後編
中学三年になった私は、最後の中総体に向けて、稽古に励んでいた。
初心者の頃とは違い、袴の足さばきも様になってきていて、すり足にも慣れたし、太刀筋も鋭くなった。さらには、伸びた身長のお陰で、試合にも有利になってきた。
身長差があれば、面を狙いやすい。
「良い技、教えてやる」
ある日道場のオジサンが、ニヤニヤしながら教えてくれたのは、『小手すり上げ面』という技だった。
長身(といっても160センチ)の私は、小手を狙われやすい。
ドン、と打って来られた相手の竹刀を、払うのではなく上にすり上げるようにして、そのまま面に行く技だ。
相手は小手を打つ姿勢だから、体は前のめりになっていて、面はガラ空き。
私は小手を防ぐのと、面へ行く動作を同時にしているので、予備動作不要で面に飛べる。
「これヤバいすね」
「だろー」
――面白いように、面が取れまくった。
◇
「悔しい……っ」
ボタボタと落ちるユイとアコの涙が、
一回戦突破できると思っていた団体戦は、やはり四―一で負けてしまった。
『先鋒以外は
先鋒の私は、「情けない」のと「そりゃそうだよな」の相反する気持ちで動揺している。
――もしかしてこれ、私のせいなのか?
道場通いを続けていた私は、恐らく弱小校の中では、実力が突出して見えていたのだろう。
「ひぐ、せっかく、イオリが、勝ったのにぃ、ごめんねえええ」
号泣するアコの背中を、撫でるしかできなかった。
「さあ、個人戦が、あるぞー! 気持ち、切り替えよう!」
熱血教師の言葉に、素直に頷くも……個人戦も初戦敗退が続いた。
私以外は。
◇
「あれ……もしかして次、ベスト8?」
ホワイトボードに貼られている個人戦トーナメント表の、自分の名前を指で追いながら、気づいた。
「お! 残ってるなぁ、当然だなぁ」
「中野さん。こんにちは」
私を別の道場に誘ってくれたオジサンが、ニコニコして立っていた。『小手すり上げ面』を教えてくれた人だ。相変わらずものすごい福耳だなあ、と関係ないことを考えてしまう。現実味がないからだ。
「ベスト8て、ヤバいすよね」
「ヤバくない。すごいぞ!」
会話がかみ合っていない。いつものことだ。
「準々決勝からは空気が違うからな」
そう冷静に話すのは、武具屋のオジサン兼道場師範だ。試合の審判でもあるので、審判の格好をしている。実は剣道協会ではとても偉い人らしい。
「あ。松さん。こんにちは」
「イオリちゃんなら、大丈夫だよ」
ものすごい怖い顔なのだが――しかめっ面で剣道の武具店にいるのは、シャレにならない。稽古では、殺される勢いでしごかれる――実は優しい。竹刀のバラし方も組み立て方も、全部松さんに教わった。
「あざっす」
挨拶をして、自分の学校のエリアに戻ると、目を真っ赤にしたユイが笑顔で待っていた。
「すごいねイオリ! 次も頑張ってね!」
「……うん」
ユイの後ろには、ユイの両親が笑顔で立っている。
ぺこりとお辞儀だけして、部員のみんなは両親が結構見に来ていることに気が付いた。
もちろん、私の両親が来るわけがない。
――孤独だな。
でも、気持ちが戦いへ向いたような気がした。
準々決勝の相手は、そこそこ強豪校の副将。癖のある動きをする女子で、
指定されたコートに行く時すれ違ったら、鼻で笑われた。
やっぱり性格、悪かった。
「キエエェ!」
甲高い声の掛け声も、耳障りだ。
――剣道では『掛け声』をする。
構えながら「アー」「ヤー」と相手を威嚇したり、精神を高めたり、大声を発することで身体能力を上げる目的がある(らしい)。
技を出したときも「メン!」「ドー!」「コテー!」などと言う。慣れてくると「ゥエーン!」「ドオオオ」「っふこぉてええええ」とかになる。個性が強すぎる。
とにかく、言わないと一本にならない。
心技体が一体とならなければ、旗を挙げてくれないのだ。当たればいいというわけではない。
当たった後も『
技を終えた後も緊張を解かず、心身の備えを怠っていないというアピールである。だから、面を打った後はしばらく手を振り上げた状態になる。
そこから中段に戻る動作の隙を突くのもまた、作戦の一つだ。
私は、彼女と鍔迫り合いをする気が全くないので、そこを突いた。
「ァメエエエエン!」
わざと面を打ってくるように誘い、するりと体さばきで避ける。
すり足で半円を描くようにお互いの立ち位置を変えながら、彼女が振り上げた手を下ろし、再び向かい合う動作に入る瞬間。
「コテーーーッ」
懐に、飛んで入る。
面の構えから降りてくる彼女の右の小手をぱしんと打ち、返す竹刀で残心をしつつ体の動きそのまま、右肩で胸元にぶつかっていった。
当然、よろめいて何とか踏ん張る相手は、無防備だ。私は小手が失敗した時のため、残心の後に立てた竹刀でさらに胴を押し込んでやろうと思っていた。
崩れきったら、面か胴か。
「っぽん!」
ババッと審判三人の旗が上がる。小手を取ってもらえたからだ。
――ちぇ。残念。
トドメを刺しそびれた気分になった。きっと、そんな風に思えた時点で勝敗は決していたと思う。一本も取らせず私は準決勝へ進んだ。
◇
次の相手は、ほんわかしているけど私より一回り大きい女の子。強豪校の中堅で試合会場で会う度に「いおりん、やっほぅ~」と声を掛けてくれる。
私より一回り大きい、ということは身長170センチはあるということだ。体重は秘密らしいが、60キロは楽に超えているであろう。
パワー勝負なら絶対負ける。
ほんわかさんは、先ほどの相手と違って鍔迫り合いが苦手なのを知っていた。ならば――
「ホァアアアア」
甲高い裏声は、ソプラノみたいだ。
さすが強豪校の中堅を
今までの相手とは格が違う。
隙がなく、自分より大きい相手と戦うことは滅多にない。どう攻めるか、と迷っている内に小手に向かって相手の竹刀が降って来た。
――え、小手? 面じゃなく?
疑問に思っている内に、勝手に手が動いた。
ガチン、シャーッ、パン!
――あ、やべ、叫ばなきゃ。なんだっけ。えっと。
「メーーーーーン!」
「一本!!」
無意識に放った小手すり上げ面が、決まった。
ほんわかさんは、大きいからか、面を取られたことがほぼない。
開始線に戻りながら、彼女の動揺が手に取るように分かった。なら、後は。
「はじめ!」
「やー!」
審判の声に被る勢いで発声する。
膝をふわり、ふわりと上下するように軽く曲げ伸ばしする。
ダン。
踏み込みと呼ばれる、右足で床を鳴らす動作をする。
この、「床を鳴らす音」も重要だ。
心技体の一致、に組み込まれている動作だからだ。
技を決める箇所、発声、踏み込み、残心。
全て揃っていないと、一本にならない。
ふわっ、ダン。
彼女の肩が、波打った。
ふわっ。
「コテーーーー!」
「!!」
飛び込んだ私の面金の向こうで、驚いて目をまんまるくしている。
可愛い、と思える余裕があった。
「一本!」
勝った実感は、あまりなかった。
会場が尋常でなくどよめいていたのも、気になっていなかった。
コートから出て一礼、
何度も繰り返している動作だから、無意識である。
「いいいいいおりいいいい」
「?」
竹刀と外した面を脇に抱えて戻ると、部員全員が涙目だ。中でもユイの目が、真っ赤になっている。
「けっしょおおおおおおおおおお」
「は?」
「つぎ! けっしょうせん!」
けっしょうせん。単語の意味が、飲み込めない。
「準優勝確定だよ、すごいよ……」
アコが、流れる涙を手の甲でぬぐっている。
「あー……やべえ」
――ついうっかり、勝っちゃったなあ。
私は不謹慎にも、そう考えていた。
◇
「え。誰」
「てか、どこのガッコ?」
個人戦決勝戦のコートは一面しかない。
今までは、体育館の四面を使って男子二面、女子二面で行われていた試合が、一面に集約される。
自ずと観客は周辺に集まる。三重四重に囲まれた人の波は、入場する動線だけ空いている。
まるで花道だ。
そこを面を着けた状態で通る時、左右から様々な声を掛けられた。声というか罵声というか。
もちろん、見知らぬ人たちに。
「うっそ。弱小じゃん」
「ええー」
「知らんし」
そりゃそうだ。誰も団体一回戦負けの学校の生徒が、決勝に残るとは思わないだろう。
一方、私の対戦相手はというと、全国大会常連校の大将だ。全員の予想通りだし、中学三年間を通して無敗を誇る彼女は、私より二回り大きい。
「175センチ、75キロ! わかりやすいっしょ!」
「うわー」
明るく人懐っこい彼女は、以前そう教えてくれた。
鍔迫り合いは、ダンプカーに体当たりするようなものだし、剣筋も早い。
インターハイ常連高からスポーツ特待の話が来ていて、既に受けた、と聞いたばかりだ。
「ふう」
勝てるわけがない。
だから、気楽だな。
竹刀を構えるまでは、そう思っていた。
主審が松さんと気が付いたのは、
――あはは。結構、テンパってるなぁ私。
だがそれ以上に、相手がテンパっていた。
見て分かるぐらいに、肩にガチガチに力が入っている。呼吸も乱れている。
ぐおん、ぐおん、と無駄に剣先が揺れている。
わしっ、わしっ、と音がするぐらいに、
会場中が、息を呑む音。
身じろぎすら許されない緊張感。
そ、と私が足を出す度に、ビクリと空気だけが動く。
何度か体裁きをして誘うと、ぱたん、と彼女の面布団の裾が小さく羽ばたいたので――飛んだ。
相手の竹刀を、私の竹刀がふわりと飛び越える。
大きく右膝を曲げ、床をダン! と打ち鳴らして着地した。
パシィンッ!
乾いた音、それから思い切り叫ぶ。
「コテーーーーーーーー!」
バババッ。
三本の旗が同時に上がった。
「っぽーーーーん!!」
ギャアアアアアアアアア!
ウソオオオオオオオオオ!
ワアアアアアアアア!
「やべ」
思わず声が漏れた。
一本、取ってしまった。失敗した。
幸い、会場中の悲鳴でそれが打ち消されたことには、安心した。
私の応援をしているのは、私の学校の人たちしかいない。
「うはー超絶アウェイ」
ぼそぼそと声に出しながら、開始線に立つ。
「勝っちゃだめだ。私は」
彼女は、『個人戦優勝』のブランドを背負って、強豪高に入らないといけない。
周囲もそれを期待している。
私には、何もないんだから。勝っちゃだめだ。準優勝で十分だ。
それからの試合は――何度もトラックにひかれるってこんな感じなのかな? と思えるほどの体当たりを喰らって、面を二本取られた。意地でも場外には出なかったけど(場外に二回出たら、一本取られる)。
会場中が、ほっとした。
そんな体験をしたのは、私ぐらいだろう。
「残念だったなぁ」
主審の松さんに試合後そう声を掛けられて、顔を見ることができなかった。
幸い、悔しがっていると思ってくれたようだ。
――ごめんなさい。手を抜いて。
本当は、申し訳ない気持ちと、嫌悪感と、自虐心。
生まれてしまって、ごめんなさい。
◇
私にも実は、決勝の相手と同じ学校からスポーツ特待の話が来ていたと知ったのは、だいぶ後だった。
松さんが勝手に「あの子は勉強ができるから、誘うな」と断ってくれたらしい。
福耳の中野さんが「実は俺、進学高の先生なんだよねえ」と笑いながら、ウチのガッコ受けなよ、と言われたので素直に受けた。
剣道部顧問だったらしく、えへへ~スカウトスカウト、と言っていたけど、きっと何かを悟ってくれていたのだと思う。
「俺、結構偉いから便宜図ってあげようと思ったのに、イオリは普通に成績良いんだもんな」
高校の入学式の後で先生面して言われたのには、イラついたけど。
「色々あるけど、好きにしたらいいんだぞ~」
好きに、か。
「ねえ、ばあちゃん。私、大学いきたい」
初めてワガママを言ってみたら、ばあちゃんが号泣しながら持ってきてくれたのは、帯の付いた一万円札の束だった。
「ばあちゃんの、へそくり。百万ある。これしかない。足りるか? イオリちゃんにあげる」
「……ありがと」
オヤジは「国立大学に入ったら、あんたの親戚に良い顔できるでしょ」と言って黙らせた。
プライドが無駄に高くて自尊心の強いヤツなので、その話は魅力的に映ったらしい。隷属する母親は、無言で書類をそろえてくれた。
あの時負けてよかった。
確かに私の切っ先から『勝ち』はこぼれ落ちたけれども、私の未来は――ここに繋がったのだから。
「なにこれシラバスって……いったいどの講義取ればいいんだよ……」
桜の舞い散る向こうに見える道は、まるであの決勝戦の花道のようだった。
負けてもいい。ただ進めばいい。
「はあ。とりあえず、生きてみるか」
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