第3話 逢魔が時

「あのさあ」

「おう」


 開口一番、あさひは石の棺から出てきた蛇柄少年、ククルに訊く。


「なんで裸なの?」


 強い光と共に現れた彼は、おおよそ服といえる物の類を纏っていなかった。上半身はへそから肩まで褐色の素肌を惜しげもなく晒し、腰から下は黒い蛇の鱗のような模様にびっしり覆われている。百歩譲ってズボンやタイツ的なものを履いていると主張は出来なくもないだろうが、やはりその格好で日本の公道を歩くのは問題がある。


「知るかよ。さっき起きたばっかりで何も覚えてねえんだから」


 ククルは頭を掻き毟りながら面倒臭そうに答える。 明らかに普通の人ではない雰囲気を漂わせているが、言動は自分よりやや年下の少しだけ育ちが悪い少年という印象をあさひは受けた。思ったほどの怖さは感じない。

  

「でも、自分の名前『ククル』って言ったじゃん」

「なんか知らんけどそれだけは覚えてる。でもそれだけだ。他は何にも覚えてない」

「……変なの」


 これが記憶喪失というものなのだろうか。そうなった人間が身近にいないため本当かどうか疑わしいが、関わるのも面倒なのであさひはそれ以上の詮索はやめた。


「ところでお前、何で俺を起こしたんだ? というか、ここどこだ?」

「知らないよ。あんたが勝手に起きたんでしょうが。私だってここから出たいのに」


 どうやらククル自身にもこの場所が何なのか分からないようだった。言われるがままこの石室まで連れて来られて言われるがまま歌わされたが、状況は全く好転せずあさひはがっくりと項垂れる。


「……それじゃ私、出口探すから。じゃあね」


 余計な寄り道をしてしまったと、あさひは心の中で文句を垂れながら踵を返した。


「お、おい待てよ! 俺も行くって。ここから出たいのは同じだろ?」

「えー……いいよついて来なくて。別々に探そうよ」


 あさひはただ頼まれた通りに棺から出してやっただけで、ククルと行動を共にする理由もない。それにあさひは進んで孤独になりたがるような性格ではないが、どちらかと言えば一人の時間を好む性分だった。特にククルのように口数の多い異性は苦手な分類にあたる。


「俺が先に出口見つけて勝手に出ていったら困るだろ」

「それはまぁ、そうだけど……はぁ」

「じゃあ決まりだな」


 あさひの溜息を肯定と受け取ったのか、ククルは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。予想以上に変な人物に出会ってしまい、これならナンパに絡まれる方がまだましだとあさひは感じた。


「ところでお前、名前何て言うんだ?」

  

 石室を出た長い道の途中、ぺたぺたと裸足の足音を立てながらククルが尋ねる。今さら自分が誘拐されたとは思わないが、目の前のこの少年が信用に足る人間かどうかあさひは判断出来かねていた。


「……須賀、あさひ」

「ふぅん」


 あさひはぼそっと小さな声で自分の名前を呟いた。信頼している訳ではないが、向こうが先に名乗った手前こちらも名前くらいは明かさないと無作法と思ったからだ。


「なあ、すが。お前背負ってるそのデカい箱に入ってたやつ、なんだ? 色々音が出て凄かった」

「あさひでいい……って、あんたギターを知らないの?」

「なんだそりゃ。聞いたことない」


 今時ギターを知らないどころか楽曲を珍しがっていることにあさひは驚きを隠せなかった。記憶喪失とは言ってもククルに言葉は通じるし受け答えもできている。外見に目を瞑れば少しだけうるさいだけの少年だ。よほどの限界集落で生まれてずっと外界との関わりを絶ってきたのだろうか、とあさひは邪推する。


「なぁ俺にも触らせてくれよ。そのギターってやつ」

「ダメ。絶対ダメ。これ私の相棒なの。命より大事なものだから」

「ちぇ、なんだよつまんねえ」


 ククルは白けた顔を隠そうともせず悪態をついた。なにしろ小学生時代のお年玉6年分をはたいて買った大事な代物だ。誰に何と言われようとも、あさひは自分のギターを誰かに触らせたことはなかった。

 だが、こういう時に力ずくで奪おうとしてこないことから、ククルに一応最低限の理性が備わっているように感じられ、あさひは少しだけ胸をなで下ろした。


「ところでさ、ククル」

「なんだ?」

「この壁の隙間から光ってるやつ、さっきと色違くない?」


 あさひがククルの封印されていた石室に辿り着く前は、道中の壁の隙間から漏れ出た光は青白い色をしていた。しかし石室を出て二人で出口を探すようになってからは、光は赤紫のような攻撃的な色に変わり点滅を繰り返している。


「さぁな、気のせいじゃねえか?」

「いや明らかになんか変だよ。やっぱりあの棺開けるんじゃなかったかも……」


 今さら嘆いたところで後の祭りであるが、あさひは冷や汗が止まらなかった。こういう状況であさひが思い想像していたのは、ビルや施設などに仕掛けられてある警備システムとか、そういう類のものだった。


「……あさひ、止まれ!」

「えっ?」


 数分は歩いただろうか、狭い道を抜けて開けた石室に辿り着いたところで背後のククルが呼び止めた。


「足音だ。向こうから何か来る」

「うそ、なんで……?」


 言われた通り遠くの方に耳を傾けると、明らかに自分たちとは異なる複数の足音が響くのをあさひは聞いた。この遺跡らしき洞窟で目覚めてからククルに出会うまで、人間はおろか生き物の気配すら感じて来なかったというのに。

 ガッ……ガッ……と硬く重い足音は確実に近付いて来ている。金属と金属が擦れ合う聞き慣れない不快な音にあさひは無意識に身構えた。


「な、なにあれ……よ、鎧? 人?」


 奥に繋がる道から、中世の騎士を彷彿とさせる鉄鎧に身を包んだ何者かが姿を現した。手には火のついた松明を持って周囲を照らして押し、腰には剣らしき物を携えている。少なくとも現代の日本ではこんな物を着て歩く人などいないためあさひはそれが人間であることを認識するのが一瞬遅れてしまった。


「……誰だ? まさか、人間……なのか?」


 鎧の人物もあさひとククルに気付き、足を止める。顔は見えないが、声から性別は男と推察できた。


「ど、どうやってここまで? ここは迷宮の最奥部のはずだぞ!?」

「え……えっ?」


 あさひとククルを視認するや否や、鎧の男はまるで信じられないものを見たかのような驚きぶりで二人を指ささす。一方のあさひは覚えのない単語に理解が追いつかないでいた。


「どうした! 何かいたのか?」

「ひ、人だ。女の子と、少年の二人。恐らく生存者だ」

「何だと!? 本当か!?」


 鎧の男は背後にいる別の誰かに呼びかけ、通路の奥からさらに鎧の男がぞろぞろと出てきた。人数は3人。全員が同じ形の鎧を身に纏っている。


「信じられない。この階層は調査隊の誰も足を踏み入れたことのないはずなのに、こんな子供が……」

「見慣れない服装をしているが、どうやら肌の色も正常だし魔物に襲われた様子もない」

「近隣地域の子供が悪戯で入り込んだ…… というわけでもなさそうだな……」


 メイキュウ。カイソウ。マモノ。二人を見ながらまるでファンタジー世界の物語でしか聞いたことのない単語を交えて大人が真剣に話し合っている。色々と聞きたいのはあさひも同じであったが、どうやら聞けるような空気ではない。


「君たち、とにかくここは危険だ。我々と一緒に地上に戻ろう。村で検査を受けなければ……」


 鎧の男の一人があさひとククルにこちらに来るよう手を差し伸べる。

 

「危険……? えっと、どういうことですか?」

「……? 君は、何ともないのか? 迷宮は瘴気の濃度が最も高いとされている場所だというのに」


 状況が飲み込めず聞き返したあさひに、鎧の男は驚いた様子を見せた。その時一瞬、あさひは男の被る兜の隙間から口元を布のような物で覆っているのを確かに見た。まるでここの空気を極力吸わないよう気管を守っているかのように。


「……うっ……かはっ! かはっ……!」

「えっ!?」


 だが直後、鎧の男は咳込みながらその場に倒れ込んだ。わけも分からずあさひは狼狽する。


「ファリオ! どうしたんだ!?」

「うっ……うぅ……」


 倒れた鎧の男に仲間たちは駆け寄り様子を窺うが、ファリオと呼ばれた男は呼びかけに応えることもなく苦悶の声をあげながら、そのまま煙のように姿を消した。


「ファリオ!? そ、そんな……」

 

 がしゃん、と鎧がその場に崩れるように落ちる。彼が倒れていた場所には、最初から何もいなかったかのように空の鎧と服だけが残された。


「うそ、今の人……何が起こってるのククル……?」


 目の前の光景が現実と受け止められず、あさひは後ろで先程から黙っていたククルに尋ねる。


「あさひ、何か嫌な気配するぞ。この部屋……俺たち以外に何かいる」

「な、何かって……なに?」


 ククルは虫の居所が悪そうな表情で呟いた。その言葉に反応してあさひは周囲を見渡したが、広い石室はあさひ達と鎧の男二人以外に人らしき影はなく誰かが隠れられそうな障害物もない。それに「誰か」ではなく「何か」とククルが表現したことにあさひは首を傾げた。


「ぐわっ!」


 それを訊こうとした次の瞬間、鎧の男の一人が悲鳴と共に床に叩きつけられた。男の方に目をやると、仰向けに倒れた鎧の上に別の大柄な生身の男が覆いかぶさっている。

 間違いなく、今の今までこの石室には影も形もなかった人間だ。


「ふぁ、ファリオ……!? どうして……」

「えっ!?」


 床に抑え込まれた鎧の男は、目の前の男をファリオと呼んだ。つい先程、苦しみながら倒れ鎧を残して消えてしまった男である。


「や、やめろ! ファリオ、何をしている!」


 すかさずもう一人の鎧の男が止めようと、ファリオの腕を掴む。だがその腕はまるで鉄で出来ているかののうに硬く、いくら引っ張っても微動だにしない。


「う、ぐああ……」

 

 みし、みし……と抑え込まれた男の鎧が音を立ててひしゃげていく。そのまま男はくぐもった悲鳴をあげ、動きを完全に止めた。

 眼前で人が消え、人が死んだ。現実感のない光景に声もあげられずあさひはその場で固まる。


「ハァーー…………!」


 大きく息を吐きゆっくりと立ち上がったファリオの全身が、青白く変色していく。両腕の筋肉は不自然な形状に膨れ上がり、着ていた薄手の服は破れ、顔面はぐにゃりと骨格ごと歪み牛のような形状に変質した。


「ひ……っ」

 

 明らかに人間ではない。それどころか自然界に存在するどの生物でもない。その姿から滲み出る殺意と暴力の「気」にあさひは本能的な恐怖を覚え、その場でぺたんとしゃがみ込んでしまう。


「う、うわあああ!」


 ファリオと呼ばれた怪物の腕を掴んでいた鎧の男も、恐怖で叫び声をあげその場から後ずさる。次に怪物の目が向いた先は、動けないでいるあさひだった。

 怪物がじりじりと、一歩ずつ距離を詰める。両者の距離は、1メートルを切った。


「あさひ、逃げろ!」


 怪物が拳を振り上げた瞬間、ククルが二人の間に割って入り怪物の脇腹に体当たりをかました。予想外の方向から攻撃に怪物が一瞬仰け反る。


「ククル!」

「大丈夫だ。この程度の奴、大した強さじゃない。ここは俺がなんとかするからお前はさっさと逃げろ!」


 目の前で人が怪物に変わったと言うのに、ククルは表情を崩さないでいた。

 それよりも、体格で大きく劣るククルの体当たりが鉄をも歪ませる腕力を持つ怪物を相手に効いたことにあさひは驚きを隠せないでいた。


「ウォァア!」

「……ふんっ、おりゃあ!」


 怪物は大きな二の腕を振り回し、暴れるようにククルを攻撃する。しかしその殴打をククルは猫のような身軽さで躱し、隙を狙って蹴りを叩き込み怪物を怯ませる。お互いに決定打となる一撃はないものの、状況はククルの方が有利に思えた。


「ウ……アァーーーー!!」


 痺れを切らした怪物が、床に横たわる鎧の男の死体の足を持ち上げて武器のように振り回した。鉄の塊が床や壁に打ち付けられて火花を散らし、リーチで劣るククルは次第に追い詰められる。

 怪物が鎧の男の死体を無造作に投げつけククルが跳躍で避けた瞬間、怪物の腕は着地点に迫っていた。


「チッ…… 」


 ククルは足首を怪物に掴まれ、憎々しげに舌打ちする。だがさほど問題ではないかのようにククルも両手で怪物の腕を掴んだ。

 次の瞬間、ククルに掴まれた怪物の腕が轟音を立てて爆発した。


「グオオォ!!」


 怪物が悲鳴を上げて後方に吹っ飛ぶ。ククルの足を掴んでいた怪物の腕は無惨に千切れ、断面は焼けただれたようにボロボロに傷付いていた。


「何なの……何が起こってるの……?」


 ククルの身体は燃えていた。比喩ではなくその周囲には実際に赤い炎が渦巻いて、小さな後ろ姿を陽炎に揺らめかせていた。

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逢魔は唄うアルカディア @kagayaki

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