【幕末秘録】黒船強襲!〜日本が『世界』と出会った日

猫海士ゲル

マシュー・ペリー提督との日本の未来を賭けた舌戦!

 それは地鳴りにも似た咆哮ほうこうだった。

 江戸は灰燼かいじんすだろう、巨大な大砲『ペキサンス砲』を突きつけられた幕府は恐怖に震え上がった。


 船体すべてに真っ黒いタールを塗り込んだ異国の艦隊は全部で四隻。

 その中心となる旗艦きかん、蒸気フリゲート『サスケハナ』の艦上で、アメリカ海軍マシュー・ペリー提督は静かに、しかし舌鋒ぜっぽう鋭く、明確に言い放った。



「我が合衆国大統領の国書を持ってきた。受け取りを拒否すれば、まず長射程高性能な大砲で炸裂弾を撃ち出し町を焼き払い、次に武装した船員を上陸させて全ての人間を血祭りにあげる。江戸城まで続く死の進軍の後、将軍と面会しよう」


 現代流にいえば「フリゲート艦の滑空砲から迫撃弾を撃ち出し、焼け野原にしたあとに重武装の海兵隊を放ち、全住民を皆殺しにした後でゆっくり言い訳を聞こうか」と、いったところだろうか。


 蒸し暑い午後の浦賀水道へ和船わぶねを漕いでやってきた幕府の伝令を一蹴すると、ひとりにんまりと笑った。本気だった。ときに一八五三(嘉永六)年七月のことである。




 かつての血で血を洗う戦国の乱世。

 天下統一は日本に三百年の安息をもたらしたが、同時に国民を井の中の蛙にした。

 つまり『国』である。

 家康のあとを継いだ秀忠は、対外政策として海外との接触も禁じた。

 外海へ出られる大船の建造が許可されなくなったので、商業が発達して物流が増えても中規模の帆掛け船しか存在を許されなかった。違反すれば死罪となった。



 この時代、アジア諸国の殆どは白人たちの力の前に屈服して植民地と化し、奴隷となり、西洋文化の発展のためだけに労働を強いられた。

 

アジアの最大国家であった清国でさえ、イギリスに難癖をつけられ望まぬ戦争へ引きずり出された結果、莫大な死傷者に加えて香港まで手放すことになった。

 インドネシアに至っては、いつから植民地となったのか忘れてしまうほど長い時間を奴隷として過ごした。


 日本が白人社会から恐れをもって『枢軸国』と呼ばれた昭和に入るまで、そして極東最強となった大日本帝国が世界を震撼させる軍事力によってアジアから白人を追い払うまで、彼らは人としての尊厳すら奪われていた。



 そんな魑魅魍魎にも等しい不穏な空気、覇権主義が席巻する弱肉強食にあっても、なおこの時代の封建国日本は長く続いた平和に国防の重要性を忘れ、政策を練らねばならぬ立場の者でさえ日々の関心事は己の権力維持のみに向けられた。


 それはまるで鎖国さえ守っていれば、永遠にこの日常は続くのだと信じている宗教のようでもあった。そんな安穏とした日々を引き裂くように、黒船の艦隊は乗り込んできたのだ。



「太平の眠りを覚ます上喜選じょうきせんたつた四杯で夜も眠れず」



 謳ったのはペリーだ。

 自分たちの軍艦に慌てふためく日本人を皮肉ったのだ。


 アメリカが本気になれば日本など簡単に支配出来た。

 それでも博愛主義者のミラード・フィルモア大統領のいいつけを守り紳士的に幕府側の出方を待った。


 当初は江戸を焼け野原にするつもりだったのだが──アジアの小国相手に欧州の国はさんざやっていることで、アメリカだけが現地のにご機嫌伺いをする道理などないと考えていた。


 欲していたのは『黒いダイヤモンド』といわれた石炭だ。

 それさえ手に入れれば、後は野となれ山となれ。

 せいぜい大型船が利用出来る港があれば良いと、ペリーに限らず、船員の多くはそのための来日、いや強襲だと考えていた。


 だから江戸湾に碇を降ろしたあと、ボスからの上陸命令に備えて船員たちは銃の手入れに余念がなかった。


 よもや一年もの猶予を与えよとは、我が大統領は腑抜けか。




 一八五四(嘉永七)年二月。

 艦隊は約束通り、再び浦賀沖に戻って来た。

 蒸気フリゲート艦『ポーハタン』をはじめ『サスケハナ』『ミシシッピ』、帆船戦闘艦『マセドニアン』『ヴァンダリア』、帆船補給艦『レキシントン』が次々と江戸湾へ到着した。


 幕府は江戸湾に洋上砲台「台場だいば」を急ごしらえしていたが、それを一発も撃つことはなかった。

 いや、撃てなかったのだ。

 今回は六隻からなる艦隊、その威風堂々たる迫力は前回同様に幕府を震え上がらせるに十分だった。


 恐怖に怯える誰もが打ち払いの命令を下せなかった。

 新しく旗艦を巨大な『ポーハタン』に乗り換え、威圧的な黒いカラーリングと相俟って軍事力の差は前にも増して圧倒的だった。




「提督閣下はお困りになられている。日本人が我らと真摯に話し合いをしてくれないからだ」

 

 ポーハタンのマクニール艦長は通訳を介して幕府の伝令に語った。




 ある朝、黒船は突如として砲撃を開始した。

 江戸の町では、その音に驚いた人々が逃げ惑い秩序が乱れた。


「何ごとか!」

 老中の阿部正弘は城内で事態を知り、伝令を走らせた。


 さらに一年程度は、返事を引き延ばせるのではないか。

 そうすれば日本も防衛体制が整う。


 安心していた矢先、力にモノを言わせる行動に出てきた。

「所詮は鬼畜だということか」


 だが砲撃は空砲だと分かった。伝令は戻るなり「黒船に攻撃の意志なし」と息を切らしながら口を開いた。


「メリケンたちの祝いの日だとのこと。喜びを空砲を撃つことで現す風習のようでございます。反撃は中止して下され」


 もとより阿部はじめ老中らに反撃などする気も、その軍事力も、ない。

 この日はアメリカの独立記念日だったのだ。


 だか、しかし、

「信用出来ぬな」


「は? 自分は確かに」


「ああ、いや。そちのことではない。伝令の務め御苦労であった」



 事前に何も聞かされていなかった。空砲とはいえ早朝から大きな音を鳴らせば、江戸の民がどう反応するかわかっているはずだ。

 これは形を変えた恫喝だ。これ以上の引き伸ばしは許さんと警告してきたのだ。


「だとしても、我が方の有利に話を進めなければならぬ」


 ペリーとの交渉に際して、阿部はひとりの男の名を呟いた。




はやし大学頭だいがくのかみで御座います」

 林は号を復齋ふくさいという。

 学問所の最高責任者として大学頭家当主を襲名したのは五十を過ぎてからだ。


 この初老の男に、阿部正弘は白羽の矢を立てたのだ。

 林は江戸随一の博識であり、異国人に対する知識も豊富だった。


 なによりも武家ではないところが、阿部正弘に気に入られた。

 万が一にも交渉が決裂したとき、武家であれば後々の処置に困ることになる。


 阿部は良くも悪くも政治家であった。失敗の責任を武家にとらせ切腹となれば、家臣の武士たちが黙っていないだろう。



 

 いざという時の責任は林大学頭に取ってもらう。

 それが阿部の考えだった。

 また、阿部はペリー一行を江戸に上陸させることもしたくなかった。将軍や大奥らが騒ぐのが目に見えていたからだ。


 住民の少ない寒村。

 それでいて江戸からは離れていない海辺という条件で選んだ結果、横浜村が良かろうとなった。


 そこへ応接所を設けてペリーらを、米国使節団として正式に迎えた。




「遠路はるばる、ようこそおいで下さいました」

 狭い応接所で、躰の大きなペリーを前に林はひょうひょうと挨拶をおこなった。


 ペリーは小柄なこの男……自分よりはいくつか若いらしいが、恐れを抱いていないことに驚いた。ならばと、こう切り出した。


「本日はお招きありがとうございます。我が国の伝統にのっとり、空砲にて喜びを現したいと思います。将軍さまに二十一発、林大学頭だいがくのかみどのに十八発、そして初めての上陸を祝して十八発」


 アメリカ側の付き人がひとり、応接所の外へ出ていった。

 双方の間にしばしの沈黙が訪れたが、林だけは茶をすすりながら待った。


 やがて、応接所を揺らすほどの砲撃音が、地鳴りのように轟いた。


 日本の交渉担当者たちは心ここにあらずという風情で席を立ち上がり、今にも泣き出しそうな顔をしていたが、林だけは物静かに座ったまま大砲の音に耳を傾けていた。


 この宿老は何者なのか。


 ペリーは首を傾げた。

 日本のアカデミーに相当する学問所の学長だと聞いていたが、学者にしては腹が据わっていた。祝砲が終わると、林はさっそく口を開いた。




「貴国からの要望について、こちらの考えを述べます。難破船に対して薪、水、食料を与えることは、これまでも実施されていることであります。なんら差し支えござらぬ。漂流民の救助も我が国の法に定められているとおり努力致す。ただし、交易に関しては我が国の法により禁止されている」


 物静かにしていた林だったが、それを取り返すように一気にしゃべった。

 その瞳は学者というよりは戦場の武将そのものだった。


 ペリーは気後れしそうになるのを必死にこらえ、むしろ反発するように大きな声をあげた。

「まるで、日本が人命を尊重しているかのような言い草だ。ならば聞くが、我が国の漂流民を何故監禁したのか。外国人というだけで、まるで罪人のように扱ったのは何故か」


 林はペリーの怒声に動揺することはなかったが、漂流民を監禁したとの訴えには腕を組んで考え込んだ。


「他にもある」

 ペリーは口角をあげて言葉を続けた。


「外国船とみるや話も聞かずに大砲を撃ってくる。日本人漂流民を送り届けるため入港しようとしたモリソン号に向けて砲撃したことを忘れたか。ここは野蛮な国だ」


 その言葉に納得いかない林は顔をあげるとペリーを睨んだ。

「野蛮な国とは失礼な。我が国は鎖国を行っており、大型の外国船が接近すれば国防上何らかの処置をとらねばならんのは当たり前だ」


「我が国では鯨油を確保するために多数の捕鯨船が日本近海で操業している。今後は、そういうことでは困るのだ」


「今後のことを言われているのか。しかしながら貴方のおっしゃることは過去の話ばかりだ。そもそも、モリソン号の事件は異国船打ち払い令があった当時のこと。その法律は、一一年も前に廃止されておる。現在は薪水給与令が発行され、難破船に対して人道的に取りはからう決まりになっている」


 法律が変わったことを知らなかったペリーは反論に詰まった。


 林が続ける。

「我が国は貴国と同じ法治国家である。異人といえども我が国の法には従っていただく。多くの人はそれに理解を示してくれるが、漂流民のなかには甚だ良からぬことをする者もいる。その場合には致し方なく廊に入ってもらう。ペリーどの、」


 林の鋭い瞳がペリーに突き刺さった。


「我が国には非道な政治など御座らぬ。法によって治安を守るのは日本人のためだけではなく、着の身着のまま漂流してきた異人を守るためでもある。追いはぎや詐欺、ましてや殺しを許す法などありません」


 ペリーは大きく頷いた。

「わかりました。そういうことなら、こちらから言うことはありません。しかしなぜ、交易を了解しないのか。我が国と交易をしている国はどこも経済力をつけて発展している」


「日本においては交易をせずとも間に合っております。法律で決まっていることを、すぐさま変えろと言われても、それは無理で御座る」

 林は笑顔で返したが、その実、西洋のことを信用してはいなかった。


 隣国で勃発したアヘン戦争のことが脳裏にあったからだ。

 イギリスは清へ、麻薬であるアヘンを密輸して儲けていた。そのことに反発した清国政府を、イギリスは武力で押さえつけたのだった。


 もちろん軍事力で清が勝てるはずもなく、莫大な賠償金を払わされ、強制的に不平等な南京条約を結ばされて香港を奪われた。


 これらの繊細は鎖国であっても日本は知っていた。

 オランダ風説書と呼ばれた海外情報書類を、江戸幕府は出島のオランダ商館長に提出させていたのだ。


 恐ろしいのは、イギリスだけではない。

 現にアメリカも、いまこうして会談を行っている応接所へ大砲を向けていた。

 西洋との圧倒的な軍事力の差に、アジアの国々は怯えるしかなかったのだ。


「開港地を増やしてほしい。長崎では不便だ」

 ペリーは、これだけは譲らないという頑固な表情で林をにらみ返した。


「東南の地をいくつか考えおりまする」


「それは、どこですか。具体的に聞きたい」


「どこと言われても、すぐにはお答え出来ませぬ」


「あなたは全権大使ではないのか、いま、この場ではっきり示して頂きたい」


 執拗な押し問答に林はため息をつくと、茶を一口含んだ。


「さあ、どこを開港してくれるのですか」


「ペリーさん、あなたをアメリカの代表として考えておったのですが、それは間違いありませんか」


 奇妙な返しにペリーはイラつく。

「どういう意味か、わたしは大統領から全てを一任されている。全てをだ」

 つまり、「日本へ戦争を仕掛ける権限もあるのだ」と言いたいらしい。


 もちろん脅しである。

 但し、事故と称して江戸の町を焼け野原にする程度のことなら出来るだろう。

 長射程のペキサンス砲から撃ち出される炸裂弾には、十分過ぎるほど、その威力があった……この初老の男にもそれは分かっているはずだ。と、ペリーは睨みつける。


 ペリーの興奮とは正反対に、落ち着き払った姿勢で林はゆっくり口を開いた。

「ならば、お聞きしたい」


 脅しに屈しないだろうことはペリーも予想していた。けれど、ここまで堂々とされるとは当てが外れた。


「それほど重要な案件であるなら、なぜ昨年の親書にそのことを記載しなかったのですか。あの親書は貴国の要望を網羅した、大統領閣下の言葉であると伺っております。長崎以外に開港地をお求めならば、そう書いて頂きたかった」


 これには反論出来なかった。

 ペリーはうなだれ、「では、三日待ちます」と言うのが精一杯だった。


「次回の会談は七日後に予定しております。そのときにお話し致します」


 すでに主導権は林にあった。

 大人しく従うほかなかった。


 次の会談までの日々を、ペリー一行は横浜村の湾岸を散策することで暇を潰した。

 小さな漁村ながら良く整備されており、なにより漁師の生活をみるのは興味深かった。


 そんなある日、ここら一帯を仕切っている実力者の家に招かれることになった。

 ペリーはそこで、自分が日本に対して抱いていた感傷は偏見であると気づかされショックをうけた。


 酒と茶菓子でもてなしを受けたが、その際、主人の妻と娘が接待をしてくれた。

 彼女たちの物腰や相手を思いやる態度は洗練されていた。


 通訳を通じていくらか会話をすると、受け答えもしっかりしていた。

 おもわず通訳を疑い「正確に訳せ」と小声で叱咤したら「一句一行正確にお伝えしております」と文句を言われた。


 よく見れば確かに、その口もとから発せられる声音には知性を感じた。


 日本へ来る前にアジアの各国へ訪問したペリーだったが、多くの国では女性の地位は低く、まるで男のための奴隷で身なりは汚く、言葉すらまともに話せない者までいた。



 これは、どれほど社会的地位の高い家でも同じだった。

 女性は一律に人間として扱われなかった。西洋人の多くがそんなアジアを「野蛮な未開地」と蔑視するのは仕方のない実情があったのだ。



 ところが日本は違った。聞けば、子供の頃に寺で勉強していたという。

「僧侶だったのですか?」


「いやですわ、そうではありませぬ。子供は毎朝寺へ集まって、そこで先生から学問を教わるのです」


 この日、ペリーは寺子屋てらこやの存在を知った。



「殿方は武芸も学びますが、女は編み物を学びます」



 夜になり、ポーハタンに戻ると入り江を見つめながら艦長のマクニールに呟いた。

「わたしは、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない」


 海辺には明かりを灯して漁をする船があった。水面へ光を当てることでイカが寄ってくるのだという。


「この国が鎖国を続けることは人類の歴史にとって損失だ。どうあっても、我が国は国交を結ばねばならん」




 現代の基準に照らせば、この当時の日本の女性に人権があったかといえば疑わしい。戦国時代の頃よりは政略結婚も減ってはいたが、けれど女性に結婚相手を自由に選ぶ権利などなかった。

 もっともそれは男性も同じで、結婚は恋愛感情ではなく互いの家同志を結ぶ儀式のひとつと見做されていたからだ。

 つまり今とは文化的価値観が大きく異なるので単純に比較は出来ない。

 

 けれど武家は身を殺して伝統と秩序を守り、町人はギルドに相当する組合を作って経済活動をおこなっていた。

 そこには女性の姿もあり、ちゃんと役割があった。

 木や紙を芸術的に組み込んだ美しい建築物が整然と並んで町を構成し、井戸を中心とした飲料水の確保や下水道の管理はしっかり考えられていてとても衛生的だった。


 本格的リサイクルを目指した廃品回収業による町の美観維持に至っては、むしろ西洋人が学ぶべき点が沢山あった。




「この国は全てが先進的でアーティスティックなほど斬新だ。日本は東洋のなかで最も重要な国家のひとつになるだろう」


 ペリーは自著『遠征記』のなかで、日本の未来をそう予言している。




「開港して頂ける港は決まりましたか?」

 やや温和な表情になったペリーを少し訝しく思いながらも、林大学頭は笑顔で返事をした。


「南は下田、北は函館を予定しております」


 この日は晴天で波も穏やかだった。応接所の外から流れてくる潮の香りに触れながら『鬼畜』と日本人から恐れられた『黒船艦隊』の提督はうんうんと、何度も頷き「それで結構です」と答えた。


「ところで、林大学頭さまは随分と会話巧みであられる。いや、将軍様から全権を委任された学者なのだから物知りなのは当然としても、物怖じしない堂々たる振る舞い。感服しました」


 前回までの高圧的な態度と打って変わり、同じ人物とは思えない物腰に、日本側担当者は一様に安堵した。


 しかし林だけは、むしろ恐ろしさを感じていた。

 相手の手の内に乗せられまいと肩に力が入り「これではいけない」と隠すように口から言葉がついて出た。


 ペリーが奇妙な表情をしたので慌てて言葉を繋げた。

「わたしは学者であって武士でありません。けれど、学者任せにしたから会談が失敗したなどと言われては、推薦してくれた老中さまに申し訳がたたない。本当のところ、あなたのことが怖くて今も震えを必死にこらえておるのですよ」


 それを聞いて、ペリーは大きな体を揺するように「ハハハ」と笑った。

 つられて林も笑った。場の空気が一気に和んだ。


「日本に来れたことは、わたしにとって生涯の財産となるでしょう。この体験を多くの同胞と分かち合いたい」


 再び、林の表情が強張った。

「漂流民以外の異人を、江戸にお招きすることは出来ません。法律によって決まっていることですゆえご理解下さい」


「ええ、そう仰ると思っていました。ですから、わたしは本を書きます。宝石のごとく美しく光り輝く国が、東洋にはあった。それを伝える義務があると、この数日考えておりました」


 どうやら冗談ではなさそうだ。

 そのことを林は、ここに来てようやく理解した。


 数日での心変わりの理由はわからないが、どうやら日本を好きになってくれたようだ。林は気持ちの高揚を抑えるため茶を口にした。


 ペリーは懸念していることを聞いた。

「漂流した者たちには外出の自由を与えて欲しいのですが、如何でしょうか」


「むろん、監禁するようなことはしません。外出は自由です。ですが、あまり遠方までは困る」


「では、一〇里くらいで」


「薪や食料を調達するなら町内だけで足りるでしょう。観光旅行を許すわけにはいかんのです。せいぜい五里」


「それでは不自由だ。もう少し」


「ならば七里以内としましょう」


 林が近場の外出にこだわったのは理由があった。幕府の目が届かないところで、勝手に交易を始める者がいないとは限らないからだ。

 イギリスが清国にやったように、アヘンを持ち込んで流通されたのではたまらない。


「これは歴史的偉業ですね、林先生」

 ペリーは突然、『先生』と呼び出した。


「そうですね。提督は歴史に残る英雄となられることでしょう」


「それは先生も同じです。ところで、最後にもう一度だけお聞きしたい」


「なんでしょうか」


「どうあっても、交易はしないおつもりですか。将来も希望はありませんか」


「……うむ」


 林は胸の前に腕を組んでわずかばかり天井を見上げた。

 一ヶ月程度の利用では勿体ないと感じるほど、新鮮な木の香りがしていた。


「ここでまた、いずれ会談がもたれるやもしれません。わたしは外国の文化に興味があります。外国で作られた物品、特に精巧に作られた機械に触れると胸が高鳴ります。これはわたしだけではない、日本の皆が同じ気持ちです。けれど、それには信用が大切になってくるでしょう。いまの日本が信用している外国は、良くも悪くもオランダだけです」


 黙って聞いていたペリーは大きくため息をつくと、今日、はじめて茶に手をつけた。


「日本の文化は美しい。こんな素晴らしい文化をつくりあげた日本人と親交を深めることが出来ればどんなにか幸せでしょう。先生、もしも日本に襲いかかる敵があれば、我々は艦隊を率いてこの文化を守ります」


 立ち上がって握手を求めた。

 林はやや照れながらも、ペリーの大きな手を握り返した。




 こうして、一八五四年三月三一日(嘉永七年三月三日)にアメリカ合衆国と日本国の間に『日本國米利堅アメリカ合衆國和親條約』が締結した。


 内容は以下のとおり。

 第一条

  日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。

 第二条

  下田(即時)と箱館(一年後)を開港する(条約港の設定)。この二港において薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の供給を受けることができる。物品の値段は日本役人がきめ、その支払いは金貨または銀貨で行う。

 第三条

  米国船舶が座礁または難破した場合、乗組員は下田または箱館に移送され、身柄の受け取りの米国人に引き渡される。避難者の所有する物品はすべて返還され、救助と扶養の際に生じた出費の弁済の必要は無い。(日本船が米国で遭難した場合も同じ)

 第四条

  米国人遭難者およびその他の市民は、他の国においてと同様に自由であり、日本においても監禁されることはないが、公正な法律には従う必要がある。

 第五条

  下田および箱館に一時的に居留する米国人は、長崎におけるオランダ人および中国人とは異なり、その行動を制限されることはない。行動可能な範囲は、下田においては七里以内、箱館は別途定める。

 第六条

  他に必要な物品や取り決めに関しては、両当事国間で慎重に審議する。

 第七条

  両港において、金貨・銀貨での購買、および物品同士の交換を行うことができる。交換できなかった物品はすべて持ち帰ることができる。

 第八条

  物品の調達は日本の役人が斡旋する。

 第九条

  米国に片務的最恵国待遇を与える。

 第一〇条

  遭難・悪天候を除き、下田および箱館以外の港への来航を禁じる。

 第一一条

  両国政府のいずれかが必要とみなす場合には、本条約調印の日より一八ヶ月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。

 第一二条

  両国はこの条約を遵守する義務がある。両国は一八ヶ月以内に条約を批准する。


 全部で一二条からなる大枠を決定したあと、場所を下田に移して『下田追加条約』を結んだ。このときも、林大学頭がペリーと交渉した。




 報告のため江戸へ登城した林大学頭を阿部正弘は歓迎した。

 林は人生最大の大役を終え「これでまた研究が出来ます」と、再び学問所の学頭としての日々に戻っていった。


 一方で阿部は、老中首座としてこれからの日本を動かしていかねばならない緊張感に高揚していた。


 そんなある日、一八五七年八月六日(安政四年六月一七日)に阿部は突然倒れた。

 まだ三九歳という若すぎる死に暗殺も疑われたが、犯人はわからず終いだった。


 阿倍の死後、幕府を仕切ることになったのはキレモノと言われ将軍家さえも背後から自在に操った大老『井伊直弼いいなおすけ』だった。そして彼の参謀役には幕末の天才戦略家と後生に語られる『小栗上野介おぐりこうずけのすけ』がいた。



ここから日本は、良くも悪くも世界の荒海に揉まれていくのであった。



  了

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