4.同じ二人


「睦美、今日もかわいいわね。愛してるわ。新聞持って来たよ」

「ちょっと、やめてください、こんな人が多いところで」

 睦美は、仕事終わりの時間帯に玲子と待ち合わせして繁華街の人が多い場所で会うことになった。万が一彼氏に見つかったとしても、多くの人の目があるため暴力を振るわれる可能性が低いからだ。

「えー、いいじゃん」

「よくないです。新聞見せてください。持ってるんですよね?」

 玲子が持参した新聞には、睦美が取材を受けて答えた内容が載っているのだ。気になるのに玲子はなかなか新聞を渡してくれない。適当に選んで入った洋食レストランのテーブルにはメニューが置かれているが、そんなものより新聞を先に見たいと睦美は玲子を促す。

「ううっ、やっぱ見せるの恥ずかしい……」

「あれ、そういえば、玲子さんが恥ずかしがるところ初めて見たかも」

「睦美はしょっちゅう恥ずかしがってるけどね」

「……そりゃそうです……。いえ、それより、新聞を」

 睦美に何度も催促され、玲子が大きなビジネスバッグからのろのろと新聞を取り出して手渡す。睦美は何枚かページを繰ってコラムを見つけると、食い入るように記事を読み始めた。

「あー恥ずかしい。ね、睦美、エビグラタンでいい?」

「え、ああ、はい」

「何て適当な返事……睦美のそういうとこ好きよ。すみませーん、注文お願いします」

 玲子が店員に注文を告げてしばらく経ってから睦美は玲子のコラム記事を読み終えて、ほぅと息を漏らした。

「玲子さんすごい。こんな堅い記事書けるんですね」

「あーもう、本当はもっと早く載せてもらう予定だったんだよ。二週間も遅れちゃって、腹立つわ」

「何で遅れちゃったんですか?」

「んー、ビルマとか中東とかで色々あったから、コラムに大きく紙面を割けなくてね。しょうがないってわかってるんだけど」

 最初の取引通り、睦美は取材に対しての報酬を受け取った。いらないと言っても『引越代の足しにすればいい』と押し切られ、渡されてしまったのだ。

「玲子さん」

 眉根を寄せて水が入ったグラスを睨んでいる玲子に、睦美は声を落として話しかけた。

「何?」

「何であの時、わかるって言ったんですか? 私も同じって、もしかして……」

 『わかるのよ。私も、同じだったから』という玲子の言葉を、睦美はずっと気にしていた。尋ねるのが憚られて口に出せずにいたが、新聞に玲子のコラム記事が掲載されたという一区切りついた状況で、睦美は改めて尋ねてみることにした。

「今更それ聞く? あのね、言葉通りで、私も彼氏に体売ってこいって強要されたのよ。私の場合は基地のゲート前じゃなくて、もっと人が多い東京の方に行けって言われたんだけど」

「そ、そうだったんですか……」

「でもね、売らなかったの、結局。東京に行くのに三十分以上……乗り換えがあったから四十分くらいかな、電車に揺られるじゃない? そうするとね、だんだん冷静になっていくのよ」

「へぇ、そういうものなんですか」

「うん。で、目的地に到着する頃にはもうすっかり馬鹿馬鹿しくなってたの。おなかすいてたから改札出て目についた喫茶店に入ったんだけど、ミートソーススパゲティ食べながら『あいつ殺す』って思ったわ。いや、やらないけどね、犯罪だし。それで、現実的にできることとして、逃げようって決意したのよ」

「うまく逃げられました?」

「それは大丈夫だった。引っ越しもしたし、上司に相談して異動させてもらったし。たぶんあっちもプライドがあって、逃げられたなんて思いたくなかったんだろうね。今頃きっと、何事もなかったかのように暮らしてると思うわ。あ、私もその時、二十三歳だったのよ」

 聞いてみると、本当に睦美とほぼ同じだった。睦美も転職と引っ越しで、加害者である元彼氏から逃げることができている。まだそれほど日数は経っていないが、あの恐怖を味わうことがなくなったと思うと心の底から喜びが湧き上がってくる。

「ほんと、同じ……」

「うん。だからあの時、声かけたの。きっと同じ境遇の子だろうって」

「そっか……」

 睦美は運ばれてきたエビグラタンをスプーンですくって口元へ持っていくが、熱くて食べられない。

「睦美、気を付けてね」

「え、はい」

「私があとでキ……」

「あつっ!」

「睦美……気を付けてって言ってるそばから……」

 しょうがないなと苦笑いする玲子の優しい表情に、睦美がグラタンの熱さで涙を浮かべながら苦笑いを返す。

「玲子さん」

「ん?」

「答えたくないならいいんですけど……、男の人、嫌なんですか?」

「ああ、うん、もう嫌だね。どんなに格好よくても、嫌」

「……私も。同じ、ですね」

「そう、同じだよ。睦美、明日休みだよね? うち来なよ」

「はい」

 『同じ』で安心するのは女性ならではなのだろうか、もしそうなら尚更取材を受けてよかったと、睦美は心から思う。隠された暴力という恐怖に支配されている被害者は自分一人ではないということに、きっと今頃新聞のコラムを読んだ誰かが気付いているはずだ。

「今日も洗ってあげます」

「ふふ、楽しみにしてるね」

 あの薄青色のタオルケットに玲子と一緒に包まれている時間が、睦美は好きだ。壊れ物を扱うように肌に触れる指も、時に激しく重ねられる色っぽい唇も、つい出してしまう声をかわいいと言われるのも。

 睦美にだけ見せる玲子のかわいい笑顔は、冷ましながら口に入れたエビグラタンをよりおいしくしてくれるような気がした。





[後書き]

DV被害者は女性だけではないですが、この当時は女性が受けている被害がやっと世間でクローズアップされつつあったので、こういう書き方をしました。決して男性への被害を軽視しているわけではありません。念のため。

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【GL】彼女がそこに立つ理由 祐里 @yukie_miumiu

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