人豚

気の言

人豚

 かつてこの世界には白人による黒人への奴隷制度があった。

 しかし、時代が進むにつれて一定の差別が残るものの、白人による黒人への奴隷制度はなくなった。

 けれどもこれは白人が人へ黒人が「豚」と呼ばれる物達へと変化したにすぎなかった。

 時代が進んでも奴隷制度は決してなくなることはなかった。

 まるで我々が生きていくために行っている生存活動の一部であるかのように。


 君達は一体何者なのか。

 ヒトか? 

 それともブタか?

 その答えを知ることはできない。

 ただ一つ知ることができるのは、これからの世界を支配するのはヒトかブタだということだ。


 ***


 一面に土砂が広がっている。

 そこで彼らは蟻の行列のように土砂を運んでいた。

 土砂を運ぶことに意味があるのかはわからない。


 彼らの耳には個体識別番号が書かれたプラスチック製の耳標が付けられていた。


「おい! 豚共! さっさと運べ!」


 そう怒鳴っているのは彼らと違い汚れ一つない服を着た男だった。

 男は指導官と呼ばれる役割を担っており、彼らが土砂を運んでいるのを監視していた。


 彼らは「豚」と呼ばれている。

 もちろん彼らは豚の姿をしているわけではなく、人の形をしている。

 ただ、彼らは性別を問わず獣臭く醜い容姿をしていた。

 そのことが原因してか、いつからか「豚」と呼ばれるようになっていた。


「8487! 何してる! また躾け小屋に行きたいのか?」


 作業に手間取っていた8487と呼ばれた若い男らしい物が指導官に怒鳴られていた。

 耳標には「JP2123924-8487K」と書かれており、全身にはムチで打たれたような痕があり酷く痩せこけていた。


「す、すみません! すぐに運びますので」


 よろよろと歩きながら8487は土砂を運びだした。


「チッ! 豚風情が俺に口聞いてんじゃねぇよ」


 指導官は舌打ちをした。


 ***


 警報が鳴った。

 朝礼の合図だった。

 土砂を運んでいた彼らは直ちに作業を切り上げ、速やかに三列横隊で並んだ。


「今日から、お前ら豚共がしっかりと働いているか確認するために観測官様が来る。だからキッチリ働けよ。少しでもサボったら即刻殺処分だからな!」


 指導官は強力なスタンガンの棒をちらつかせながら言った。


 ***


 観測官とは、世界に僅かしかいない上流階級からしかなることはできない。

 上流階級でも八つの位に分けられておりその中で最も位の高い「真人」と呼ばれる位の者からしか観測官に選ばれることはない。

 そして、上流階級よりも地位の高い絶対的存在を「現人神」という。

 この位に就いているのは5人しかいない。

 この5人が今の人と豚と呼ばれる物達の関係性を作ったと言われている。


 ***


「以上だ!」


 指導官の掛け声とともに一斉に彼らは動き出した。

 彼一人を除いては。


「またお前か! 8487! さっき言った言葉がわかんねぇのか!」


 8487は転んで動けずにいた。


「あーわかんねぇか。だって豚だもんなッ!」


 そう言って指導官は8487の腹を思い切り蹴り上げた。


「ッ! ゲホッ……」


「ゲホッじゃねぇよ! 豚なら豚らしくブヒッとでも鳴け!」


 指導官は何度も8487の腹を蹴り続けた。

 誰一人彼を助けようとはしない。

 彼らは土砂を運び続けるだけで、彼に見向きもしない。


「それぐらいにしておいたらどうです?」


 まるで、一昔前の物事の本質を理解せずに綺麗事を過剰に訴え続けていた時代に発せられていたような言葉が指導官に投げかけられた。


「誰に言って……観測官殿!? 申し訳ございません! 大変失礼致しました!」


 指導官よりも身なりの良い恰好をした若い男が立っていた。

 指導官は蹴るのをやめて、観測官と呼ばれた若い男に敬礼をした。

 観測官も敬礼を返した。


「いえ、こちらもいきなり声を掛けてしまったな」


「滅相もございません。おい! 8487! とっと立て!」


 立てと言われた8487だったが、何度も蹴られたせいでなかなか立てずにいた。


「チッ……おい、そこのお前ら! そこで伸びてる8487を躾け小屋にぶち込んでおけ」


 指導官に命じられた彼らは何も言わずに8487を運んでいった。


「いや~申し訳ありません。お見苦しいところをお見せして」


「お気になさらず。改めまして、本日付けでKブロック担当の観測官となりました。以後よろしくお願い致します」


「そんな、真人という高貴な方が我々にお願いなどはお辞めください。何か御座いましたら何なりとお申し付けください」


「ありがとうございます。ではさっそく、一つよろしいでしょうか」


「はっ! 何なりと」


「指導官はいつもあのように彼らに対して指導を行っているのですか? これは決して指導官の指導に問題があるというわけではありません。むしろこのKブロックの指導率の高さはかなりの評判ですからね」


「お褒めにあずかり光栄にございます。ええ、いつもあのように指導をしております。我々が少しでも豚共に対して下手に出ると指導率の低下に繋がります。ですので、いつもあのようにどちらが上の立場であるかをわからせているんです」


「なるほど。さすが指導率の高い指導官の言葉には説得力がありますね」


「観測官殿にそこまでおっしゃって頂けるなんて、身に余るお言葉です」


 立場をわきまえるように指導官は言った。


「そんなことはありません。このKブロックは最大規模のブロックであり非常に重要なブロックです。指導官の他にも多くの官人が働いている分、指導している彼らの数も多い。そんな中で高い指導率なら評価されて当然でしょう。ところで、さっきの彼は?」


「彼? あぁ、8487番のことですか。あの豚はこのブロックで一番の出来損ないでして。私も手を焼いていますよ。今度の定期検査で陽性になってくれれば、このブロックの指導率はもっと高くなるんですがね。と言っても、今度の定期検査は当分先なんです。もう少し制限無く殺処分を行えるように御上の方々に観測官殿から掛け合っては頂けないでしょうか?」


「わかりました。優秀な指導官のご意見ですから、その旨を御上の方々に私から伝えておきましょう」


「ありがとうございます!」


 指導官は大層嬉しそうに礼を言った。


「それで、その……8487はどこへ連れて行かれたのですか?」


「私が作った躾け小屋という場所です。要は出来損ないを指導する場所です」


「そういった場所があるのですか」


「観測官殿も良ければそこで指導していかれませんか? ここでの唯一の娯楽ですよ」


 指導官は本当に楽しそうに言った。


「いえ、遠慮しておきます。指導官のお仕事を奪うわけにはいきません」


「そうですか」


「あぁ、そうだ指導官。もう一つよろしいですか?」


「は、何でしょう」


「8487を私が自由に使いたいのです。 今しがた指導官のお仕事を奪わないと言ってしまったため、あれなのですが」


「……あぁ、いえ! 構いません! 観測官殿の好きなようにお使いください。すぐ持ってこさせますので」


 一瞬、不服そうにした指導官だったがすぐに元の表情に戻った。


「すぐには大丈夫です。18時ぐらいに私の宿舎の方に寄こしてください」


「わかりました。ではそのように」


 ***


 18時きっかりになると宿舎の扉を叩く音がした。

 観測官が扉をあけると8487が直立不動で立っていた。


「君が8487番か。とりあえず入ってくれ」


「いえ、入るわけにはいきません。お部屋が汚れてしまいます」


「別に構わない。入ってくれ」


「でも……」


「なら、こうしよう。これは命令だ」


「……わかりました」


 そう言って8487は恐る恐る部屋に入った。


「実は君に頼みたいことがある」


「僕みたいな豚に観測官様が頼みですか?」


「あぁ。これから毎日、このKブロックの状況を報告して欲しい。些細なことでも何でもいい。それ以外は普段通りにしていてくれ」


「わかりました。では、僕は戻ります」


 8487は部屋を出ていこうとした。


「待ってくれ。最後に一つ質問していいか?」


「なんでしょうか?」


「君は自分のことを豚だと思っているか? それとも人だと思っているか?」


「そ、それは……もちろん豚です」


「すまない。質問の仕方が悪かった。君は豚でありたいか? それとも人でありたいか? 正直に言ってくれ。御上に誓って君を悪いようにはしない。信じてくれ」


「僕は……」


 8487はそこまで言って黙った。


「お願いだ。言ってくれ。私はこの腐った世界を変えようと思っている。そのためには君の、君達の正直な気持ちが知りたいんだ」


 8487は意を決したように口を開いた。


「僕は……僕は人でありたいです」


「そうか……君の気持はよくわかった」


「では、僕はこれで。また明日この時間に伺います」


 8487は扉を開けて帰っていった。


 ***


 それからというもの8487は普段通り土砂を運びながら、18時に毎日かかさず観測官の宿舎へと出向いた。

 観測官は8487に「今日は何か変わったことはなかったか?」と毎日同じ質問をし、8487は「今日は特に変わったことはありませんでした」と答えることがほとんどだった。

 たまに、なんとか番が躾け小屋に連れて行かれたと答えるぐらいだった。

 8487は観測官から報告をするように言われてからは毎日連れて行かれたはずの躾け小屋に行くことがなくなった。

 これは観測官が報告に支障が出るため指導官に8487を連れていかないように言ったのか、何か別の意図があったのかはわからない。


 そんな風に報告を始めてから半年以上が過ぎたころ、8487は今までにはなかった報告を初めてした。


「観測官様。今日の昼の部の作業中に指導官様が話していたのを聞いたのですが、来月の8日に指導官を中心に評定会議をするようです。特にこのブロックでは多くの官人が参加するそうです」


 8487からの報告を聞いた観測官はいつもと違う反応を示した。


「わかった……君はもう私に報告に来なくて良い。短い間だったがありがとう」


 観測官は短く礼を言った。


「もう報告に来なくて良いとはどういうことですか?」


 戸惑いを隠せずに8487は尋ねたが、観測官は何も答えなかった。


「……わかりました。僕みたいな豚が観測官様の願いに貢献できたかはわかりませんが、大変お世話になりました」


 涙ぐんで8487は観測官に別れを告げ戻っていった。


「あぁ、君は立派に私の願いに貢献できるよ」


 観測官のつぶやきは8487には聞こえなかった。


 ***


 8487が小屋へと帰ったあと、観測官は部屋の隅にある無線室へと向かった。

 無線機の前に座ると観測官は他の各ブロックの観測官、真人達に向けて暗号文を送った。


「翌月の8日、決起する。決行合図はヒト・ヒト・ヒト」


 暗号文はこの文言で送られた。


 最大規模であるKブロックを中心に多くのブロックから官人達は評定会議へと参加する。

 そうすると必然的にセキュリティに隙が出来る。

 その隙を狙い各ブロックを制圧し、目的を達成する。

 制圧方法は観測官権限で使用できる無人武装ドローンを使う。

 これが観測官である真人達27人が立てた計画だった。


 ***


 陽が沈み、月が明るく夜空を照らしている。

 そこに月明かりとは違う光が発せられ、大きな爆発音がした。

 それが始まりの合図だった。


 爆破されたのは評定会議が行われていた場所だった。

 そのため参加していた多くの官人が爆破によって死亡し、各ブロックで指揮系統が乱れた。

 その状況を確認した観測官達は直ちに無人武装ドローンを使い自分が担当しているブロックを制圧していった。


 Kブロックでも同じことが起こっていた。

 周りが事態に困惑している中で8487だけは何が起きているかを理解していた。


「観測官様が本当にこの世界を変えようとしてくれている! いや、今まさに世界は変わろうしている!」


 8487は興奮気味につぶやいていた。


「みんな! 僕達はもう豚として生きていく必要は無いんだ! これからは人として生きていけるんだ! だから、ここから出よう! こんな小屋に閉じ込められる必要はないんだ!」


「それは本当なのか? 8487?」


 希望と不安が入り混じるなかでどこからかそんな声が上がった。


「本当だ! このKブロックの観測官様が僕達を助けに来てくれている! さっきの爆発はきっと評定会議で起こったんだと思う。つまり、僕達を豚として扱い、罵り、痛み付け、殺し、恐怖で支配してきた指導官みたいな人達はもういないんだ! だからここから出よう! 人として生きよう!」


 8487は血を巡らせて主張した。


「……ここから出たい」


「うん、ここから出よう!」


「俺達は豚なんかじゃない! 人だ!」


「そうだ!」


「みんなで出よう!」


 8487の主張に感化され、彼らが生まれて初めて一つの目的を達成するために共同体となった瞬間だった。


「おい! 豚共何をしている! 勝手に小屋から出ようとするな!」


 評定会議には行かずに残っていた官人達が騒ぎを聞きつけてやって来た。


「うるせー! 俺達は人間なんだ!」


 そう言って小屋から出て行こうとした豚を官人達はスタンガンの棒で力強く殴りつけた。

 殴られて意識を失った姿を見た彼らは先ほどの勢いを一気に失い、すぐにまたいつものように怖気づいた。

 長年の生活態度をいきなり変えることはできない。

 よって、簡単に元へと戻ってしまう。


「豚共が。誰が人間だって!? 今度言ったら1匹残らず殺処分だからな!」


 そう言って官人達が戻ろうとした時、銃声が聞こえた。

 官人達は彼らの目の前で無数の光の矢に文字通り蜂の巣にされた。

 無数の光の矢が暗闇の中で発射された銃弾の軌跡だということに気付くのに彼らは少し時間がかかった。

 それは無人武装ドローンから発砲されたものだった。


「観測官様!」


 8487が声を上げた方には観測官の姿があった。


「おぉ! 観測官様だ!」


「あたし達のためにありがとうございます!」


「ありがとうございます! 観測官様!」


 彼らは神にすがるように観測官に声を掛けた。


「観測官様! 僕は信じていました! 観測官様ならきっとこの世界を変えられるって! 僕たちを助けにき」


 無人武装ドローンに装備された銃口から煙が上がっていた。

 銃口の先をたどっていくと腹から上が見る形も無く吹き飛んだ8487の姿がそこにはあった。

 あたりには血が飛び散り、ありとあらゆる臓器が原型を留めずに噴きこぼれていた。

 唯一、腸らしきものがひものように垂れて散らばっていた。


 彼らはこの状況を理解し、驚きの阿鼻叫喚を上げるのに時間をかけ過ぎた。

 あっという間に彼らは血と肉の塊となっていた。


 後の調査でわかったことだが、このKブロックで生き残った物はいなかった。


 ***


 観測官達による各ブロックの制圧は順調に進んでいるかのように見えた。

 しかし、結論から言うと観測官達の計画は失敗に終わった。

 原因は観測官の一人が計画の途中で裏切り、現人神に計画の全貌を伝えて逃がしたからである。

 裏切り行為に気づいた隣のIブロックの観測官が裏切った観測官を速やかに殺したが、時すでに遅く現人神が派遣した勅選鎮圧特殊部隊が各ブロックで観測官達を制圧した。

 多くの観測官達は自分の体内に埋め込んでいた爆弾を起動させ、勅選鎮圧特殊部隊に捕まる前に自爆した。

 だが、Kブロックの観測官を含む11人は勅選鎮圧特殊部隊によって生け捕りにされた。

 その後、身柄は御前会議へと引き渡された。


 ***


 御前会議とは絶対的存在である5人の「現人神」の下で行われる世界の全てを審判する会議である。

 現人神である5人には一応名前のようなものがある。

伊邪那美イザナミ」、「伊邪那岐イザナギ」、「草薙クサナギ」、「御鏡ミカガミ」、「御玉ミガタマ」と呼ばれている。

 一昔前は現人神は5人ではなく8人だったらしい。



「真人であろう者が我々に逆らうとは困ったものですね」


 伊邪那美が生け捕りにした、観測官達を眺めながら言った。


「左様。我々に逆らうなど以ての外だ」


 伊邪那岐が言った。


「貴様らのおかげでどれだけの被害が出ていると思っている」


 草薙が言った。


「事の重大さが分かっているのか? これは過去に例を見ない非常に重い大罪だ」


 御鏡が言った。


「そもそも御前会議を開く必要はあったのか? 問答無用で処刑すれば話は済むであろう」


 御玉が言った。


「各々、ご静粛に」


 伊邪那美が一喝した。


「一度、この者達の話を聞きましょう。と言っても、話をしてくれそうな者は一人しかおりませんが」


 そう言うと伊邪那美はKブロックの観測官に目を向けた。

 観測官からすると御簾みすが掛かっておりよく見えないが。


「真人であるあなた方は、なぜこんなことをしたんです? 今回の一件で多大な損害が出たのはわかっていると思います。一体何が目的だったんでしょうか?」


「クックックッ……何が目的だったのかって? 現人神ともあろう存在が随分と馬鹿げた質問をするんだな」


 最後まで抵抗を続けたせいか、全身血だらけで変わり果てた姿のKブロックの観測官は答えた。


「我々はあなたの口から聞きたいのです」


「そうかよ、なら教えてやるよ。この腐った世界を変えるためだよ」


「あなたは豚の処遇について何か異論があるようですね」


「当たり前だ。なぜ、あんな形をした豚がのうのうと生きている? こんなことはあってはならないことだろう」


「その理由はあなたが一番ご存じでしょう。確かに元々あのような形をした豚はいなかった。しかし、ある日突然人類は生まれてくる子供のほとんどが全ての臓器を持たずに生まれてくるという原因不明の現象に襲われました。政府は即座に対策チームを立ち上げ、目を付けたのが当時ドナー問題を解決するために豚の体内で人間に移植するための人間の臓器を作るという技術です」


 ***


 豚は人間と臓器の大きさなどが近かったため人間の臓器を作る器として適していた。

 人々はこの技術に人類の未来を託した。

 だが、当時はまだこの技術は実用化とは程遠いものであった。

 対策チームは実用化に向けて急ピッチで研究を進めていたが、この時点で臓器を持った健康な人間の出生率はほぼゼロに等しかった。

 緊迫な状況の中、研究する上での倫理観などはことごとく無視された。

 結果、人類は技術の実用化に成功した。

 この技術をフォールバックと呼んだ。

 臓器を持たずに生まれてきた子供には豚の体内で作られた人間の臓器が移植され、何の問題もなく成長し生活するようになった。

 しかし、豚の体内で作られた臓器を移植されたという事実を本人達は知らない。

 臓器は自分の物であり、自分は健康な人間であると信じきっている。

 これは政府が臓器を持たずに生まれてくる子供は現在はもう存在しないという情報操作を行ったためである。


 確かにフォールバックは素晴らしい技術だった。

 技術を使用する過程で彼らが生まれなければの話だが。


 フォールバックの実用化以前の段階では人間と豚の細胞比が1対10万で、人間への移植どころか出来上がった臓器は人間に移植するには不出来な物だった。

 そのため大急ぎで人間と豚の細胞比を極限まで近づけて、フォールバックの実用化までにこぎ着けた。

 しかし、人間の臓器を移植するためだけに生まれた豚は全ての臓器が人間の臓器に置き換わったため、人間に限りなく近い存在として生まれてしまった。

 政府はこの豚を生産、管理、監視、出荷するための社会システムを構築した。

 官人達は臓器を痛めつけないかぎり彼らに何をしても良かった。

 生産されたそれぞれの個体には個体識別番号がふられ、定期的に行われる検査で出荷する個体を決めていた。

 彼らの見た目は豚でありながら人の形をしているため、多くの人間は自分の臓器を提供してくれている彼らを同じ人間だと信じながらも「豚」と蔑み、罵り、痛み付け、殺し続けた。


 ***


「そんなことはわかっている。問題はその豚が人間に近づき過ぎてしまったことだ! 私はある1匹の豚にお前は豚でありたいのか、人でありたいのかと聞いた。 そしたら何て言ったと思う? 人でありたいと言ったんだ! どうだ、傑作だと思わないか? 言葉を話す知性もなかった豚が人間の臓器を生産するために少し人間のようになったからといって、人でありたいとほざいた! そんな奴らを生かしているこの世界は腐っているだろう? だからは我々はこの世界を変革しようとした」


「なるほど。あなたの言い分はわかりました。けれどもなぜ、彼らだけでなく官人達も殺す必要があったのですか?」


「逆に聞こう。豚の体内で作られた臓器から成る人間は本当に人間と言えるのか? 一部の臓器だけならまだ臓器移植として理解はできる。だが、脳や心臓など全ての臓器を豚から移植した人間はもう人間とは呼べない。ヒト科のブタとでも言うべきだろう。しかも、ヒト科のブタの数は我々純粋な人間より圧倒的に多い。このままではこれからの世界はヒト科のブタによって支配されるのと変わらないだろう!」


 生まれてくる子供のほとんどが臓器を持たずに生まれてくる現象はどれだけ時間を掛けても解明されず、臓器を持って生まれてくる子供はとうとういなくなり現在の世界では上流階級の人間だけが臓器を持って生まれてきた最後の純粋な人間となっていた。


「そういうことでしたか。1個小隊程度の人数でよくそんなことを実行しようとしましたね。仮にあなたの計画が完遂したとしても、人間の存続が不可能になり絶滅するだけですよ」


「端から計画が完遂できるなんて思ってねぇよ。豚でありながら人でありたいとほざく豚共。人の器に豚の臓器が入っているだけのヒト科のブタが人間であるかのように生活している。吐き気がする! クックックッあははははは! なら、殺せるだけ殺し尽くすに決まっているだろう! 人間は我々だけだ! 紛い物に支配されるぐらいなら、絶滅する方がよっぽどいい! 我々は遅かれ早かれ絶滅する運命だろう?」


「そうですね。人間が絶滅するのも時間の問題でしょう。……これ以上の話し合いは必要ありませんね。ここにいる観測官の処刑をもって御前会議を閉会とします」


 伊邪那美がそう宣言すると白装束に身を包んだ集団が観測官達の元へと近づいた。


「この時代に打首か。古い仕来りでやるもんだな。綺麗に切ってくれよ」


「古くからの仕来りは大切なものですよ。それにあなた方の臓器を傷つけるわけにはいきませんからね。これが最後の人間の臓器移植になるでしょうから」


「人類最後の臓器提供者か……クックックッそいつは光栄なことだ」


 観測官は首を激しく震わせていた。


「最期に何か言い残すことはありますか?」


「クックックッあははははは! 現人神であるお前らがそんなベタなセリフを吐くのか!」


 相変わらず首を激しく震わせながら観測官は言った。


「ベタですか。確かにベタかもしれません。それで、何か言い残すことはありますか?」


「そうだなぁ……お前らに一ついいことを教えてやろう」


 観測官は5人の現人神が怖気づくほどの気迫で目を見開いて言った。


「人間を舐めるなよ」


 次の瞬間、観測官達の首と胴体は銀色に輝く刃によって引き離された。


 ***


 白装束に身を包んだ集団が観測官達の臓器を摘出しようと右往左往していた。


「これで遂に我々は純粋な人間として現人神となる時が来た」


「真人という地位を与えてやったのに、その名を理解することもなく死んでいくとは。愚かな奴らだ」


「まったくだ。純粋な人間であったのは真人であった27人のみ。だから我々は真の人間という意味である真人という名の地位を与えたのだ」


「上流階級の人間も現人神である我々も紛い物の人間だ。我々が真の人間となるには真人から臓器移植を受けるしかなかった。Kブロックの観測官が言った通り遅かれ早かれ我々は真人を処刑していた。だが、このような形で移植を受けることになるとはな」


 白装束に身を包んだ集団の一人が伊邪那美に耳打ちをした。


「それは本当ですか!?」


「どうした?」


「……あなた方は最初から全てわかっていたのですか」


「どうした! 伊邪那美!」


「観測官達の臓器は全て人口臓器へと置き換わっていました」



 フォールバックが実用化されるまでは人工臓器の研究も進められていた。

 しかし、長期の運用など様々な技術的課題を解決することが出来ず研究は半ば中止された。


「なんだと! 我々がこの日をどんなに待ち望んでいたと思っている!」


「脳だ! 人工臓器では脳は置き換えることはできなかったはずだ! 脳だけでも我々に移植するんだ!」


 白装束に身を包んだ集団の一人が伊邪那美にさらに耳打ちをした。


「無駄です。彼らの脳には異常プリオンが侵入しており、除去は不可能なため移植することはできません。……あなた方は我々に希望を見出させた上で絶望させるためにわざと捕まったのですか。自分達の臓器を移植されないように人口臓器に置き換え、脳に自ら異常プリオンを注入しましたか」


「なんということだ!」


「あの愚か者共め! 致死率100%だぞ! 考えられん!」


「お辞めなさい、各々! 現人神であろうものがみっともないですよ」


 伊邪那美の叱責に他の現人神達は口をつぐんだ。


「人間を舐めるなですか……」


 ***



 こうして世界からヒトはいなくなった。

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