第2話 棺の少年

「ん……あ、痛たた……」


 背中に走る冷たく固い感触にあさひは目覚めた。いつの間にか意識を失っていたらしく、前後の記憶がはっきりしない。


「ん〜……頭、ふらふらするぅ……」


 身体を起こし辺りを見渡してみる。ぼんやりとした視界がだんだんと開けて、目に入る情報にあさひは当惑した。


「ここ……どこ?」


 狭く薄暗い空間に、あさひを囲むように高くそびえ立つ石の壁。レンガとも似つかない石が不規則に積まれた壁の隙間からは青白い光が微かに溢れている。見上げればさっきまでの星空など何処にもなく、ただただ不気味な闇が広がっていた。


「ええっ!? 何ここ!? 私なんでこんなとこにいるの!?」


 壁の圧迫感と空気の淀みから、少なくともここが屋内であることはあさひにも推測できた。もちろん先程までスーパーの屋上駐車場にいたことを覚えているので、自分の意思で来た場所でないことは確かだ。


「も、もしかして……ゆ、誘拐? 私、誘拐された?」


 比較的犯罪率の低い日本とは言え、あさひはうら若き女子高生。暗い夜道では犯罪者や変質者と遭遇する確率は決してゼロではない。あの駐車場で音もなく忍び寄り背後からあさひを眠らせたということも十分に考えられる。


「お財布は……ある。スマホも……うん、ある。電波は……圏外」


 しかし不思議なことにスカートのポケットには財布もスマートフォンも入っていた。壁から漏れる光で財布の中を覗いてみたが、数千円の現金もそのままで手がつけられた様子もない。そもそも制服も崩れておらず誰かに触られたような感覚もなかった。


「……あっ、そうだ! 私の相棒!」


 あさひは思い出したように自分のきょろきょろと周囲に目をやる。財布にスマホ、それともう一つ。肌身離さず背負って歩いていた命より大切なもの。


「あった! 良かったぁ……」


 もう6年の付き合いになる、真っ赤なギターの入ったギターケースが少し離れた床に落ちていた。蓋を開けると、やはり相棒はそこにあった。


(ん〜〜〜〜、どういうこと?)


 とすれば、いよいよ今の状況が分からなくなる。金品の物盗りでもなければ誘拐とも考えにくい。少なくともあさひ自身が目当てならこんな重いギターごと攫う理由なんてないはずだ。

 それに今連れて来られたこの場所は、屋内と呼ぶには些か原始的であった。石造りと思しき壁や床に、隙間から溢れる謎の光以外は照明の類といった物は見当たらない。ひたすら薄暗く無機質なこの空間はまるで洞窟か古代遺跡の中だ。


「うぅ、怖いよう……帰りたい……」


 今まで感じたことのない巨大な不安があさひを呑み込もうとしていた。ここが何処なのかも、帰ることが出来るのかも分からない。助けを呼ぼうにもスマホの電波は圏外。頼れるものは、何もない。


「………… ううん、ある」


 あった。たった一つだけ。相棒のギター。これをかき鳴らし歌えば、大体の悩みは吹き飛んできた。


「あ…… ああ〜〜…… あーーーー」


 気付けばあさひはケースからギターを取り出して声を出していた。人が歌をうたうのは理屈じゃない。ただ己の魂が突き動かすままに、あさひは歌声を奏でる。


「冷たい闇ぃいかき消してぇーー……きっといつかーー昇る太陽ぅーー」


 あさひはこの間の迷子の男児に最後まで聴かせられなかった「闇夜のカタストロフ」を歌う。ギターの音色も、あさひのハイトーンの歌声も、石の壁や床を反響し山彦のように遠くに遠くに消えていく。


「ふぅ」


 続けて2曲、3曲と歌い終えると、あさひは壁にもたれるように座り込んだ。不安はまだまだ尽きないが、頭の中は不思議とすっきりしている。


(おい)

「えっ!?」


 一瞬自分を呼んだような声を聞き、あさひはぴくんと跳ね上がる。しかし辺りを見ても人の気配はない。


「き、気のせい……?」

(お前だろ、さっきからうるさいの)

「ひい!」


 気のせいではなかった。尊大だが年若い、少年の声。闇の向こうから誰かがあさひに語りかけてくる。


「だ、誰? どこから話しかけてんの……?」

(知らん。とにかく来い。たぶん、俺を開けられる奴はお前しかいないからな……)


 当然の疑問を無愛想に突っぱねると、声の主はあさひに来るよう促す。来いと言われてもどこに行けばいいか見当もつかなかったが、何故か方向だけは頭に入ってくる。

 声の主は音で語りかけているのではない。脳内に直接言葉を届けているのだと、初めての感覚のはずなのにあさひには自然と理解できた。


「……こ、こっち?」


 声の主に呼ばれるまま、操られるようにあさひは一歩ずつ暗闇の中に足を進める。時に分かれ道を通り長い石の階段を下り、十数分ほど歩いただろうか、あさひが辿り着いたのは不自然なほどの視界が開けた石造りの小部屋だった。


「何、ここ」


 壁や床の隙間から漏れ出ていた青白い光が部屋全体を包んでいる。電球や照明のような人の手で作られたものではない、石そのものが強い光を放つその不気味な部屋にあさひは恐る恐る足を踏み入れた。


(来たな)


 先程から脳内に語りかけていた少年の声が、よりはっきりと聞こえた。光る部屋は行き止まりになっており、奥の段差の上には大きな直方体の箱らしき物体がどっしりと鎮座している。


(よし、俺をここから出せ)

「えっ……? 出せって、この箱から?」


 仕組みは分からないが、どうやら声の主はこの箱の中から呼びかけているらしい。しかしぺたぺたと触って調べてみても、箱には切れ目はおろか模様らしきものすらなく、光ることを除けばまるでコンクリートの塊のようにも見える。


(というか、これって箱……? というか、棺……じゃない?)


 そもそも開ける方法など見当もつかないが、本当に開けて大丈夫なものなのか不安がよぎる。目の前にある大きな物体は遠い昔に映画で見たピラミッドに封印されたファラオの墓にそっくりだ。


(おい、何やってんだ。早く開けろ)

「あ、開けろって言われたって分かんないよ! どうやって開けたらいいの?」

(そんなこと俺が知るか!)

「は!?」


 話が噛み合っていないような気持ち悪さをあさひは感じた。そもそも了承もなくよく分からない場所に連れて来られて、事情も知らないままよく分からない声に理不尽な要求をされているのだ。滅多に怒ったことのないあさひも「むっ」と頬を膨らませる。


(お前なら知ってるはずだろ。だいいち、お前が俺を目覚めさせたんだろうが)

「えっ? 目覚めさせたって……何の話?」


 言葉の理解が追いつかず、あさひは目を丸くする。


(さっきからデカい声でよく分かんねえ歌うたいやがって。お陰で叩き起こされた上にこっから出られなくて迷惑してんだ)

「えっ、何もしかして目覚めたって、私の歌で?」

(ああ、そうだよ)


 あさひには俄には信じられなかった。歌はいくら心を豊かにしたり元気付けることはあっても、しょせんは歌だ。超能力のように物理的に何かに作用するなんてこと、現実ではあり得ない。


「じゃあ何、私がもっと歌えばこれ開くって言うの?」

(ものは試しだ。やってみろよ)


 命令されるのは癪だが、断っても脳内でうるさく騒がれそうなので従うことにした。


「うーん……じゃあ」


 段差に腰掛け、あさひは背負ったケースを床に置きギターを取り出す。じゃかじゃん……と厳かなイントロを響かせ、あさひは得意の「闇夜のカタストロフ」を口ずさんだ。


「どう、開きそう?」

(いや全然)


 声の主とは裏腹に箱はうんともすんとも言わなかった。分かってはいたが、やはり歌声で開く棺なんて非科学的である。


(もっと他の歌にしろ)

「えぇ……」


 その後もあさひはオリジナルの曲の他に流行りのヴィジュアル系バンドの曲、有名なアニメソング、果ては地方のローカルCMソングなど思いつく限り幅広いジャンルの曲を歌った。しかしそれでも棺は開く気配を見せない。歌うことは苦ではなかったが、流石のあさひも脱力する。


(なんか分かんねえけど、なんか違うんだ。こう……お前の声と何かが合わさって、そこからなんか、こう……)


 脳内に声が響くが、漠然としすぎて内容が何も入ってこない。ここまで来ると本当に出たがっているのかすら、あさひには疑わしく思えた。


「じゃあ、次で最後にするから。これでダメだったら他の人をあたって」

(おいそりゃあないだろ! ここまで来たのお前以外いないんだよ!)


 最初の尊大な態度はどこへやら、声の主は情けなくあさひに抗議する。そもそもあさひ自身も理解不能な状況に巻き込まれているのだ。気の毒ではあるが、こんな棺に封印されている少年を苦労してまで助けてやる義理なんてない。

 気を取り直して、あさひは本来演奏する予定のなかった最後の曲……幼い頃から旋律だけ浮かんでいた、名前も決まっていない「あの曲」を口ずさんだ。


「らんらら……らら〜……Uh……」


 自分のレパートリーの最後の一曲。未だ歌詞が浮かばないことから出し控えていたが、思いつくのはもうこれしかない。


(…………あれ?)


 その時、あさひ今まで味わったことのない初めての感覚を得た。

 あれだけいくら思考を巡らせても、相応しい詞が思いつかなかったはずなのに、その時あさひの頭の中には焼き付くようにあるフレーズが浮かんでいる。

 歌える。幼い頃からの夢を乗せたあの歌を、今なら。 


「黒き焔 纏いし者よ……脆き骸を 抱きしめん……三度(みたび)の果てに……凪となりや……」

(……うぉ!?)


 そのフレーズを口にした直後、棺の側面に切れ目が走り強い光が勢いよく漏れ出した。


「ひゃっ! な、何!?」


 突然のことに驚きあさひの歌と演奏が止まったが、光は消えることなく石造りの小部屋を呑み込んでいく。あまりの眩しさに視界は奪われたが「ごごご……」と重い石が擦れる音をあさひは確かにその耳で聞いた。


「っしゃあ、ようやく……出てこれたぜ」


 数秒の後、視界が晴れたあさひの眼前に、一人の少年の姿があった。


「えっ、き…… 君、何者?」


 慄きつつ、あさひが尋ねる。

 褐色の素肌に肩までかかる長い銀髪。赤い二つの瞳。身長はあさひよりも低く、格好は上半身に何も纏わない半裸の姿で腰から下はまるで蛇のような鱗がびっしりと覆っている。

 その出で立ちはあさひの知る一般的な少年とはあまりにも掛け離れていた。


「俺か? 俺は……ククル。それ以外は分かんね」


 ククルと名乗った少年は、そう答えると「にっ」と歯を見せて不敵に笑った。

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