第6話 ペアのマグカップに願いを込める
ふぁ、と気の抜けるような欠伸を目にして、竦んだ身体から力が抜けた。
わかりやすくむにゃむにゃと唇を柔らかく動かして、眠気を
灰色の大きなストールに包まり、「さむぃ」としおしおになっている姿はとてもではないが店員には見えなかった。
大丈夫か、この店。
客の前だというのにうとうと船を漕ぎ出した店員さんに不安がふつふつと湧いてくる。
だらけているというか、やる気がないというか。
店員さんの態度と比例して店頭に並んでいる商品の質が下がるわけではないのだけれど、イメージは大切だなと思わされる。
とはいえ、ここには惑依さんも訪れていた。
ちらりと姿を見ただけだが、店員さんとの仲は悪くなさそうだった。常連かはわからないが、時折、買い物をしていそうな空気はあって。
なら、大丈夫か。胃から喉まで迫り上がってきた懸念を飲み込む。
歩く。見て回る。
意識を切り替えたからといって、財布の中身は変わらない。
懐事情とご相談できる物はないだろうかと、商品よりも値札を注視して目を細めていると、
「なにか探しものぉ?」
ふわっと、延びて緩んだ声が肩を叩いてきた。
首を縮める。
まさか声をかけられるなんて思わなかった。
見ているだけでくらくらする黒いアラビア数字の列から目を背ける。
振り返ると、半分瞼を閉じてとろんと眠気が見てとれる緩んだ顔に出迎えられた。
「探してはいますけど、特定の物ではないといいますかぁ」
しどろもどろ。
これが礼儀正しい店員さんが案内を申し出たのなら、僕とてさらっと『大丈夫です』とお断りできる。
けれど、店員というにはどうにも気安い尋ね方で、返す言葉にも迷いが混ざる。
あれだろうか。
画一化された系列店とは違う、地域密着型の商店街ゆえの親しみというか、遠慮の無さ。
人付き合いを苦手と思ったことはないけれど、初対面の女性と友達のように話せるほどコミュニケーション能力は高くなかった。
愛想笑いを作る顔。
たぶん、引き攣っていて。
彼女の態度に僕は困ったと悩むばかりなのに、カウンターの中で猫背で丸々店員さんは「ほほぅ?」と目を光らせる。
えぇ……なに怖いと率直に思っていると、
「恋人へのプレゼントかなぁ?」
「んごふぃっ!?」
鳩尾に膝を打ち込まれた衝撃だった。
かひゅ、かひゅ、とお腹を凹ませるのと連動して口からか細い息が漏れる。動揺がお腹の中で暴れ回っている。
時期柄か。それとも、僕がわかりやすいのか。
急所直撃な質問に息も絶え絶えになりながら、「ま、まぁ……プレゼントではありますね」とマフラーを緩める。首周りはむわっとしていて、吹き出す汗で濡れていた。
「へぇー?」
にんまりと。
猫のように目尻を垂らし、口の端を持ち上げる店員さんの意味ありげな視線に背を向ける。けれども、店員さんの顔が見えなくなったところで、背中にはひしひしと生暖かい気配を感じて吹き出す汗で肌を濡らす。
もはや、商品すら目に入らない。
「でも、珍しいねー。
学生さんがクリスマスのプレゼントをここで選ぶなんて」
「そう、ですか、……ねぇ?」
つっかえつっかえ惚けてみせるが、内心はそうだろうなぁと得心している。
「そうなの。
やっぱり、敷居が高いのかなぁって」
あと、お値段。
付け足すように言われ、値札を見て……うん、まぁ。
平然と4桁が並ぶ価格は学生には厳しいものがある。紅茶ってこんなに高いんだなと思い知らされている。
ペットボトルの紅茶ですら美味しい美味しいと飲めてしまうのだから、舌も格式も。色々な意味で敷居が高かった。
こんなところで学生がプレゼントを選ぶのは背伸びどころではない。
足が逃げたがっているが、ここ以外にプレゼントを選ぶ店の候補もなかった。
宙吊りにされた心地で値札を睨む。
「彼女さんの影響?」
「っ、……いえ、いえ、いえ?」
語尾が裏返った。
嫌だなぁと思いつつも肩越しに店員さんを確認すると、にゅふふと聞こえてきそうな口元で声に出さず笑っていた。
デジャヴぅ……。
昨日、店の中に居た惑依さんを思い出す。彼女もこんな風にからかわれていたのかなと思うと、なにやら共感めいたモノが胸に満ちる。とてもとても情けない部分での共感だけれど。
木製のカウンターにへばって。
ぐだーっと伸びる姿は接客業としてどうなのかと思うのだけれど、細く緩められた、親しみのある琥珀の瞳に見つめられても嫌悪感は湧いてこない。
人柄なんだろうなぁ。
緩さを伝染させるというか、ふわふわとした雰囲気に絆されてしまう。
惑依さんとは正反対。
なにもしてなくても女性から嫌われてしまう彼女を思い出してなんだか切ない気持ちになってしまう
「なににするつもりぃ?」
興味本位か。相談に乗ってくれるつもりなのか。
眠たげに薄められた瞳を見返して微妙なラインだなと思いつつ、「まぁ、消え物がいいかなぁ」と正直に答える。
「んー?」
疑問を声にした店員さんは、首を傾げる代わりに突っ伏していた顔を横に転がしてほっぺをカウンターで潰す。
「なんでぇ?」
「……なんでと言われましても」
純粋な疑問に目が泳ぐ。
なぜ消え物なのか。どうして、残る物は駄目なのか。
それは、恋人だけど恋人じゃないからで、
「形に残る物は……、その、重いですから」
抵抗があった。
「そうかなぁ?」
上手く伝わらなかったらしい。
伏せていた上体を起こして、店員さんは肩のストールを撫でる。僅かに開いた琥珀の瞳が丸みを帯びて、僕を映し出す。
「大切な彼氏から貰った物なら、大事にしたいと思うし、されてほしいと思うんじゃない?」
「普通は……そうなのかもしれないですけど」
普通じゃないからなぁ、と声にせず零す。
そもそも相手も普通じゃないし。
惑依さんの部屋で押し倒された記憶を脳裏に浮かべる。頬が熱を思い出した。
「わからないけどさぁ」
店員さんが唇の下を指でなぞる。
そのまま流れるように動かして、すっと華奢な指先が茶器の置かれた棚を差した。
にへーっと彼女の顔が緩む。
「白と黒。猫のペアマグカップ。
おすすめー」
値段もね、と言われて指先を伝えば、確かに他の商品と比べればお手頃であった。
カップル向け。クリスマスに向けた物なのかもしれないが、きゅっと唇を噛む。
「可愛い、とは思いますけど」
けど。けど。けど。
ペアのマグカップはちょっと。なんというか。カップルにしても、頭にバカが付きそうだし。
そもそも、残る物は重いという話をしているのに、ペアともなると重いどころか、臓器が焼けて灰になりそうなぐらい羞恥で燃えそうだ。そんな物を贈ったら……想像しただけ身悶えるし、黒歴史に新たなページを刻みそうだ。
「願掛けだよぉ、願掛け」
ペアのマグカップがどう願掛けになるというのか。むしろ、こういう揃いの物って、持っていたら逆に別れそうなイメージがあるんだけど。そして黒歴史。
「片方を贈って、残りは自分で持ってて。
ペアなんて言わないでさぁ」
ぐっと両手を大きく広げる。
「なが~く続くのを期待する、なんて。
良いと思うなぁ」
「……そういう、ものですかね」
白いマグカップの上を歩く黒猫に触れる。
指先を動かすと、ざらっとしていて。
一緒に居ようという約束ではなく。
長く一緒に居られれば、という願い。
今の僕たちの関係からいえば、そういう願掛けは合っている気もする。
だけど、そうじゃない気もした。
だって、長く続けたいっていう希望や期待なんて思ってなんかいなかった。考えてもいない。むしろ、いつか終わると常に頭のどこかにあって、惑依さんとの関係を進めようとなんて思えなかった。
けど、それでも。
「……期待ぐらいは、してもいいのかなぁ」
溢れた声は小さく、囁くようで。
自分の耳にすら届きはしなかったけれど。
思いは生じて、小さな小さな期待が蝋燭のように灯った気がした。
■■
思えば、デートというのは人生初めてなんだな、と待ち合わせ場所に立ちながら今更思う。
駅前のコンビ二で買った缶コーヒーで冷えた手を温めて待つ。
改札に繋がる階段に傍で右に左に通り過ぎていくのを、水族館の魚でも見るように眺める。
道行く人は誰もが個性があって違うはずなのに、よくある駅前の風景だなと思うのは1人ひとりはどうでもよくって、ただ人が歩いてるなという認識しかないからなのか。
注目する人も物もないから、視界に映る光景をただの1枚の絵として見れない。
そのはずだった――のだけれど。
人々の流れという1枚の背景の中で、ふっと浮かび上がってくる人が居た。
彼女は長く、緩やかな波打つブラウンの髪を冬の風で揺らしている。
足首まで届きそうなスカートを翻さないよう急がす、小さく歩き。
すっと、顔が上がる。
暗い、紫の瞳が影の中で妖しく輝いていた。
「お待たせしました」
目の前で呼ばれて初めて気が付いた。
1枚の風景画から抜け出した美しい女性が、惑依さんであったことに。
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