第三十話 “誤”越同舟
【Tips】
異能。人間の魂魄の内部で生成された異界への扉から流れ出た”異界法則”に適応した者達の操る、既存の物理法則に則らない特殊な能力。その異能の行使者は大きく分けて三つに分類される。
一つ、第一領域接続者。自身の内部で異界法則を完結させ、体外にまでその能力を及ぼさないタイプの異能行使者。
二つ、第二領域接続者。自身の内部から外部へと法則を流出させ、既存の物理法則とは異なる効果を周囲に出力するタイプの異能行使者。
三つ、第三領域接続者。上記のいずれにも当てはまらない特殊な条件付けをなされるタイプの異能行使者。
これは異能の指標ではなく、あくまでその異能の種類による分類である。事実、第一領域接続者である【猪狩り】
後天的に異能を獲得する事例は特殊な事例を除いて確認されておらず、そして人間以外が異能を獲得した事例も報告されていない。しかし現在、人間ではない人工培養されたクローンである朱羽亜門の特異な振る舞いによりこの仮説には疑問が投げかけられている。
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それは明らかにチグハグな組み合わせであり、目を疑う光景であった。
黒髪、黒いスーツ、そして黒い瞳。カラスが人として生まれ変わったのならばこうあるだろうという妄想すら抱く程にその身を黒で染め上げた男が先頭を歩き、その背後に男とは対照的な鮮やかな色彩を宿した少女がおずおずと男のスーツの後ろの裾を掴みながらもう片方の手に持った大剣から放たれる淡い光で周囲を照らしながら続く。
兄妹か、はたまた親子とすら思えるその光景だが、この両者の間には本来明確な立場の違いが横たわっているはずである。
反逆者と圧政者、犯す者と裁く者、守る者と殺す者。
刃を向けあい、殺し合うが定めである筈の彼等はしかし、紆余曲折の果てではあるがその行動を共にしていた。
「此処、何処なんだろう……。」
「神宿駅の地下、というわけではなさそうだな。此処の構造は殆どが大戦前の駅の内装を模倣している筈だが、ここはそのどれとも違う。」
不安げに呟く少女へとその底の無いような真っ暗な瞳を向け、男は感情も思考も読み取れない平坦な声で紡いだ答えを返す。
独り言のように放ったその言葉に返答が来たことに驚いた様に、少女───春音は目を見開いて己の先を行く亜門へと問いかける。
「前にも来たことがあるの?」
この国において、記録とは常に統制されるものだ。あらゆる情報媒体から彼女の父親の記録が一夜にして抹消されたように、全てを電子媒体で管理するようになったこの世の中で確かな記録というものは何一つない。
つい先日、どこかで起きたテロ事件が無かったことになっている。あるいは無かったことがあったことにされていたり、政治家の発言が全く違うものに差し替えられている。それは赤裸々に、白昼堂々と行われるものであり、だが同時に国民の多くがその事実を”知りながらも認識していない”。
それを追求して何の意味があるのだろうか。今、確かに生きていられる。ただそれだけが重要で、明日が来るのか来ないのかが最も大切な事で、過去のことなんて気にしていられない。そんなぬるま湯のような、温かい泥の中の微睡のように生きる彼等にとって過去の記録がいくら書き換えられようと大したことではないのだ。
故に、大戦の前の記録のほとんどは国が差し替えているか破棄されている。特に戦前の民衆の暮らしについては正しくブラックボックスのようなもの。
それ故に大戦の前の駅の内装など知る由もないのが普通なのだが、眼前の男は当たり前のようにそれを言い切ってみせた。少女は首をもたげ始めた好奇心と興味の導くままに問いかけ、それに対して亜門はやはり表情ひとつ変えることなく言葉を返す。
「……いや、俺が来たことはない。ただ少し知っているだけだ。」
「エリザさんからは政府はあまり此処に関心がないって聞いてたんだけど、なんで────」
小走りに亜門へと歩調を追いつかせ、横に並びながら喋る春音のその問いかけは途中で遮られる事となった。彼女を制止するように手が伸ばされ、前方から視線をそらそうとしない亜門が静かにその口の前に立てた人差し指を添える。
「……生体反応を検知。」
その瞬間、春音の手の中に集約する光の粒子。光輝を握りしめたその手の中で瞬きの度に色彩を流転させていく水晶の輝きが形となり、無が満ちていた空間を新たなる法則が塗り替える。
現れたのは千変万化の輝きを放つ水晶の大剣。等分された全能の欠片にして、光を統べる王権の象徴。主人公にのみ許された“無限の可能性”を内包したその一振りは美しい色彩と共に敵を討たんと今、己の宿主たる少女の求めに従いその身を顕現させていた。
コツリ、コツリと足音が前方から虚ろに響く。
反響する二人の足音に紛れていたもう一つの足音は今、亜門と春音が静止した事により独奏としてこの場にいる“誰か”の存在を克明に描き出すのだった。
「誰かいる……?」
「誰でも構わないが、道くらい聞けると助かるんだがな。」
鋼鉄から生まれたような───いや実際、それに似たようなものなのだが、冷徹と理性の極みのようなこのクローンが場違いな冗談を飛ばした事に可笑しさを感じながらも春音はその手にした大剣を構える。
無限に前方に続く暗闇。岩壁に露出した淡い光を放つ鉱物の明かりでは到底見通せないその暗がりの中から響く足音の主は今、彼らの視界の中にその姿を現した。
「香織、ちゃん……!?」
此方へと歩み寄るその動きに合わせてゆらりと揺れる青い髪。切れ長の眉に、気の強そうな橙色の瞳が暗闇の中で一際の光を放つ。見間違えるはずのない己の友の姿に春音は目を見開きながら手を伸ばした。
「よかった!無事で……!」
だが、その表情を変える事なく沈黙のまま、真っ直ぐに此方を見つめながら歩調を早めていく彼女のその姿に春音は困惑したようにその手を止め、そして一瞬のうちに己が失念していた状況を思い出しその顔を後悔に歪める事となる。
「あ……。」
そうだ、今の自分は本来ならば敵であるはずの……それも今目の前にいる香織にとっては恩師の仇に当たる人間と同行している。裏切りを疑われても───いや、実際にこれは裏切りだ。彼女との友情への、この国に追われていた自分を保護してくれたレジスタンスの皆からの信頼への、全てに対する手酷い裏切りだ。
だがそれでも、自分はこの悪魔の手を取った。自分以外で唯一、父に関する記憶と知識を持つ朱羽亜門という悪魔の手を。怒りの余りに言葉を無くしたままに近寄ってきていると解釈した彼女は歩み寄ってくる香織へと一歩を踏み出す。
「私のお父さんの事……前に話したよね。誰も覚えてないの。何の痕跡もないの。私のお父さんがこの世界に居たって事を誰も知らないの。」
「…………。」
それは罪悪感の為せるものか、拳を握り締め、尚も此方へと進み続ける己の友人へと必死に彼女は語りかける。
「でもこの人、知っていたの!私のお父さんの事を、お父さんが遺したこの指輪の事も……!」
「…………。」
「だからお願い、戦わないで……!虫のいい話だって分かってる、ここから出るまでの間でも良い!だって、やっと見つけたんだ……!」
「…………。」
父を、唯一の家族を、その存在した痕跡を記憶し知っている唯一の人物。それがたとえ誰であろうと、不倶戴天の存在であろうと、彼女は縋らずにはいられない。
手が届くほどの距離に立ち止まり、歩みを止める香織。尚も何も語らぬその姿に春音は叫んだ。
「何とか言ってよ────!」
友を裏切ったその罪悪感に、それでも譲れない悲願に、その軋轢に涙を流しながら少女は叫ぶ。沈黙のままに此方を見つめるその視線が自分を糾弾しているようで、それでもこうするしか無かったんだと父を無くした娘は叫んだ。
────────そして彼女は自身の背後から迫るその手に気づけない。
突如として襟首が掴まれ、香織から引き剥がすようにして後方へと引っ張られると同時に彼女の代わりと言わんばかりに黒い体が滑り込む。
刹那、眩い
「キャアァァァァァッ!!!!」
のけぞりながら顔面を吹き飛ばされた少女に春音は絶叫しながら、未だ掴まれたままの襟首を振り解こうともがく。
「かお、香織っ!やだ、そんな、なんでっ!」
頭の中が真っ白になりながらも少女は叫ぶ。手から大剣が滑り落ち、数多の光の粒に還元されるその輝きに混ざって涙が地面へと煌めきながら落ちていく。
それでも頭の中で冷静な部分の自分が囁く。裏切るとはそういう事だ。政府は叛逆者を許さない。そして己が取引した男はその政府が首輪の先のリードを握る鋼鉄の犬だ。
こうなる事は分かっていたはずで、その上で自分は父を追うためにこの男の取引に応じた。ぐちゃぐちゃになった感情のままに襟首を掴むその手に掴み掛かろうとしたその瞬間、耳元で平坦な声が響く。
「よく見ろ。」
「違う……私は……!お父さんを……!」
その声が己を糾弾しているようで、この光景はお前のせいだと言っているようで。それに言い訳してしまう自分が何よりも許せなくて。だがその声の主は───朱羽亜門は言い聞かせるように言葉を続けた。
「違う、よく見ろ。血が出ていない。」
「えっ……?」
地面に投げ出された少女の身体へと目を向ける。
────無い。至近距離からの大口径銃の発砲であれば飛び散るはずの脳漿が、脳が、鮮血が、肉が、欠片もない。
鼻をつくのは硝煙の臭いだけ。血錆の匂いはなく、死を思わせるものは死体以外には何もない事に少女は気づき、そして衝撃のあまりに口を覆う。
その頭は、見知った友人の顔は、ひび割れていた。
肉が破けるでも、骨が砕けるでもなく、まるで中身が空っぽの陶器人形に香織の顔を貼り付けた物をぶち抜いたかのようにひび割れ、虚な中身を曝け出す。
そしてその手は肌色と銀色のマーブル模様で表面を彩りながら歪み、何かへと移り変わろうとしていたかのように不規則な形で静止していた。
明らかに本人ではない、それどころか人ならざる姿。よく似た表面を貼り付けただけの異物に春音は息を呑む。
「なに、これ……?」
「知らん。だが少なくとも道を聞ける相手じゃなさそうだな。」
震えた声で疑問を投げかければ、上へと向けられる銃口。響き渡る発砲音と共に上空へと放たれた闇を拭い去る光を撒き散らす照明弾が暴き出した闇の中の真実に春音は絶句する。
調整官として亜門に同行していた銀髪の少女、今回の目的である少女と共に行動していた人々、そして先程顔面を吹き飛ばされた筈の香織と同じ顔をした群衆が照らし出された闇の中に佇んでいた。
同じ顔、同じ服装、同じような無表情。そして───その腕の先は人としての手では無く、何かを切り裂くような白銀の刃へと置換されている。
「ずっと居たの……!?」
「いいや、先程まで生命反応はなかった。壁から這い出てきたのか……?」
周囲を取り囲むように無言のまま佇み、そして言外の害意を如実にその手の凶器に示す彼等の真実に彼女は気づく。
無表情なのではない。彼らの顔はまさしく陶器人形のようにその表情から動かせないのだ。
表面だけを取り繕ったその偽物と自分が会話していた事に背筋に冷たい物を感じつつ、その手に再び水晶の大剣を出現させながらいつの間にやら背中合わせに立っていた亜門へと呟く。
「さっきはごめんなさい。取り乱した。」
「気にするな。それよりも此奴等と仲良くできると思うか?」
「握手は出来なさそうかな……。」
精巧に作られた
「なんであの子はいないの……?」
この場にある顔触れは全てあの場にいた人間のもの。だが一人だけ、どれだけ探しても見つからない顔がある。
紫の髪、破かれてミニスカートになったであろうボロボロのレースのドレスに、どこか気品を感じる言葉遣い。確保対象だった少女の姿が此処には無い。それはつまり────
その思考はしかし、突如として跳躍した数多の人形達により遮られる事となる。
その手の先にある銀の刃をひけらかしながら獣が如く殺到を開始した彼等は、群体でありながら無機質な殺意を共有した一つの生物であるかのように光を背に襲いかかる。
全方位から覆い被さるように進む彼らの目的は一つ。侵入者を殺し、剥ぎ取り、墓所に捧げる事。大いなる者の眠りを妨げた不埒なる者に永遠の死を。
だが、彼らは同時に大いなる過ちを共有していた。
「
「レメゲトン、広域殲滅開始」
七色の極光が迸り触れる物全てを光の粒子へと変換しながら突き進むと同時に、その背後で漆黒の銃口が柱と見紛う程の規模で全てを焼き尽くす光線を解き放つ。
神秘と科学。魔神の亡骸と人の叡智。過程は違えども、至る結果は同じ。薙ぎ払うように放たれた二つの光は跳躍し、空中で避ける余地を無くした人形達を跡形もなく消し去った。
「さて、この隙に────」
「うん!背中、任せるから!」
「……えっ?(小声)」
刹那、無数の色彩を内包した大剣がいとも容易く横薙ぎに振るわれる。空気を切り裂くその轟音が威力を語らずとも示していると言わんばかりに煌めいた太刀筋が衝撃波と共に人形達の首と胴体を泣き別れにさせていた。
「ごめん、香織……!」
なるべく顔を見ないように、という事だろうか。半ば目を閉じながらも少女らしい細い腕に操られる無骨に水晶から削り出されたかの様なその大剣はしかし、まるで熱したナイフでバターを切り裂いたかのような滑らかな断面を残しながら居並ぶ人形達を膾斬りと言わんばかりに切り捨てていく。
豪華に、絢爛に、美しく。
戦いの最中とは思えない極光による彩りが場を満たす中、そんな彼女とは対照的に火薬と鋼が無骨に死を振り撒く舞踏が繰り広げられていた。
あらゆる方向から襲いかかる刃を丁寧に、堅実に、まるで水の中を泳ぐように躱しながら銃を構えれば、轟音と共に放たれた銃弾が一度に五、六体を貫通しながら突き進む。
圧倒的な衝撃を金属の腕が押し殺し、そして背後から迫り来る人形の徒党を脚部から服を突き破って現れた砲塔が出迎える。
『ターゲットロックオン、火器管制システムオールグリーン────。』
搭載されていたマイクロミサイルが突き刺さり、炎と黒煙がじゃれあいながら炸裂する。その小さな兵器は存分に詰め込まれた冒涜的な技術とこの義体へと込められた人命を度外視した匠の遊び心により、火柱を伴いながら起爆した事で周囲の人形たちを千々に吹き飛ばしていた。
そしてその轟音に紛れ、撒き散らされた黒煙を断ち切るように横から振るわれた銀刃は硬質な響きと共にその進行を止められる。
義手の肘と義足の膝に挟まれたその刀身は微動だにせず、その静止の瞬間にもう片方の手に握られていた拳銃が人形の頭を消し飛ばした。
舞い散る残骸を振り払いながらも銃を握る手は精密機械のような正確さで迫りくる無数の人形の脳天を撃ち抜き────
味方を盾に至近距離にまで接近した体が半壊したスーツ姿の少女を模した人形がその刃を振おうとしたその瞬間、人間の関節の可動域を無視した動きで男の片足が高々と掲げられる。
それはまるで流星のような威力と降下する燕のような素早さを伴いながら人形の顔面へと振り下ろされ、そしてそれを皮切りに周囲には静寂が満ちた。
地面に散乱した人形の破片を踏みつけながら、春音は怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんか、同僚の顔だから躊躇したりとか罪悪感とかないの……?」
こいつの顔だからそんな物ないんだよ、という言葉は空気に溶けることなく亜門の喉の中で溶けて消えて行ったのだった。
ディストピアゲーに転生したら行政側だった件について @Yuuganarisisamawowiruya
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