第三章4 『王都』

「――調子はどうだ?」


「……あ、は、はいっ! 多分……大丈夫だと思います。……あそことか、さっき植えたばかりなのに、もう芽が出てきてて……聞いてはいましたけど、やっぱりびっくりしました……」


 いつぞやの晩から、少女はレオニクスに作った多くの借りをどのように返すべきか考えていた。

 運動不足の身体ではまともな肉体労働もできない。しかし、熟考の末に思いついたのが、菜園による食材の調達だった。

 それを提案したところ、レオニクスから預かったのはこの『ジライソウ』という植物の種。話によると半日で育つ優れ物らしい。

 だが、その物騒な名前の由来にもなったように、種の中に膨大な成長エネルギーが込められているため、強い衝撃で爆発しかねない自然兵器でもあった。

 前世で培った技術が役に立つ、という『異世界転生』ならではの展開だが、それにしては何とも地味である。


「それは大いに結構……だが、聞きたかったのは野菜の話じゃない。キミの身体の具合だ」


「……あ、す、すみません……! えと……多分大丈夫です……!」


「……多分じゃ困るんだが……」


 少女の消極性に、レオニクスは一つため息を吐いた。


「まあいい。大丈夫そうなら、それを植え終わった後に向かうぞ」


 言い放ち様に、レオニクスは脇に抱えていた灰色の布の塊を少女へと放った。

 少女は何とか反射的に掴むことができたものの、足元の無数の『地雷』を見て冷や汗を流す。


「それを着て大人しくしていれば、すぐに人間とは疑われないはずだ。もう一着作るのは面倒だから、気をつけてくれよ?」


 手の甲を向けて歩き去るレオニクスを背景に、受け取った布を丁寧に広げる。猫のような耳付きのフードコート――レオニクスの言葉から察するに偽装だろう。

 手製故の縫い目がそこらに見えるが、どれも丁寧に縫われているのがひと目でわかる。

 レオニクスはどうやら、料理や裁縫といった細かな作業が得意らしい。

 だがしかし……


「……『』が何なのか……知らないんですけど……」


 『王都』へ向かう途中、乾燥した砂漠地帯を抜けた。どこか見覚えのある景色だったのは、少女が転生して間もなく気絶した場所であったからだ。

 レオニクスがどのようにして少女を発見したか、偶然にも数日を跨いで解答が出された。


 ――といったことはこの際どうでも良かった。


「……確かに詳しい説明はしなかったが……そうまで震えるほどか……?」


 『王都』についての詳細を本人に直接聴取しなかったことを後悔した。

 というより、普通に考えればそれ以外ありえないだろう。

 『王都』に着くなり、身体の末端から冷えていった。

 東西南北、どこを見渡しても『耳』と『尾』がある。


「……も、もし……ば、ばばバレたら……!」


「少し落ち着け……逆に怪しく見えてしょうがない」


 深呼吸をしようにも、肺が痙攣したかのように緊張を解いてくれない。

 今この場に、少女以外のはいないのだ。


「確かにキミは一度襲われたが、なにも全てがそうというわけじゃない。事実としてボクがそうだし」


「……そ、そうですよね。……わかっては……いるんですけど……」


 少女は今、数多の獣の住む檻の中にいるも同然。現状は偶然気づかれていないだけに過ぎない。

 耳付きのフードを深々と被ったまま、布を強く握りしめる。


「……そ、それで……何をしにここへ……?」


「いやなに、少し買い物をしに来ただけなんだ。要件自体はすぐ終わるんだが、キミも知った通り無駄に距離があるせいで帰宅が遅くなる。キミを一人放置していくわけにはいかないだろう? 苦肉の策ってやつさ」


 レオニクスの考えを聞いて、賑わう通りを進む足取りが少し軽くなる。依然として、布を握る拳から力は抜けることはなかったが。

 まず最初に訪れたのは八百屋らしい雰囲気のある露店だった。

 買った商品で唯一判別がついたのは『ジライソウ』の種のみで、それ以外は微妙に形の違う野菜だった。

 『ジライソウ』そのものも売っていたが、恐らく気を遣ってくれたのだろうと察する。

 肉屋らしい店の前を通った時も、「人間の肉は置いてないよ」と一言告げられた。心の内が手に取られているようで、却って落ち着かない。


「……あれ……でも、獣人は人間を食べるんですよね……? それって、置いてない方が変なんじゃ……」


「……ああ、そうか。そういえば、ちゃんと説明したことはなかったね」


 するとレオニクスは立ち止まり、レンガ壁で挟まれた脇道へと少女を誘導する。

 レオニクスが指をさすと、そこには一枚の張り紙があった。


「彼女の名は『アンシア』。の身でありながら、国が所有していた奴隷を全て逃亡させた悪質な指名手配犯だ」


 砂や土で茶色く風化した張り紙には、容姿端麗な長髪の女性の姿と膨大な懸賞金が大きく刷られていた。


「……奴隷……って、もしかして……」


「その通り、人間のことさ。彼女は人間を全て解放し、逃がしたんだ。そして……した」


「……失敗……?」


「ああ。キミも薄々勘づいていたと思うが、この国……いや、世界中のどこを探そうと、キミを除いた人間は


 レオニクスの言葉に呼応するように、少女の記憶が呼び起こされた。

 その記憶は厄介にも、完治していない胸の傷が開いたかと錯覚させる。


 ――人間はもう全員喰われちまったと思ってたんだがなァ……?


「……そ、それってつまり……」


「逃げ出した人間たちは自由を得た。だが、それと同時に自分たちが奴隷であった理由を知った。ある者はその場で生きたまま喰われ、またある者は拐かされた。……特に女と子供は……。国中は瞬く間に血が溢れ……とにかく酷い光景だったよ」


 レオニクスは表情を変えずに淡々と話す。しかし、その声には確かに何らかの感情が乗っている気がした。

 そして、少女の中で一つの推論が構成されていく。


 この『アンシア』という人物とよく似た美貌と、他の獣人とは違う人間への特別な感情を持った人物――少女は一人知っている。


「――似ているだろう? ボクと」


「……えっ……!? い、いや……」


「気にしていないさ。今までも何度も同じように疑われたからね。でも、ボクが手際よく耳付きフードを作れる理由はこれで分かったかな?」


 レオニクスは自身の着用しているフードをぴらぴらと摘んでみせた。

 少女が人間であることを隠すためのフードと同じものを、なぜレオニクスも身につけていたのかは少し疑問だった。

 当初は少女だけに違和感を覚えさせないためかと考えていたが、どうやら真意は違ったらしい。

 レオニクスにはレオニクスなりに苦労していたのだ。


「……そ、そうだったんですね……すみません……」


 レオニクスは朗らかに微笑み、その場を後にする。

 少女もその背中を追いかける。


「あの紙じゃ分からなかったけど、おまけにアンシアは美しい白髪の持ち主らしい。本当、苦労しちゃうよ。まあ、ボクがな時点で、そこからは誰も疑わないけどね」


「……あ、あはは……」


 レオニクスは冗談気味に言うが、少女はどうしても気がかりだった。

 アンシアが起こした事件を説明する時の曇った声に、きっと偽りはなかった。

 無関係、というわけではないのだろう。

 その時――


「――遅いっ!」


 考え込んでいた少女の思考を吹き飛ばすが如く、誰かの怒声が雑踏の喧騒を切り裂いた。

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