人豚

気の言

人豚

 かつてこの世界には白人による黒人への奴隷制度があった。

 しかし、時代が進むにつれて一定の差別が残るものの、白人による黒人への奴隷制度はなくなった。

 けれどもこれは、白人が人へ黒人が「豚」と呼ばれる物達へと変化したに過ぎなかった。

 どんなに時が経っても、時代が進んでも、奴隷制度は決してなくなることはなかった。

 まるで、我々が生きていくために行っている生存活動の一部であるかのように。


 君達は一体何者なのか。

 ヒトか? それともブタか?

 その答えを知ることはできない。

 ただ一つ知ることができるのは、これからの世界を支配するのはヒトかブタだということだ。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 あたり一面には土砂が広がっている。

 そんな場所で彼らは蟻の行列のように土砂を運んでいた。

 土砂を運ぶことに一体何の意味があるのかはわからない。


 彼らの耳には個体識別番号が書かれたプラスチック製の耳標が付けられていた。


「おい! 豚ども! さっさと運べ!」


 そう怒鳴っているのは彼らと違いちゃんと服を着ており、汚れ一つ付いていない男だった。

 男は指導官と呼ばれる役割を担っており、少し離れたところで彼らが土砂を運んでいる様子を監視していた。


 彼らは周りの人間から「豚」と呼ばれている。

 もちろん彼らはブタの姿をしているわけではなく、ヒトの形をしている。

 ただ、彼らは性別を問わず獣臭く醜い容姿をしていた。

 そのことが原因なのかはわからないが、いつからか「豚」と呼ばれるようになっていた。


「8487! 何してる! また躾け小屋に行きたいのか? 」


 土砂を運ぶのに手間取っていた8487と呼ばれた若い男らしい物が指導官に怒鳴られていた。

 耳標には「JP2123924-8487K」と書かれており、全身にはムチを打たれたような痕があり、ひどく痩せこけていた。


「す、すみません! すぐに運びますので」


 よろよろと歩きながら8487は土砂を運びだした。


「チッ! 豚風情が俺に口聞いてんじゃねぇよ」


 そんな様子を見ながら指導官は舌打ちをした。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 警報が鳴った。

 それは朝の朝礼の合図だった。

 土砂を運んでいた彼らは直ちに作業を切り上げ、すみやかに三列横隊で朝礼台のある広場のようなところに並んだ。


「今日から、お前ら豚どもがしっかりと働いているかを確認するために観測官様が来る。だからキッチリ働けよ。少しでもサボったら即刻殺処分だからな!」


 指導官は強力なスタンガンの棒をちらつかせながら言った。


 観測官とは、世界にもわずかしかいない上流階級からしかなることはできない。

 さらに、上流階級でも八つの位に分けられておりその中で最も位の高い「真人」と呼ばれる位である者のみが観測官に選ばれる。

 そして、これらの八つの位よりも地位の高い絶対的存在を「現人神」という。

 この位に就けているのは今の世界には5人しかいない。

 この5人が今の人と豚と呼ばれる物達の関係性を作ったと言われている。


「以上だ!」


 指導官の掛け声とともに一斉に彼らは動き出した。

 彼一人を除いては。


「またお前か! 8487! さっき言った言葉がわかんねぇのか!」


 8487は転んでいて動けずにいた。


「あーわかんねぇか。だって豚だもんなッ!」


 そう言って指導官は転がっている8487の腹を思い切り蹴り上げた。


「ッ! ゲホッ……」


「ゲホッじゃねぇよ! 豚なら豚らしくブヒッとでも鳴けよ!」


 指導官は何度も8487の腹を蹴り続けた。

 誰一人、彼を助けようとはしない。

 彼らは土砂を運び続けるだけで、彼に見向きもしない。

 これは悪いことなのだろうか。

 酷いことなのだろうか。

 答えは否だ。

 弱い物が強い物に淘汰される。

 つまり、弱肉強食。

 こんなことは自然界では当たり前だ。

 そこには善も悪も存在しない。


「それぐらいにしておいたらどうです?」


 まるで、一昔前の物事の本質を理解せずに綺麗事を過剰に訴え続けていた時代に発せられていたかのような言葉が指導官に投げかけられた。


「誰に物を言って……観測官殿!? 申し訳ございません! これは大変失礼いたしました!」


 指導官よりも明らかに身なりの良い恰好をした若い男が立っていた。

 指導官は8487を蹴るのをやめて、観測官と呼ばれた若い男に親指を突き上げ、人差し指と中指を揃えて真っ直ぐに伸ばし、薬指と小指は手のひらに向かって揃えるように折り曲げた拳銃のような形にした手を逆さにし、手のひらを向けて敬礼をした。

 指導官に敬礼をされた観測官は同じように敬礼をした。


「いえ、こちらもいきなり声を掛けてしまってすまない」


「滅相もごさいません。おい! 8487! とっと立て!」


 立てと言われた8487だったが、何度も蹴られたせいでなかなか立てずにいた。


「チッ……おい、そこのお前ら! 8993、1090、4541! そこでくたばってる8487を躾け小屋にぶち込んでおけ」


 指導官に命じられた彼らは何も言わずに8487を運んでいった。


「いや~申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしてしまって」


「お気になさらず。あらためまして、本日付けでKブロック担当の観測官となりました。以後、よろしくお願いいたします」


「そんな、真人という誇り高き地位である観測官殿が我々のような地位の者にお願いするのはお辞めください。何か御座いましたら何なりとお申し付けください。微力ながらも助けになればと思います」


「そうですか。ありがとうございます。では、さっそくなのですが一つよろしいでしょうか」


「はっ! 何なりと」


「指導官はいつもあのように彼らに対して指導を行っているのですか? あ~これは決して指導官の指導に問題があるというわけではありません。むしろこのKブロックの指導率の高さはこちらでもかなりの評判ですからね。ただ、少し気になっただけなので」


「そうでしたか。お褒めにあずかり光栄にございます。ええ、いつもあのように指導をしております。少しでも我々が豚どもに対して下手に出たりしたら、指導率の低下に繋がってしまいます。ですので、いつもあのようにどちらが上の立場であるかをわからせているんです」


「なるほど。さすが指導率の高い指導官の言葉には説得力がありますね」


「観測官殿にそこまでおしゃって頂けるなんて、私には身に余るお言葉です」


 立場をわきまえるように指導官は言った。


「そんなことはありません。このKブロックは最大規模のブロックであり非常に重要なブロックです。指導官の他にも多くの官人が働いている分、指導しなければならない彼らの数もとても多い。そんな中で高い指導率なら評価されて当然でしょう。ところで、さっきの彼は?」


「彼? あぁ、8487番のことですか。あの豚はこのブロックで一番の出来損ないでして。私も手を焼いていますよ。今度の定期検査で陽性にでもなってくれれば、このブロックの指導率ももっと高くなるんですがね。と言っても、今度の定期検査は当分先なんです。もしよろしかったら、もう少し制限無く殺処分を行えるように御上の方々に観測官殿から掛け合っては頂けないでしょうか?」


「わかりました。優秀な指導官のご意見ですから、その旨を御上の方々に私から伝えておきましょう」


「ありがとうございます!」


 指導官は大層嬉しそうに礼を言った。


「それで、その……8487はどこへ連れて行かれたのですか?」


「私が作った躾け小屋と呼んでいる場所です。要は8487みたいな出来損ないをしっかりと指導する場所です」


「そういった場所があるのですか」


「観測官殿も良ければそこで指導していかれませんか? この世界で唯一の娯楽ですよ」


 指導官は本当に楽しそうに言った。


「いえ、遠慮しておきます。指導官のお仕事を奪うわけにはいきません」


「そ、そうですか」


「あぁ、そうだ指導官。一つお願いがあるんですが」


「は、何でしょう」


「8487を私が自由に使ってもよろしいですか? 今しがた指導官のお仕事を奪わないと言ってしまった手前、あれなのですが」


「……あぁ、いえ! 構いません! 観測官殿の好きなようにお使いください。今すぐ持ってこさせますので」


 一瞬、不服そうにした指導官だったがすぐに元の表情に戻った。


「今すぐは大丈夫です。そうですね、18時ぐらいに私の宿舎の方に寄こしてください」


「わかりました。ではそのように」


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 18時きっかりになると宿舎の扉を叩く音がした。

 観測官が扉をあけると8487が直立不動で立っていた。


「君が8487番か。とりあえず入ってくれ」


「僕みたいな豚が入るわけにはいきません。お部屋が汚れてしまいます」


「別に構わない。入ってくれ」


「でも……」


「なら、こうしよう。これは命令だ。だから、入ってくれ」


「……わかりました」


 そう言って8487は恐る恐る部屋に入った。


「実は君に頼みたいことがある」


「僕みたいな豚に観測官様が一体どんな頼みでしょうか」


「これから毎日、私が良いと言うまでこのKブロックの状況を報告しに来て欲しいんだ。ほんの些細なことでも何でもいい。それ以外は普段通りに過ごしていてくれ」


「わかりました。それでは僕は小屋に戻ります」


 8487は扉の方に向かって部屋を出ていこうとした。


「待ってくれ。最後に一つ質問してもいいか?」


「はい、なんでしょうか?」


「君は自分のことを豚だと思っているか? それとも人だと思っているか?」


「そ、それは……もちろん豚です。もし僕が人だったら、こんな風にはなっていませんし」


「……すまない。質問の仕方が悪かった。君は豚でありたいか? それとも人でありたいか? 正直に言ってくれ。御上に誓って君に悪いことはしない。信じてくれ」


「僕は……」


 8487はそこまで言って黙った。


「お願いだ。正直に言ってくれ。私はこの腐った世界を変えようと思っている。そのためには君の、君たちの正直な気持ちを知る必要があるんだ」


 8487は意を決したように口を開いた。


「僕は……僕は人でありたいです」


 数秒の沈黙が流れた。


「そうか……君の気持はよくわかった」


「では、僕はこれで。また明日この時間に伺います」


 8487は扉を開けて小屋へと帰っていった。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 それからというもの8487は昼間などは普段通り土砂を運び、18時には毎日かかさず観測官の宿舎へと出向いた。

 観測官は8487に「今日は何か変わったことはなかったか?」と毎日同じ質問をした。

 8487はその質問に対して「今日は特に変わったことはありませんでした」と答えることがほとんどだった。

 たまに、なんとか番が躾け小屋に連れて行かれたと答えるぐらいだった。

 ちなみに、8487は観測官からこの報告をするように言われてからはほぼ毎日連れて行かれていたはずの躾け小屋に行くことはなくなった。

 これは観測官が報告に支障が出るため指導官に8487を連れていかないように言っていたのか、それとも他に何か別の意図があったのかどうかはわからない。


 そんな風に報告を始めてから半年以上が過ぎたころ、8487は今までにはなかった報告を初めてした。


「観測官様、今日の昼の部の作業中に指導官様が話していたのを聞いたんですが、来月の8日にここの指導官を中心に評定会議をするそうです。特にKブロックでは多くの官人が参加するそうです」


 8487からの報告を聞いた観測官は明らかに今までとは異なった反応をした。


「わかった……8487。君は今後、私に報告をする必要はない。短い間だったが今までありがとう」


 観測官は短く礼を言った。


「もう報告に来なくて良いとはどういうことですか?」


 戸惑いを隠せずに8487は観測官に尋ねたが、観測官は何も答えなかった。


「……わかりました。僕みたいな豚が観測官様の世界を変えるという願いに貢献できたかはわかりませんが、今まで大変お世話になりました」


 涙ぐんで8487は観測官に別れを告げた後、小屋へと戻っていった。


「あぁ、君は立派に私の願いに貢献できるよ」


 観測官のつぶやきは8487には聞こえなかった。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 8487が小屋へと帰ったあと、観測官はすぐに部屋の隅にある無線室へと向かった。

 無線機の前に座ると観測官は他の各ブロックの観測官である真人達に向けて暗号文を送った。


「タマヤマノボレ ヒトフタマルハチ」


 暗号文はこの文言で送られた。


 最大規模であるKブロックを中心に多くのブロックから官人達は評定会議へと参加する。

 そうするとセキュリティは強化もされるが、同時に強化によるセキュリティ体制の変化により隙も生まれやすくなる。

 その隙を狙い重要拠点であるKブロックの制圧を足掛かりに目的を達成する。

 制圧方法は観測官権限で使用できる無人武装ドローンを使い、各ブロックごとの観測官がこれをもって制圧する。

 これが観測官である真人達27人が立てた計画だった。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 日が数時間前に沈み、月が明るく夜空を照らしている。

 そこに月明かりとは違う光が発せられ、大きな爆発音がした。

 それが始まりの合図だった。


 爆破されたのは評定会議が行われていた場所だった。

 そのため、多く参加していた指導官などの官人が爆破によって亡くなり各ブロックで現場の指揮系統が乱れた。

 その状況を確認した観測官達は直ちに無人武装ドローンを使い自分が担当しているブロックを制圧していった。

 制圧完了次第、観測官達は「ヒトヒトヒト」と打電した。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 Kブロックでも同じことが起こっていた。

 周りが起きている事態に困惑している中で8487だけは何が起きているのかを理解していた。


「観測官様が本当にこの世界を変えようとしてくれている。いや、今まさにこの世界は変わろうしている!」


 8487は興奮気味につぶやいていた。


「みんな! 僕たちはもう豚として生きていく必要は無いんだ! これからは人として生きていけるんだ! だから、僕たちはここから出よう! こんな小屋に閉じ込められることもなくなるんだ!」


「それは本当なのか? 8487?」


 希望と不安が入り混じるなかでどこからかそんな声が上がった。


「本当だ! 現に今このKブロックの観測官様が僕たちを助けに来てくれている! さっきの爆発はきっと評定会議で起こったんだと思う。つまり、僕たちを豚として扱い、罵り、痛み付け、殺し、恐怖で支配してきた指導官みたいな人達はもういないんだ! だからここから出よう! 人として生きよう! 世界は今、変わろうとしているんだ!」


 8487は生まれて初めて主張をした。


「……ここから出たい」


「うん、ここから出よう!」


「俺達は豚なんかじゃない! 人だ!」


「そうだ!」


「みんなで出よう!」


 8487の主張に彼らは感化された。

 それは彼らという存在が生まれて初めて一つの目的を達成するために共同体となった瞬間だった。


「おい! 豚ども何をしている! 勝手に小屋から出ようとするな!」


 評定会議には行かずに残っていた少数の官人達が騒ぎを聞きつけてやって来た。


「うるせー! 俺達は人間なんだ! だから、こんなところにいるなんて嫌だ!」


 そう言って小屋から出て行こうとした豚を官人達は強力なスタンガンの棒で力強く殴りつけた。

 殴られて意識を失った姿を見て彼らの先ほどの勢いは一気になくなり、すぐにまたいつものように怖気づいた。

 長年の生態をいきなり変えることはできない。

 そのため、このように簡単に元の生態へと戻ってしまう。


「豚どもが。誰が人間だって!? 次、そんなこと言ったら1匹残らず殺処分だからな!」


 官人達が戻ろうとした時、マシンガンの音がした。

 官人達は彼らの目の前で無数の光の矢に文字通り蜂の巣にされた。

 無数の光の矢が夜の暗闇の中で発射された銃弾の軌跡だということに気付くのに彼らは少し時間がかかった。

 そして、それは無人武装ドローンから発射されたものだった。


「観測官様!」


 8487が声を上げた方には、今まで毎日18時に報告をしていた観測官の姿があった。


「おぉ! 観測官様だ!」


「観測官様!」


「あたし達のためにありがとうございます!」


「ありがとうございます! 観測官様!」


「あぁ、観測官様!」


「観測官様!」


 彼らは神にすがるように観測官に声を掛けた。


「観測官様! 僕は信じていました! 観測官様ならきっとこの世界を変えられるって! 僕たちを助けに来て――」


 無人武装ドローンに装備されたマシンガンの銃口から煙が上がっていた。

 その銃口の先をたどっていくと腹から上が見る形も無く吹き飛んだ8487の姿がそこにはあった。

 あたりには血が飛び散り、ありとあらゆる臓器が原型を留めずに噴きこぼれていた。

 唯一、腸らしきものがひものように垂れて散らばっているということが判別できた。


 彼らはこの状況を理解し、驚きの阿鼻叫喚を上げるのに時間を掛け過ぎた。

 気が付いたころには全員生きていた時の原型はなく、血と肉の塊となっていた。


 後の調査でわかったことだが、このKブロックで生き残った物はいなかった。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 観測官達による各ブロックの制圧は順調に進んでいるかのように見えた。

 しかし、そうではなかった。

 結論から言うと観測官達の計画は失敗に終わった。

 原因は観測官の一人が計画の途中に裏切り、現人神に計画の全貌を伝え5人を逃がしたからである。

 裏切り行為にすぐに気づいた隣のIブロックの観測官が裏切った観測官を速やかに殺したが、時すでに遅く、現人神が派遣した勅選鎮圧特殊部隊が各ブロックで観測官達による制圧を逆に制圧した。

 観測官達は自分の体内に埋め込んでいた爆弾を起動させ、勅選鎮圧特殊部隊に捕まる前に自爆した。

 だが、Kブロックを中心とした11人の観測官は勅選鎮圧特殊部隊によって生け捕りにされた。

 その後、11人の身柄は御前会議へと引き渡された。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 御前会議とは絶対的存在である5人の「現人神」の下で行われるこの世界の全てを審判する会議である。

「現人神」である5人には一応名前のようなものがある。

伊邪那美イザナミ」、「伊邪那岐イザナギ」、「草薙クサナギ」、「御鏡ミカガミ」、「御玉ミガタマ」と呼ばれている。

 一昔前までは「現人神」は5人ではなく8人だったらしいが、なぜ今3人減っているのかはよくわかっていない。


「真人であろう者が我々に揃いも揃って逆らうとは困ったものですね」


 伊邪那美が生け捕りにした、11人の観測官を眺めながら言った。


「左様。我々に逆らうなど以ての外だ」


 伊邪那岐が言った。


「貴様らのおかげでどれだけの被害が出ていると思っている」


 草薙が言った。


「事の重大さが分かっているのか? これは過去に例を見ない非常に重い大罪だ」


 御鏡が言った。


「そもそも御前会議を開く必要はあったのか? 問答無用で処刑すれば話は済むであろう」


 御玉が言った。


「各々、ご静粛に」


 伊邪那美が一喝した。


「まずは一度、この者達の話を聞きましょう。『達』と言っても話をしてくれそうな者は一人しかおりませんが」


 そう言うと伊邪那美はKブロックの観測官に目を向けた。

 といっても、観測官からすると御簾みすが掛かっておりよく見えないわけなのだが。


「真人であるあなた方は、なぜこんなことをしたんです? 今回の一件でKブロックを中心に多大な損害が出たのはわかっていると思います。一体何が目的だったんでしょうか?」


「クックックックッ……なぜ、何が目的だったのかって? 現人神ともあろう存在が随分と馬鹿げた質問をするんだな」


 最後まで抵抗を続けたせいか、全身血だらけで変わり果てた姿のKブロックの観測官は答えた。

 口調もかなり変化しているようだった。


「誰に向かって口を利いて……」


 御玉の発言を伊邪那美が制止した。


「我々はあなたの口から聞きたいのです」


「あぁ、そうかよ。なら教えてやるよ。この腐ってイカれた世界を変えるためだよ」


「あなたは豚の処遇について何か異論があるようですね」


「当たり前だ。なぜ、あんな形をした豚がのうのうと生きている? こんなことはあってはならないことだろう」


「その理由はあなたが一番ご存じでしょう。たしかに元々あのような形をした豚はいなかった。しかし、ある日突然に人類は原因不明の現象に襲われました。生まれてくる子供のほとんどが全ての臓器を持たずに生まれてきてしまうという現象に。政府は即座に対策チームを立ち上げました。その対策チームが目を付けたのが、当時ドナー問題を解決するために豚の体内で人間に移植するための人間の臓器を作るという技術です」


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 豚は人間と臓器の大きさ、形がほとんど同じに近い。

 そのため豚は人間の臓器を作る器としてはうってつけだった。

 このように豚の細胞と人間の細胞といった異なった遺伝子情報の細胞が複数共存している存在は通称キメラと呼ばれていた。

 人々はこの技術に人類の未来を託した。

 だが、当時はまだこの技術の実用化は程遠いものであった。

 そのため、対策チームは実用化に向けて急ピッチで研究を進めていった。

 しかし、この時点では既に臓器を持った健康な人間の出生率はほぼゼロに等しくなりつつあった。

 緊迫な状況の中で研究が進められるため、研究する上での倫理観などはことごとく無視された。


 結果、人類はこの技術の実用化に成功した。

 対策チームはこの技術をフォールバックと呼んだ。

 臓器を持たずに生まれてきた子供には豚の体内で作られた人間の臓器を移植され、何の問題もなく成長し生活するようになった。

 しかし、豚の体内で作られた臓器を移植されたという事実を臓器を持たずに生まれてきた子供たちは知らない。

 自分の臓器は自分の体内で生成され、自分は健康な人間であると信じきっている。

 そのように信じている理由は、政府が臓器を持たずに生まれてくる子供は極稀で、現在にはもう存在しないという情報操作を行ったからである。


 たしかに、フォールバックは素晴らしい技術だった。

 技術を使用する過程で彼らが生まれなければの話だが。


 フォールバックが実用化以前の段階では人間と豚の細胞比が1対10万だったため、人間への移植どころか出来上がった臓器は到底人間の臓器とは呼べるような代物ではなかった。

 そのため対策チームは大急ぎで人間と豚の細胞比を極限まで近づけて、フォールバックの実用化までにこぎ着けた。

 人間の臓器を移植するためだけに生まれた豚と人のキメラは全ての臓器が人間の臓器に置き換わったため、人間に限りなく近しい存在となってしまった。

 そこで政府は、この豚と人のキメラを生産、管理、監視、出荷するための社会システムを構築した。

 官人達は臓器を痛めつけないかぎりであれば、彼らに何をしても良かった。

 生産されたそれぞれの個体には個体識別番号がふられた。

 また、定期的に行われる検査で出荷する個体を決めていた。


 彼らの見た目はブタでありながらヒトの形をしており、豚と人のキメラであることを知らない多くの人間は、自分の臓器を提供している彼らを同じ人間だと信じながらも「豚」と蔑み、罵り、痛み付け、殺し続けた。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「そんなことはわかっている。問題なのはそこじゃないだろう! その豚が人間に近づき過ぎってしまったことだ。私はある1匹の豚にこう聞いた。『豚でありたいのか? それとも人でありたいのか?』そしたら、その豚はなんて言ったと思う? 人でありたいって言ったんだ! どうだ、傑作だと思わないか? 言葉を話す知性もなかった豚が人間の臓器を生産するために少し人間のようになったからといって、人でありたいとほざいたんだぞ! そんな奴らを見す見す生かしているこの世界は腐っているだろう? だから、我々はこの世界を変革しようとした」


「なるほど。あなたの言い分はわかりました。けれども、この言い分にはまだ不足している部分があります。なぜ、豚たちだけでなく官人達も殺す必要があったのですか? 」


「逆に聞こう。 豚の体内で作られた臓器から成る人間は本当に人間と言えるのか? 一部の臓器だけならまだ臓器移植として理解はできる。だが、脳から心臓に至るまでのありとあらゆる全ての臓器を豚から移植した人間は、それはもう人間とは呼べない。ヒト科のブタとでも言うべきだろう。しかも、そのヒト科のブタどもの数は我々純粋な人間より圧倒的に多い。このままではこれからの世界はヒト科のブタによって支配されると言っても過言ではないだろう!」


 生まれてくる子供のほとんどが臓器を持たずに生まれてくる原因不明の現象はどれだけ時間を掛けても解明されることはなかった。

 そのため、臓器を持って生まれてくる子供はとうとういなくなり現在の世界では上流階級の人間だけが臓器を持って生まれてきた最後の純粋な人間となってしまっていた。


「だから豚も官人も1匹残らず殺そうとしたのですか。1個小隊にも満たない数でよくそんなことを実行しようとしましたね。仮にあなたの計画が完遂したとしても、人間の存続が不可能になり絶滅するだけですよ」


「始めから計画が完遂するだなんて思っていねぇよ。豚でありながら人でありたいとほざく豚ども。人の器に豚の臓器が入っているだけのヒト科のブタが、まるで本当に自分が人間であるかのように生きている……吐き気がする! クックックックッあはははははは! ならば殺せるだけ殺し尽くすに決まっているだろう! 人間なのは我々だけでいい! まがい物に支配されるぐらいなら、我々人間が絶滅する方がよっぽどいい! そもそも我々は遅かれ早かれ絶滅する運命だろう?」


「そうですね。人間が絶滅するのも時間の問題でしょう。……これ以上の話し合いは必要ありませんね。ここにおける11人の観測官の処刑をもって御前会議を閉会とします」


 伊邪那美がそう宣言すると白装束に身を包んだ集団が11人の観測官の元へかけ寄った。


「この時代に打首か。よくもまぁ、こんな古い仕来りでやるもんだ。やるならちゃんと綺麗に切ってくれよ」


「古くからの仕来りは大切なものですよ。それにあなた方の臓器を傷つけるわけにはいきませんからね。これが最後の人間の臓器移植になるでしょうから」


「人類最後の臓器提供者か……クックックックッ、そいつは光栄なことだな」


 Kブロックの観測官は首を激しく震わせていた。


「最期に何か言い残すことはありますか? 」


「クックックックッあはははははは! 現人神であるお前らがそんなベタなセリフを吐くのか!」


 相変わらず首を激しく震わせながら観測官は言った。


「ベタですか。たしかにベタかもしれません。私も少しこの状況に興奮しているのかもしれません……それで、何か言い残すことはありますか?」


「そうだなぁ……お前らに一ついいことを教えてやろう」


 観測官は5人の現人神をも怖気づくほどの気迫で目を見開いて言った。


「人間を舐めるなよ」


 次の瞬間、11人の観測官の首と胴体は銀色に輝く刃によって引き離された。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 白装束に身を包んだ集団が11人の観測官の臓器を摘出しようと右往左往していた。


「これで遂に我々は純粋な人間として現人神となる時が来た」


「せっかく真人という地位を与えてやったのに、その地位の名前を理解することもなく死んでいくとは。愚かな奴らだ」


「まったくだ。この世界で純粋な人間であったのは真人であった27人のみ。だから我々は真の人間という意味である真人という地位を与えたのだ」


「上流階級の人間も現人神である我々もまがい物の人間だ。我々が真の人間となるには27人の真人から臓器移植を受けるしかなかった。Kブロックの観測官が言った通り遅かれ早かれ我々は真人を処刑していた。だが、まさかこのような形で臓器移植を受けることになるとはな」


 白装束に身を包んだ集団の一人が伊邪那美に耳打ちをした。


「それは本当ですか!?」


「どうした、伊邪那美?」


「……あなた方は最初から全てわかっていたのですか」


「どうしたんだ! 伊邪那美!」


「11人の観測官の臓器は全て人口臓器へと置き換わっていました」



 フォールバックが実用化されるまでは人工臓器の研究も進められていた。

 しかし、長期の運用など様々な技術的課題を解決することが出来ずフォールバックの実用化に伴い研究は半ば中止された。


「なんだと! 我々がこの日をどんな思いで待ち望んでいたと思っている!」


「脳だ! 人工臓器ではたしか脳は置き換えることはできなかったはずだ! せめて、脳だけでも我々に移植するんだ!」


 白装束に身を包んだ集団の一人が伊邪那美にさらに耳打ちをした。


「無駄です。彼らの脳には異常プリオンが侵入しており、除去は不可能です。この脳を移植するとプリオン病に感染します。……あなた方は我々に希望を見出させた上で絶望させるためにわざと捕まったのですか。自分達の全ての臓器を移植されないように脳以外の臓器は人口臓器に置き換え、脳には異常プリオンを注入し自らプリオン病になりましたか」


「なんということだ!」


「あの愚か者どもめ! プリオン病の致死率は100%だぞ! 考えられん!」


「許さん!」


「お辞めなさい、各々! 現人神であろうものがみっともないですよ」


 伊邪那美の叱責に他の現人神達は口をつぐんだ。


「人間を舐めるなですか……」


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



 こうして、この世界からヒトはいなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人豚 気の言 @mygreter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画