Monologue

赤鐘 響

Glasses talk


 眼鏡をかけていると言う表現は正しいのか否か。

 例えば私。私の視力は、残念な事に0.1を切っている。物凄く目が悪いのである。

 どれくらい悪いのかと言うと、裸眼では20センチ以上物体が離れてしまうと、それを鮮明に捉えることができなくなるくらいだ。

 そんな視力の悪い私が、眼鏡を外して生活をすればどうなるか、想像に難くない。

 つまり私は眼鏡がなければ生きていけないのである。

 眼鏡をかける。

 この言い方は自らの意思で眼鏡をかけるという意味がある。

 お洒落な伊達メガネをしている人達なんかがそうだ。彼らは自らの意思でかけている

 では、私の場合はどうだろうか。無論、私も自らの意思で眼鏡をかけている。

 だがそれは、眼鏡をかけなければ生活が出来ないという前提の上での話であり、出来れば僕は眼鏡をかけたくはない。

 かけたくもないのに、かける。

 これは果たして眼鏡をかけていると言う言い方で正しいのだろうか。

 否、間違いである。

 正しくは、眼鏡をかけさせられている、だ。

 私自信が100%望んで眼鏡をかけていないのだから、かけているだなんて上から目線の言い方は正しくない。

 私は眼鏡をかける事を強制されているのだ。故にかけさせられている、が正しい言い方なのではないだろうか。

 敢えて別の言い方をするなら、眼鏡をかけさせて頂いている、という物凄く謙った言い方があるが、何故眼鏡に対してそこまで謙る必要があるのかという新たな問題が発生するので、言及はしない。



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