逢魔は唄うアルカディア

第1話 旋律を持つ者

 駅前のショッピングモールの屋上駐車場で、真っ赤なギターを抱えた少女が語りかける。

 

 「突然だけどさ、歌って凄いよね。私昔から寂しかったり心細かったりした時によく歌を歌うんだ。思いっきり声を出すとこう、体の底からじわ〜って元気が湧いてきて寂しい気持ちとか吹っ飛んじゃうの。小さい頃に近所で路上ライブしてるお姉さんがいたんだけど、そのお姉さんの歌を聴いてたらすっごく『かっこいい!』って思って、その人みたいになりたくて私もプロの歌手目指して毎日歌ってるんだ〜」


 年齢はおおよそ15〜6歳ぐらいだろうか、恐らく高校の制服だろう紺のブレザーと茶色のミニスカートを纏っている。すらりとした長身ではないものの、制服から浮き出るそれなりに健康的な身体のラインと背中にかかる長い黒髪、白い肌に大きな瞳は見る人によっては「かわいい方」と言っても差し支えないかもしれない。


「ねっ、だからさ。ボクもちょっと歌ってみようよ。何かリクエストない?」


 少女の視線の先には齢5歳ほどの、話も聞かず一人泣きじゃくる幼い男児の姿があった。恐らく買い物客の両親とはぐれたのだろう、先程から「ママぁ……パパぁ……」とか細い声で両親を呼んでいる。


「ん〜、そりゃそっか。こんなところでギター持った変なお姉さんよりもお母さんお父さんの方がいいよね」


 既に日は落ちて周囲は暗く、二人の場所は出入り口からやや離れている。両親がモール内を探しているのだとしたら見つかるにはもう少しかかるだろう。


「しゃーない、一人で歌っちゃうか」


 そう言うと少女は近くの植え込みに腰掛け、視線を抱えたギターに落とす。

 じゃんじゃかじゃん……と高く細い音が夜の駐車場に鳴り響く。


「あーーーあーーー……かーーえーーるーーのうーーたーーがーー」


 数秒のチューニングの後、少女はギターの音色と共に誰もが知っている童謡を口ずさんだ。少女の歌声に、男児が濡れた目を擦る手を止める。


「おねえちゃん、がっきひけるの?」

「そだよー弾きながら歌も歌えるんだよー。ボクも一緒に歌おうか」

「うんっ」


 少しだけ男児の表情に明るさが戻り、二人ははギターの演奏に合わせて再び歌い出した。それはデュエットと言うには音程もリズムも合っていない余りにもお粗末な代物。それでも年相応にきゃっきゃとはしゃぐ男児を見て、少女は心の中でガッツポーズをした。


「よーしよーし、それじゃあ会場の空気が温まってきたこのタイミングで私のとっておきソングを……」


 男児の笑顔が保たれているうちに、少女はさり気なくギターの演奏を童謡から呻る地響きにも似たマイナーコードにシフトさせる。


「あぁ切り裂かれたぁ〜〜黒い堕天使ぃ〜君の紅い唇でぇぇ〜〜闇夜のカタストロフぅぅ」


 急に聞き慣れないメロディと単語の羅列に男児の合いの手が止まった。さっきまでの笑顔がみるみる曇っていき、その表情は悲しみと言うよりも困惑に近い。それに気付かないまま少女の熱量はぐんぐん上がり、男児は指を咥えてその様をぼーっと眺めている。


「へんなの。おねえちゃんのうた。もっといぬのおまわりさんとかうたってよ」

「……へ?」


 男児のつまらなそうな横槍に少女はふと我に返り、ギターの旋律が間抜けな音を奏でぷつんと消えた。


「変かあ……自信作だったけど、やっぱり私の歌ウケが良くないんだなぁ。ごめんねぇ」


 少女が38番目に制作した初お披露目の自作曲「闇夜のカタストロフ」は失敗に終わった。

 薄々は気付いていた。有名だったり流行りの曲の弾き語りはそれなりに周囲も乗ってはくれるのだが、オリジナルを歌いだしたらいつもこうだ。この子の前でも、部活のバンドでも。

 少女の名は「須賀(すが)あさひ」と言った。ここから近い室星学園高校に通う2年の女子生徒だ。

 あさひが所属するバンド「ビリーヴァ」は今日、高校で行われている文化祭でライブを行う予定であった。

 初めてのステージ、初めての文化祭ライブ。複数の参加グループがいる中で「ビリーヴァ」はトリを担っており、あさひを含めたバンドメンバーは皆、本番の今日に向けて来る日も来る日も練習を重ねていた。しかもあさひのポジションはギター・ボーカル。絶対に失敗できない。高まる緊張と高揚感。

 だがあさひは今日、文化祭ライブに参加していない。


「……じゃあ、次は犬のお巡りさんにしよっか」

「あ、ママ!」


 切り替えてあさひが男児のリクエスト曲を弾こうとした時、男児が遠くを指差し叫ぶ。その方向から彼の母親と思しき大人の女性が慌てて走ってきた。


「コウタ! こんなところにいたのね! 心配したのよ。どうもすみません、うちの子が迷惑かけて……」

「あ、いえ……良かったねコウタくん、お母さん迎えに来て」


 申し訳無さそうにペコペコ頭を下げる母親につられてあさひも小さく会釈する。


「ほら、ちゃんとお姉さんにありがとうって言いなさい」

「おねえちゃんありがとー、ばいばい」


 母親と再会して安心したのか、コウタという男児はさっきまで泣きじゃくっていたのが嘘のような満面の笑顔であさひに手を振る。


「ばいばい……」


 そのまま遠くに歩いていった二人を小さく手を振りながら見送り、あさひはその場でぼーっと宙を眺める。


「みんな、怒ってるよね……」


 あさひは文化祭ライブ前日となる昨日、喧嘩別れに近い形で「ビリーヴァ」を脱退した。以前から流行りの売れ線アーティストのコピーが基本となっている「ビリーヴァ」の方向性に疑問を感じていたためだ。本番も元々は全て既存の楽曲の演奏を予定していたのだったが、意を決して10日前にあさひが自前で作曲した歌を演ろうと提案したところ、メンバー全員から大不評を買った。

 曰く「よくわかんない」「歌詞が意味不明」「客が絶対乗らない」だそうで、あさひの曲に賛同する人は誰一人として残っていなかった。

 そうして部室を飛び出して結局文化祭にも行かず現在に至る。ライブがどうなったか、誰もあさひにそのことを伝えはしなかったが前日にボーカルが脱退したとなれば結果は想像するまでもない。


「……もうちょっと、歌っていこうかな」


 悩んでいても時間は戻らないし、めちゃくちゃになったバンドも立て直らない。せめて仲間たちに謝ろうにも誠実な言葉すら浮かばない。そういうどうすればいいか分からない時に、あさひは決まって一人で歌った。


「ら〜、らんらら、う〜〜うぅ〜〜……」


 いつからオリジナルの曲を歌い始めたのか定かではないが、幼い頃からあさひの頭の中には誰に教わらずとも浮かんだ「旋律メロディ」があった。流行りの歌とも有名な童謡とも似つかない、不可思議な音の運び。誰も聴いたことのないこの歌に相応しい詩を乗せ、世に広げることがあさひにとっての夢だった。


「はぁ……この曲、ピッタリの歌詞が付けばメジャーデビュー間違いなしなのにな……」


 これまで何十曲と作っては歌ってきたあさひであったが、初めに浮かんだこの一曲だけはどうしても歌詞が思いつかないでいた。甘く切ない恋心の歌、暗い曇り空のような憂鬱な歌、稲妻のごとく鼓動を高ぶらせる苛烈な歌、今まで作ってきた歌の詩のどれもがこの一曲には当て嵌まらない。これさえ完成させられれば、今の鬱屈とした現状を変えられる。そんな根拠のない確信だけがあさひの中にはあった。


「 うう〜〜うーー……」


 曲が終わりに差し掛かる。思えばここまで長く外でこの曲を歌ったのは初めてかもしれない。既に屋上から人は消え、この空間に流れる音は自分の奏でるギターの響きだけ。そう感じられる程、あさひの周囲は無音に包まれていた。


「…………そろそろ、帰ろっかな」


 空にはあちこち星が瞬いて、時間はすっかり夜を告げていた。ギターをケースに仕舞い、よっこらせとあさひが立ち上がる。

 直後、その視界が不自然にぐらついた。


「あ……れ?」


 立ち眩みかめまいか、形容しがたい謎の感覚があさひを襲う。肌を通る風の冷たさすら奪われ、意識がどんどん遠のいていく。


「何これ……へ……ん……」


 あさひの身体はその場に倒れ込み、そして消えた。

 これより先、この世界で彼女の姿を見た者はいない。

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