ひとりでも生きたい
霧江サネヒサ
ひとりでも生きたい
人は、生まれる場所を選べない。
私が生まれたのは、東京の隣県にある、辺鄙な村だ。東京が近いと言うと、“良い”と思われるかもしれないが、全くそんなことはない。最大限東京から離れた場所だから、というのもあるが、この村はおかしいのだ。
「
「はい」
しれっと嘘をつく。お経を唱えるどころか、手を合わせてすらいない。
「そう。ママは、これから折伏に行くから」
「はい」
私の母は、相手がキリスト教徒だろうが、イスラム教徒だろうが、ありがたい教えを説いて回っている。
この村はおかしい。元々は、外様であったはずの母がおかしくした。母は、村中の者を折伏し、彼女の信仰している
三伽羅仏様の方角を向いての朝と夕方の勤行だとか、困った時はお経を唱えろだとか、男は男らしく、女は女らしくだとか、全部が嫌いだ。
だって、私を救ってくれないじゃないか。私は、私を救ってくれるなら、なんでもいい。だから、あらゆる神仏や悪魔などに祈っている。
誰か、私を助けてくれ、と。
母曰く、私は、幼い頃は溌剌としていて気が利く子だったらしい。三歳頃までの話だ。
その頃のことは、あまり記憶にない。自我なんて、ほとんどなかったんじゃないだろうか。
だから、その頃のことばかり持ち上げられても嬉しくない。
現在、私は、三十三歳。いまだに、家に縛られている。
幼い頃、母の前で一人称を「俺」にしたら、叱り飛ばされた。中学の頃、性別違和を強く感じている最中に初潮がきて絶望した。高校時代、うつ病になった時は、ちゃんと信心しないからだと母に言われた。
成人してから発達障害があると分かった私は、生き辛いのは気のせいでも、信心不足でもないと考えた。
うつ病を拗らせ、大好きな物語たちにも心が動かなくなり、自殺未遂をした。閉鎖病棟で過ごす三ヶ月間は、退屈で。暇に殺されるかと思った。というのも、コロナウイルスが大流行し、面会も軽作業も対面での会話・遊びなども禁じられたからである。
母が宗教にすがるようになったのは、私が小児喘息で入退院を繰り返していたからだと思う。私が悪いのか?
父は、知る限りでは、私が小学生の時分には、若い女と不倫をしていた。私が悪いのか?
両親は離婚し、それぞれ再婚した。もちろん、父は浮気相手とである。
父は、村を出て行き、新しい妻と、その間に出来た息子と暮らしている。義理の母と弟に、私は会ったことがない。会いたくもない。
母は、再婚相手の家に行き、実家には私だけが取り残された。
私には、友人はいない。恋人もいない。頼れる親族もいない。
ただ、私にはペンがあった。小説・エッセイ・作詞・短歌・台本。何でも書いた。それくらいしか、私に金を稼ぐ術はない。
病弱だった私に絵本を与えてくれたことにだけは、感謝しよう。
でも、ゆるさないから。私の好きなものを非難し、「気持ち悪い」「その趣味をやめろ」「そんなものを見ていたら殺人を犯す」と言ったこと。
「女の子なんだから、料理を覚えなさい」「早く結婚しなさい」「孫の顔を見せなさい」と、古い価値観の押し付けをしたこと。
「食わせてやった」「大学に入れてやった」「恩知らず」と言い、私をコントロールしようとしたこと。
ゆるさないから。
衣食住に困ったことはない。でも、それだけで私は、親に感謝しなくてはならないの?
目の前で、罵り合う両親を見た。猫なで声で浮気相手と電話する父を見た。反発した私を蹴る母を見た。
これが、良い親なの? 私には、そうは思えない。
成人してから、私は、私について色々と分かったことがある。
私は、Xジェンダーの不定性だということ。恋愛はするが、その先に性愛はないアセクシャルだということ。恋愛対象は、全ての性別であるパンセクシャルだということ。
私は、人付き合いが苦手で、汚いものが触れないから家事が嫌いで、こだわりが強い。
私の好きなものは、ゲーム・漫画・アニメ・映画・小説・音楽などの物語。無数の物語は、私のことを豊かにしてくれた。
しかし、ひとつ不満がある。結局、物語って人と人の話だよね。救いをくれる恋人・友人・家族とか。私には、いない。
魔法学校の入学案内は来なかったし、岬ちゃんも現れなかったし、ヒーローも助けてくれなかったし、悪魔が魂と引き換えに願いを叶えてもくれなかった。
それでも、私にはペンがあった。私は、私を救うための物語を書き続けている。
小説にさえ、愛されてないかもしれない。だけど、書くしかないんだ。私には、私しかない。
大金があるか、不老不死であれば。こんな悩み吹き飛ぶのに。
人生の親友がいれば。胸を借りて泣けたかもしれないのに。
長子の呪いか? 甘え方が分からない。
ASDのせいか? 人の心が分からない。
私が悪いのか? それが真実? だとしたら、残酷だね。
覚えてるよ。選ばれなかったこと。
友達の友達に苛められてた時、友達は助けてくれなかった。私は、優先順位が低い友達だったんだと思った。
通話アプリで知り合って出来た恋人が、私の努力を無下にした。私は、二度もこの村を出て会いに行ったのにね。同じく精神疾患持ちの彼のケアをさせられてばかりだった。
そんなことばかり起きるから、みんな切ったんだよ。
他人に期待、してたのかな。バカみたい。
私が欲しいのは、クソみたいな血縁者どもを捨てて、ひとりでハッピーに生きる物語だ。
ああ、でも。あなたは、家族みんなのケアをして、その家で生きることを選んだ。
あなたは、趣味を否定してきた家族が一番大事だと言った。
あなたは、“兄”であることをアイデンティティーとした。
あなたは、運命の人に出会って、幸せを掴んだ。
みんな、私が見た物語。
人は、ひとりでは生きていけないの? それは、そうかもね。私だって、誰かが作ったものを食べたり、着たり、消費している。山奥で仙人のようには暮らせない。
孤高の存在になりたかった。私は、ただのひとりぼっちだ。
時と場所が違えば、魔女として火炙りにされていただろう。
だが、私は私を肯定する。存在を許す。私は、世界中から死を望まれても生きる。
死んだ後は、海に散骨してほしいな。天国に行けたらいいな。
末代である俺が呪う。親族連中を。
俺を苛めて、平気な面で人の親をやってる奴らを。
俺に悪意を向けた人間を。
俺は、真実。これが、素の一人称だ。
顔も知らない存在の嘲りを、嫌というほど見た。俺女は痛いとか、うつ病は心が弱い奴がなるとか、性自認なんて存在しないとか、あらゆる差別に反対なんて無理だろうとか。
うるせぇんだよ。
俺は、ひとりでも幸せに生きてやる。
実は、ある計画があった。
秘密裏に、東京のとある場所へ引っ越す計画。その場所で、生活保護を受けて生きるつもりだ。私は、誰にも扶養されてない世帯主だから、通るはず。
東京にあるトランクルームに、大切なものを少しずつ送っている。
こんなクソみたいな田舎と家族は捨てて、都会で楽しく暮らすんだ。
◆◆◆
夏の日。必要最低限の荷物を持って、私は早朝五時に家を出た。
バスに乗り、駅を目指す。
車内で、親族連中の電話番号やメッセージアプリのアカウントを全てブロックした。清々する。
常に鞄に入れておくように言われていた数珠とお経本は、駅のゴミ箱に捨てた。気分がいい。
そして、数時間かけて、新居へ到着した。村では、3LDKの家に住んでいたが、ここは、ワンルームのアパートである。狭いところは好きだから、問題ない。
そんなことより。
徒歩圏内に、スタバが三店舗もある! 季節限定の高くて甘い汁を、気軽に飲みに行ける!
カスの田舎にはなかった映画館もカラオケもミスドもスープストックもピザ屋もある!
複合型ショッピングセンターも遠くないから、ポケセンとかディズニーストアとかサンリオショップとかにも行ける!
最高! 私、今までドブに棲んでた!
ドブ川みたいでもいいのは、Twitterだけだからな。
あとは、贅沢し過ぎないで、親告がいらない程度に文筆業をすればいい。
私の書いた物語は、私に似た人にだけ届けば充分だ。
きっと、私は、祝福されて生まれてきたんだろう。でも、それは、いつしか呪いに転じた。
呪いを解いてくれる運命の人を待ってる間に死んでちゃ意味がない。だから、ひとりでここに来た。
これからも、ひとりかもしれないけど、家に殺されるよりは、ずっといい。
私は、別に人間が嫌いじゃない。私が愛した物語は、人が紡いだものだから。
愚かだと思うこともあるが、人間の可能性と意志が好きだ。
私は、私が好き。だから、幸せにしてあげる。
ひとりでも生きたい 霧江サネヒサ @kirie_s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます