青がない
いすみ 静江
青がない
わたしは、あなたをあなたと呼び、あなたは、わたしをキミと呼びます。
◇◇◇
そんな風になるまで、二十三年も付き合いましたが、子宝には恵まれませんでした。
結婚して子どものいる家庭を持つのが自然とは言えなくなりました。
最初は女の子がいいと遠距離恋愛の懸想文に書いてくださり、名前の候補が便箋もない彼からレポート用紙で届いたものです。
夢を叶えられなかったけれど、あなたは、わたしを愛おしく想ってくださいますね。
◇◇◇
山里の中で、ひっそりと暮らしておりました。
ところが、今年の海の日に、本当に海に行こうと誘ってくださり、しゃっくりが止まらない程驚きました。
もういい年して、久し振りのドライブで行く気満々です。
「キミ、いいだろう。レンタカーは、カローラ1100の青いボディー。1100とは、『プラス100ccの余裕』のキャッチフレーズで売り出していたんだ」
「初めてあなたが欲しいと思った車でしたね。この色もいいって」
あなたが、キーを差し込み、この感覚がいいとときめいていて、わたしも嬉しく思いました。
「キミ、シートベルトは大丈夫だね。よし、出発!」
「まあ、朝霧が晴れたら、随分と爽やかですね。あなた」
エンジン音は、昔の風合いを感じさせます。
そして、あの大きな大きな青い空は、あなたとわたしを夏に誘います。
入道雲を追っているのに、走れども走れどもブドウの実に似た水滴の中に入れませんでした。
明るい太陽の旅は、永遠に続くと思っていました。
けれども、ざざざと黒雲が顔を広げ、あっと言う間にゲリラ豪雨に変身したのです。
そのうち、雷まで鳴り出して、ぴしっと空が割れる様が、車の窓をうがつ雨が、恐ろしく感じました。
「あなた、お天気がすぐれないから、あの山門へ着く前に去りましょう」
「キミは臆病だな。山寺前さえ抜ければ、この青いボディーのように、空も変わるよ」
あまりに強い雨でした。
そして、久し振りの山門のコースでしたから、不安もつのります。
このお地蔵さんの道を行けば、高台を抜けて隣町へ近いのは確かです。
胸が一瞬にして飛び上がりました。
ドッドッドッ……。
くすんでしまった青のカローラ1100の唸り声とわたしの鼓動が重なります。
「あなた、確かこの辺りになかったかしら」
「何がだい」
ドドドドドドドドド……。
私は心の臓が虫けらのようになりました。
細かく刻み、息もあがって来ます。
「キミ! あったか? こんな所に信号が!」
「あったから、青信号が光っているのでしょう」
あなたは、ハンドルをぐっときって青信号のお化けを避けようとしました。
「あ、あ、人影が……!」
だぶだぶと流れるゲリラ豪雨の中、二人で近付きます。
肝を冷やして、50CCバイクの女性を確認しました。
横たわって指をピクリとも動かしません。
投げ出されたまま、動かないでいます。
「青信号で渡ったバイクをひいてしまったのでしょう。あなた、脈拍がないわ……」
救急車を呼ぼうと何度コールしても通じません。
「キミ、どうしようか?」
「あなた、警察にしますか?」
暫く答えの出ない問答を続けた後、振り返ると、いつまで待っても青信号のままでした。
初めて、あなたとわたしが、顔面蒼白で立ち尽くします。
「青……」
後ろから視線を感じます。
お地蔵さんの側にお
消えそうな文字で、
雨で濡れすぼったお地蔵さんもこちらを見ていました。
【了】
青がない いすみ 静江 @uhi_cna
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます