"フィクション"がどれだけ"現実"を食い破れるかに迫った問題作

私はこどもの頃から本が好きで、かなりの数を読んできました。
いわゆる"ノンフィクション"も好きであり、文章・映像作品(ドキュメンタリー等)を相当数読む、または視聴してきたと思います。

フィクションのもたらす効用、それは治癒であったり打撃であったりしました。
苦しいことこの上ない現実世界で生きることの緩衝としてフィクションを摂取することで、自身が現実というノンフィクション的なキツイ場所で生きながらえてきたという感謝の念もまたあります。
ただし、この作品は全く違います。

読者がこの作品をエンタメとして受け取るかどうかは未知ですが、フィクションが秘める潜在的チカラが無尽に襲いかかってきます。
『亡霊の注文』はフィクション供給側から仕掛けられたノンフィクション(≒現実)への挑戦状だと思います。
という意味では、この作品はパターンがほぼ出揃い分析され尽くした「叙述トリック」とも異なるジャンルを開拓したといえるでしょう。
この「開拓」がどのような影響をもたらすか、私は知りませんし、作者も予測できていないと思います。

挑戦状といっても身構えなくともよく、エンタメとして読む面白さは保証できます。
メタがどうのと文学言辞的に小難しいタームや、些末でどうでもよい話はアタマがよすぎる作者によっておそらく意図的にすっとばされています。
まずソコがうまい。

読み物として面白いこと。
そしてそれが現実を侵食するチカラを持っていること。
この2点については確実に証明しています。

無論、フィクションが現実に生きる人間に与える効果についてはこれまで幾千言を費やして分析されてきたテーマではあると思います。
あの藝術作品に出会ったことで、私の人生は決定的に変わった、等。

しかし、この作品は違います。
フィクションというものがその機能として内在している可能性(その善悪はさて措き)が周到に計算され尽くしている。
計算され尽くしているが、その上で我々に「まる投げ」されてもいる。

メチャうまなラーメン屋さん。
こんなにおいしいモノつくったんだけれど、じゃあお前たちどうなのどうするの? と。
私はきちんと答えるべきだと思います。
「俺たちただラーメン食ってるだけじゃねえから」という怒りかなしみ感動が突き上げて言語化しようと格闘してしかるべきなのでしょう。
ここらの問答や決闘はあまり「ブンガク」ではなされていないから作者はこういうコトすら狙いすましていたのか。

さて。という総括。
フィクションという媒体が読み手が生きている現実を食い破る危険性と可能性があることが示唆されている危険極まりない作品。
恐ろしい作品です。

フィクションが現実世界に及ぼす影響をここまで確実かつ的確に捉え、吟味し、内省しつつ冷徹に書かれた作品を私は知りません。読んだこともありません。
「ブンガク」に対する転換期に自分は立ち会っているのだなという生々しい興奮を覚えました。

この作品の真正なる価値は、後の歴史が証明することになるでしょう。

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