした。

 今の一瞬で殺戮者と成り果てたあの男から、目を離すことができない。離せば死ぬ、そう直感してしまったのだから。


「まァでも、そう思ったってンならテメェも同じ墓に入れてやる。ったく……一国を統治する寛大な王子も楽じゃねェ」


 返り血に染まった男の表情に、薄ら寒い笑みが満ちる。

 おぞましいそれとは裏腹に、レオニクスに走る緊張と、少女を埋め尽くす不安――


「ンで……結局オレの質問には答えちゃくれねェわけか。随分無愛想な態度取ってくれるじゃねェの?」


「――ミズカ、王都に着いたらこの場所に向かうんだ。ボクはここで、キミが逃げる時間を稼ぐ」


 言い終わると同時に、レオニクスの眼は標的ティグリスのみを直視していた。

 その作戦は危険だ、などと否定できるほど、今の少女は強くも冷静でもない。ただ、レオニクスに手渡されたを強く握りしめる。


 レオニクスは新調した双剣を両手に構え、機を窺う。

 そして、両者は意味を違えた深い息を吸い込む。


「この劣等種共は気づかなかったみてェだが、オレにはすぐ分かった。全然隠せてねェンだよ……このボロ屋から漂う芳ばしい匂い……そしてたった今強まった懐かしい匂い……」


 ティグリスの独り言を遮るように、レオニクスは突風の如く素早く踏み込む。

 しかし、その瞬間と寸分も違わぬタイミングで、ティグリスの眼光が二人のいる木陰を睨む。


「――今だ、走れッ!!」

「――ニンゲンの匂いだよなァッ!!」


 衝突した二つの覇気が、少女を夜闇に包まれた砂漠へと押し出した。

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