第2話 三十年目の僧侶

「いやあ、びっくりしたよ。ついにオバケを見たかと思った」


 慰霊碑に続く階段に座った坊さんが、ハンカチで禿頭をつるつる撫でながら、ふーふー荒い息を吐く。

 頭皮が汗ばんでいるようには見えないが、多分、動揺を隠そうとしている上での行動なのだろう。


 隣に座った俺は、「すんませんでした」と頭を下げた。


「こんな時間にこんなところで、珍しいなと思ったもんで」


「それはお互いさまでしょうが。君だって、こんな時間に何してんの」


「ちょっと……散歩? に」


「首かしげながら言われてもねえ」


 坊さんは困ったように笑いながらも、それ以上は未成年の外出理由を追求してこなかった。なかなか話の分る坊さんのようだ。


 俺は、ここの供養は坊さんの寺が受け持っているのか、と訊ねた。もしくは、山津波の犠牲者に身内がいるとか。


 どっちも違うよ、と坊さんが首を横に振る。


「この公園は市営だから私は無関係だよ。私はここから車で十分ほどのところにある寺の住職でね。本山から配属されて住むようになってから、ここの山津波の事を知ったんだ」


 寺は引き継ぐ住職がいなくなると、その寺の本山が新たに住職を派遣するらしい。

 そんな仕組みになっていると知らなかった俺は、素直に「ほお」と感心した。

 

 オバサン幽霊曰く三十年前に派遣されて来た坊さんは、念仏にあわせて木魚を叩くが如くゆっくりとしたペースで、ぽつぽつと語る。


「坊主仲間には、何やってるんだってよく笑われるよ。慰霊碑が建ってるんだから十分だろうってね。他にも、偽善だとか、宗教を押し付けるなとか、売名行為だ、って嫌な顔をする人もいるね。私自身、人様に嫌な思いさせてまでやる事じゃあないよな、とは思いつつ……でもねぇ。……やらずには、いられないんだよね」


 俺は、大人しそうな人柄を思わせる坊さんの横顔を見つめながら、「職業病?」と短く訊ねた。口にしてから、ちょっと失礼な質問だったと反省する。


 しかし坊さんは嫌な顔は微塵も見せず、「さてねぇ」と首を捻った。


「さぞかし無念だっただろうと思うとね。いてもたってもいられなくて、ここに来たのが最初だよ。災害の跡地があまりにも立派な公園になっていたのには、ちょっと面食らったけど」


 何にしても、無念で彷徨っている方がいらっしゃるなら、少しでも助けになりたいと思ってね――。


 坊さんがそう続けた時、前を歩いていた村民たちがふと足を止めた。階段で小さくうずくまる自信なさげな僧侶を見つめて、皆が頬をゆるめる。


 ああそうだったのか、と俺は合点がいった。


 彼らがこれほどまでに穏やかで明るいのは、慰霊碑もしくは山の神の力によるものなんだろうと思っていた。しかし実は、そんな大層なものではなく、ただこの坊さんの人柄と、祈りによるものが大きく作用していたのだ。


 そうだ。だからこそ、この感謝おすそわけの量なのだと、坊さんの足元に広がるご馳走の山に改めて感服する。


「俺はまあ、何となくの無宗教なんで、売名行為とか宗教云々にはピンときませんけど……」


 そこまで言ってから、俺は唾を飲み込んだ。

 いい加減慣れたとは言っても、己の霊感体質を他人さまに打ち明ける瞬間は、やはり緊張するのだ。


 しかし彼には、目の前に広がる大量のお供えものの存在を知る権利があるし、俺も知って欲しいと思った。

 だから打ち明けるのだ。


「少なくとも、ここの人達はあんたを歓迎してますよ」


「へ?」


 坊さんがトボケた声を出してこっちを見る。

 俺は彼に構わず立ち上がった。


 突然立ち上がった俺を不審そうに眺めている村人達をゆっくり見まわしてから、背筋せすじをのばして、思いきり息を吸い込む。

 吐き出すと同時に、腹の底から声を張り上げた。


「お初にお目にかかります! 昨年の二月、○○市○○タウン○○番地に引っ越してまいりました、堤幸太郎つつみこうたろう。コタロウじゃなくて、コウタロウ! 十七歳です! 大阪から来ました! 父は周三しゅうぞう五十二歳、臨床検査技師! 母は恭子きょうこ五十四歳、元ヤン看護師現在専業主婦! 三人家族です! 関西弁混じりの標準語は御愛嬌! よろしくおねがいします!」


 最後に深々と頭を下げる。


 視界の隅で、ぽかんと口を開けている坊さんの顔が見えたが、わざわざ途中で説明を入れるのも面倒なので、俺は次の行動に移ることにした。横に置いていたビニール袋から缶ビールを取り出し、栓を開ける。


 プシュッと音がすると、誤解した坊さんが「おいおい」と止めようとしてきた。俺は掌でそれを制して、村人達に向けてぐいとビールを突き出す。


「これは母からの挨拶代りです。ビール一本ですが、つまらんものと言わずご賞味ください」


「あいやごめん、私は車なんだよ」


「いやあんたじゃなくて」


 坊さんとお決まりのようなやり取りをしてから数秒間、俺は右手に持った缶ビールを突き出したまま、誰かが取りに来てくれるのを待った。


 やがて、村人達の中から、一人の男性が進み出てくる。

 昨晩、俺を祭りに誘ったオッサンだった。


 俺の前で立ち止まったオッサンは、にこりと微笑むと俺のビールを両手で包み込む。


『いただきます』


 そう言ってから、缶ビールのを抜きとった。もちろん、本体は俺の手の中にあるし、複製された缶ビールは坊さんには見えていない。


 オッサンは複製した缶ビールを更に複製し、さっき俺と立ち話をしていたオバサンに渡した。缶ビールを受け取ったオバサンは、オッサンがしていたように、左手で持った缶ビールに反対の手を添えて、また複製したものを次の相手に渡す。


 そうやって、次々と複製され続けたビールがあらかた大人全員に回ったのを確かめた俺は、オリジナルの缶ビールを高く掲げた。


「かんぱい」


 ビールに口をつける人達の様子を眺めながら、ビール缶を傾け、中身をダバダバと地面にあけてゆく。

 

 苦みのある香りを放つ液体が、缶の口から流れて行くのを見ながら、俺は坊さんに話しかける。


「他人が見えてない風景や音を感じるのは、俺の頭がおかしいからかもしれません。でも、見えるもんはしゃーないし、聞こえるもんはしゃーないし、匂いだってするんです。そやから、変かどうかは置いといて、自分が感じてるもんに蓋すんのは面白ないなって思ってます」


 言い終ってから、缶を上下に振って、最後の一滴まで大地に吸い込ませた。


 やる事がなくなったので、俺は腹をくくって、坊さんと面と向かう事にする。

 向かい合うと、大きく開いていた彼の口はいつの間にか閉じられていた。しかしその両目は、しっかりと俺を見据えたままだ。

 

 俺は『見えない』坊さんに、『見えない』おすそ分けの数々を指で示した。


 オニギリ、土手煮、おでん、みたらし団子、りんご飴、お好み焼き、焼きそば、きな粉餅……。

 多分、祭りで振る舞われている料理が全部、ここにある。


「ほんで俺の目には、住職さんの前に食いきれないくらい並んでる、皆さんからのおすそ分けが見えてます」


「おすそ分け?」


「今日は祭りでしょ。カサギ神社の」


「あ――」


 かつて存在した神社の名前を出したところで、坊さんはようやく理解してくれたらしく、両目と口を大きく開いた。


 さっき俺と話していたオバサンが坊さんの反応を見て、『ふふっ』と楽しげな笑い声を上げる。


 俺も坊さんに微笑みかけて、『見える』事を証明する決定的な一言を出すことにした。


「これ三十年続けられるって、マジでスゲーですよ」


 三十年ここに通い続けた事実は、坊さん本人からは聞いていないのだ。

 俺の一言を聞いた坊さんは、無表情になった。そのままゆっくり俯くと、「ああ……」と笑い声のような、悲嘆のような声を出す。


「悔しいなあ。何も見えないんだよ……。悔しいなあ……」


 『悔しい』を繰り返しながら、坊さんは拳で涙を拭いはじめた。


 泣いているのが女性ならば背中の一つでも擦ってやろうかと思うが、相手はオッサンである。俺はなんとなく居心地の悪さを覚えながら、おつまみチーズの袋を取りだすと、バリっと封を開けた。


「食います?」


 と坊さんに袋の口を向けて差し出す。

 男同士だ。おまけに相手はオッサンだ。これ以上の慰めはしないと俺は決める。


 坊さんは一度鼻をすすってから、大きく頷いた。涙に濡れた右手を法衣で拭いてから、袋の中に差し入れる。

 取り出したチーズを口に入れ、黙って咀嚼した。


 俺も一つ、口に入れた。オヤジが隠していただけあって、いつものツマミよりも美味い。


 俺たちは並んで、おつまみ用のチーズを無言でもりもり食った。


 坊さんの前に並べられたご馳走の山に手をつけられないのが、俺は残念でならなかった。なにせそれらのご馳走は、どれもこれも実に美味そうだったのだ。

 『何も見えない』坊さんが、心底羨ましくなるほどに。


 

 坊さんは、僧名を正栄しょうえい、苗字をたちばなと名乗った。


 正栄さんの求めに応じて『見えない』祭りや村人達の様子を説明し、いくらか雑談した後で俺が家路についたのは、なんと、深夜零時を回ってから。


 「遅くならせてごめん」と平謝りする正栄さんに家の前まで車で送ってもらった俺は、ソロリソロリと玄関に続く石段を上がった。


 なるべく音を立てないよう細心の注意をはらいつつ、玄関扉を開ける。


 そんな俺を待ち構えていたのは、暗闇の中でコードレス掃除機を木刀のように構えたオカンだった。


「今何時や思っとんねんアホボケカス!」


 玄関に踏み入った途端、オカン渾身の一撃が俺の左横っ腹に命中したのは、言うまでもない。

 合掌。


〜完〜

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの日消えたあの祭り みかみ @mikamisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画