イマジネイション憧憬

藍間真珠

イマジネイション憧憬

 私はサリーに興味がある。

 澄ました顔で電子黒板を見つめるサリーの横顔は、凜としていて好きだ。頬に落ちる短い髪を耳にかける仕草も、時折ひかえめに目配せしてくるところも、鉛筆を指の上でくるくると回す癖も気に入っている。

 サリーはいつもシンプルな恰好をしている。今日も白いシャツにキャメル色のロングスカートという、こざっぱりとした服だった。首元で光る小さな緑の石が、ささやかなアクセントになっている。それになんといっても、時々光を反射して煌めく銀の鎖が、繊細で品があって美しい。あのペンダント、他の子は絶対に選ばない。

 どうしてこんなに綺麗なんだろう。モデルみたいに特別顔立ちが整っているわけじゃあないけれど、汚い言葉も使わないし、余計なことも言わない。サリーはとても秀麗な人間だ。

「こはな、何?」

 すると、サリーがゆっくり振り返った。また見つめているのがばれちゃったみたい。

 私はふるふると首を横に振った。今日は両サイドで結わえているから、亜麻色の髪がふわふわと揺れるのが目に入る。この色が気に入っているからついこうしちゃう。髪の動きは何故か自動反応も豊富なんだ。

「別に、何でもない」

「何でもあるでしょう? こはなったら、さっきからずっとこっちばかり見て」

 苦笑するサリーの白い指が、今日も艶やかな黒い髪を耳にかけた。ああ、なんて美しいんだろう。ついつい見惚れてしまう。

 このアバターの扱いに慣れてきた今でも、私にはあんな風に流れるような動きはできない。投影装置を使ったってきっと無理だ。

「あ、ばれた?」

「そりゃあ、こはなったらわかりやすいもの。授業中だってちらちら見てたでしょう? 先生は気づかなかったみたいだから、助かったわね」

 どうやら私のことを心配してくれていたらしい。サリーはかすかに苦笑した。そんな表情も、やっぱり自然だ。

 でも先生は気づかないはずだと、私はわかっていた。だから堂々と見てたってこと、サリーは知らないみたい。

 あの先生は授業中はカメラを使っていないから、こちらの様子はわからないんだ。たぶんあの先生のドームの回線が弱いせいだろう。私はそう踏んでいる。

「大丈夫大丈夫。私、成績はいいから」

「……そうね、こはなは頭いいもんね」

「頭はよくないよ。成績とは別」

 ため息をつくサリーに向かって、私はきっちり訂正した。サリーのそんなちょっとした仕草だってこの心をときめかせるんだから、もうどうにもならない。

 だからサリーが帰るまで、私はいつも意味もなく教室に残ってしまう。生身の体で遊びに行く先なんて限られているし、それならこうしてサリーを見ていた方が楽しい。

 私は美しいものが好きだ。それも洗練された、飾り立てられていない、シンプルな美が好きだ。これは小さな頃から変わらなかった。中学校に上がっても同じだった。

 それなのにこの電子世界はごてごてしたもので溢れかえっている。私には、それが我慢ならない。

 そりゃあ、気持ちはわかる。現実では手に入らないものだって、アバターだったら自由自在だ。この世界では髪の色を蛍光ピンクにしたっていいし、腰まで伸ばしていても手入れに困ることもない。

 服だってそうだ。パニエを重ねたふわっふわのスカートをはいても、誰の邪魔にもならない。アクセサリーをこれでもかと身につけたって動きが制限されることはない。激しい運動をしている時でも、下着が見える心配をする必要もない。

 だから皆は本当に好き勝手な恰好をしている。飾り立てた自分を誇示して楽しんでいる。でもそういう過剰な美が、私は苦手だった。

「でも、こはなはこの間も一番だったでしょう?」

「だって私、勉強と読書しかしないもん。運動は苦手だし。まあ、アバターでの運動って何の意味があるんだろうねとは思ってる。投影装置があるのとないのとでは、全く話が違うし」

 視覚と音声だけで成り立つこの電子世界への入り方は様々だ。私が使用しているのはいわゆるヘルメット型と言われる装置。

 お金持ちは全身の動きが反映される投影装置を使っていることがあるらしい。コマンド入力で動かすのとは違い、自然な動作ができるのが特徴だ。勉学という点においてだけなら、不要な機能だとは思う。

「それよりサリー、あなたどこの出身なの? そろそろ教えてよ」

 私は机に頬杖をついた。電子世界の住人になっても、何故かこの教室というスタイルは維持されている。気分の問題って話だろうか? でもそういうのも、私は嫌いじゃあない。雰囲気というのは大事だ。意欲に結びつく。

「え、それは……」

「まだダメなの? サリーって秘密主義?」

 わざと唇を尖らせれば、サリーは困ったように笑った。

 アバターでこうして教室に揃っている皆は、現実世界では別々の場所に住んでいる。

 私が暮らしているのは、日本地域の南第五ドームだ。日本地域の中ではかなり小さなドームになる。お父さんは昔で言うところの町みたいなものだなって笑っていた。小さいけれど回線は安定した、比較的恵まれたドームだ。

 サリーはどこに住んでいるんだろう。それがずっと気になっていた。出身を説明する義務はないけれど、仲良くなれば話に出てくるのが普通だ。どうせ現実世界で出会うこともないのだし、と誰もが気軽に口にしている。

 小さな世界での濃密な関係は、些細な揉め事から凶悪な事件を引き起こす原因となる。だから私たちはドーム内での現実の交流を最小限にしていた。その分、電子世界でアバターによる交友を深めていくのが主流となった。

 もちろんここでもいざこざは絶えないけれど、それで命を奪われるようなことはない。何か問題が起きれば別のアバターを作ってまた別の世界に飛び立てばよいだけだ。一カ所に縛られる必要はない。

 これは刹那の関係だと、大人たちはささやかな皮肉を込めて言う。でも死ぬよりはましだ。私もそこに異論はない。

 そうでなくても汚染されていない土地が減り、生命が減り、人類も減っているんだ。アホらしいケンカで命を奪い合うなんて馬鹿げていた。私たちは効率よく生きていかなければならない。

「そういうわけじゃないんだけど」

 と、サリーが言葉を濁した。聞き慣れた電子音声が、少しばかり小さくなる。さっきまでははっきり聞こえていたから、決して機器の調子が悪いわけではないだろう。

「こはなは、どうしてそんなに気にするの?」

 サリーは不思議そうだ。黒い瞳がぱちりとまたたきするのを、私は真正面から見つめる。またキラリと緑のペンダントが光った。

「私、サリーに会ってみたいの」

 正直なところを打ち明ければ、息を呑む気配が感じられた気がした。アバターの交流ではそんなものは感じ取れないはずなのに、確かに私には届いた。

 こんな風に思ってしまうのは、自意識過剰だろうか? お父さんは中学生の流行病だって笑っていたっけ。

「サリーってセンスいいし、かっこいいから、サリーがどんなところに住んでいるのか見てみたいんだ。引き算の美学っていうの? 飾り立てないサリーの姿勢、いいなって思う。盛ってないっていうか」

 サリーからどんな返答が来るのかわからなくて、怖くて、つい捲し立ててしまった。これでうまく伝わるだろうか? 簡単なやりとりには慣れているけれど、こういった話を電子世界でしたことがないから自信がない。

「どんなところに住んでいたら、サリーみたいになれるのか知りたいの」

 私は電子音声に強弱をつけた。コマンドを入力すると、視界の隅で亜麻色の髪が揺れる。熱意を示すべくアバターの私が身を乗り出せば、サリーはかすかに顔を背けた。

「ねえお願い」

 いつも美と機能を追求するお父さんの姿勢を見ていたから、私も自然とそういう方面に意識が向くようになった。

 そんな私の前に現れたサリーは理想の女の子だ。こんなに気になる人は初めてだった。だから近づきたい。サリーのことがもっと知りたい。

「私も、こはなには会いたいけど」

 口ごもるサリーに、とくんと私の心臓が跳ねる。でもこの世界ではそれは伝わらない。サリーの目に映る仮想の私に、そういう不要な現象は反映されない。

「でもね――」

 断られる。拒絶される。そう悟った途端に、血の気が引いた。どうしてという言葉が、頭の中で渦を巻く。この電子世界を抜け出したいと咄嗟に思った。大人たちが言っているように、即座に、すみやかに、そこを飛び出せばいいと。そうすれば嫌なものを見ずにすむ。

「来ない方がいいと思うの」

 何か言いづらいことを口にするように、サリーは告げた。躊躇が滲んだ声は、サリーがそう演出しているのか。それとも私の心が勝手にそう受け取っているだけなのか。ぐらぐらと揺さぶられる頭では、上手に認識できなかった。

「……どうして?」

 つい口調が硬くなった。実際の声が伝わる世界でなくてよかったと心底思う。私の声は電子音声として、余計な情報は削ぎ落とされて、サリーの耳に届くはずだ。本当によかった。実際の私の声は、ひどくぶっきらぼうだったはずだ。

「遠いところなの?」

 まるで詰問するような調子で、私は続ける。ずきずきと胸が痛い。息が苦しい。今のは聞かなかったことにしてと言いたくなる。

 確かに、ドーム間の移動は大変だ。時間もお金も掛かる。でも「いつか」って考えるのは自由だろう。そのための方法が皆無なわけでもない。

 高校生にもなれば、私だって一人でドームの外に出ることを許される。そのためにお小遣いだって今から貯めている。決して夢物語ではないはずだ。

「――私がいるの、空のドームなんだ」

 サリーがつと瞳を細めた。空のドーム。数字なしのドーム。それが意味するものを、私だってもちろん知っていた。

 それは療養型のドームだ。何らかの理由で体や精神が不自由な人たちが暮らす、専門ドームの一つ。他のドームよりも大きく、施設が整っていて、でも出入りに厳しい制限がかけられているドーム。

 何て答えたらよいのかわからなかった。それでも自分のしでかしたことの重みは、嫌と言うほど感じられた。ここが現実世界でなくてよかった。私はきっと今ひどい顔をしている。

「あ、でも、そんなに重くはないんだ。ちょっと手足がちぐはぐというか、動きが変なだけ。でも検査も必要だし、リハビリも頻繁だから。だったらこっちのドームに移った方が早いんじゃないってことになって、子どもの頃に移り住んだの」

 サリーが気を遣ってくれているのが伝わってくる。言いたくないことを言わせたのは私なのに、怒るわけでもなく。いつになく饒舌にサリーは説明する。

 ちくちくと胸が痛んだ。先ほどとは種類の違う痛みだ。なんて間抜けなんだろう。こんなはずじゃなかったのに。やっぱり私は頭が悪い。成績がよくても、これではダメだ。

「驚いたでしょう? ごめんなさい」

 優しいサリーの言葉が染みる。たぶん私が何も言えないでいるせいで、サリーは困っている。きっとそうだ。

「盛るのって、ちょっとかっこ悪いよね。わかる。でもこはなはそう言ってくれるけど、私も実は、これでも十分盛ってるんだよね……」

 自嘲気味なサリーの言葉を聞いていると、喉の奥がチリチリ焼けたような感触がした。私はなんて馬鹿なのか。引き算の美学? さっき、何を知ったようなことを口走った? その時サリーはどう思ったのか。想像するだけでぞっとする。

「ごめんね」

 それなのにどうしてサリーが謝っているんだろう。怒ってくれた方がまだ楽だった。「私の気持ちなんて知らないで」とでも叫んで憤ってくれた方が、まだ惨めな気持ちにもならずにすんだ。

 ――ああ、それじゃあダメなのか。私はまた自分のことしか考えていない。かっこいい自分とはほど遠い。こんなの綺麗じゃない。美しくない。

「ううん」

 かろうじて首を横に振れば、亜麻色の髪が揺れた。ぎりぎりと締め付けられる胸に、また息苦しさを覚える。それでもアバターの私はいつも通りに笑っているはずだ。

 そうなんだ。出したくない感情を、反映したくない仕草を、この世界では出さずにすむ。それはサリーだって同じだ。

 サリーが本当はどう思っているのか、ここでは決してわからない。この世界で知ることができるサリーは、限られている。私の目に映るのは、サリーが見せたいサリーだ。

「謝らないで。サリーは悪くないよ」

 私の言葉だってどう受け取られているのか。でもその方がいいと大人たちは笑う。仮初めの世界だからこそいいのだと。外に出したものが全て。それがなりたい自分。伝えたい自分。余計なものを削ぎ取った、理想の自分。

 ――でも実際は、理想とはほど遠い。

「私がよく知りもせず馬鹿なこと言ったから」

「違う。私が話してなかっただけなの。その……普通になりたくて。普通でいたくて。でもそう振るまっていたつもりだったのに、こはなにはそう見えてなかったんだね。やっぱり違うんだなぁ」

 そこで予想もしない言葉が返ってきた。不意に、サリーの声がわずかに震えたように思えた。電子音声にそんな機能はないから錯覚だ。でも、私にはそう聞こえた。

「普通って難しいね」

 しみじみとした口調。サリーはそんなに普通になりたかったんだろうか? 皆は普通になりたくなくて、特別でいたくて着飾っているのに、サリーは普通でいたかったのか。サリーが目指した普通ってなんだろう? やっぱり私にはわからない。

「……そりゃそうだよ」

 私は固唾を呑んだ。わからないならどうすればいいのか。ここにはお父さんもおじいちゃんもいないから、アドバイスももらえない。間違えそうになっても、指摘してくれる人はいない。

 私は馬鹿だ。頭がいいと言われるけれど、馬鹿なんだ。だからいつもうまくいかない。つい余計なことまで口にして失敗する。伝えたい言葉だけ伝えればいいのに、もっともっとと願ってミスをする。コマンド入力の間違いでは説明できないミスだ。

 だからもう一度考えなければいけない。私が本当に伝えたいものって一体なんだろう? サリーに届けなければならないものは、何なんだろう。深呼吸してみれば、すんなりと言葉は浮かんだ。

「ここでは、なりたい自分になれるんだから」

 この世界では外に出したものが全てだ。サリーの整った言葉遣いも、なめらかな動きも、全部サリーが理想として描いたものだ。みんなが目指すものが違えば、その平均に点を打ったところで意味はない。そこはサリーの望む普通じゃない。

「サリーはただの普通じゃなくて、かっこよい普通を目指したかったんじゃない?」

 ここで自由自在に動くのも簡単なことじゃあない。高性能な投影装置を導入して十分な回線を用意すれば、自分の動きを簡単にトレースできるけど。そうなると今度は余計なものまで入ってしまう。

 サリーはきっと努力してきたはずだ。その結果が今のサリーだ。周りと違っていたっておかしくはない。

「ただの普通って」

 ふっとサリーが笑った。傾けた頬に、たおやかに黒い髪が触れる。あらかじめプログラミングされた自動反応だけでは説明できない、そういった美は私の憧れだ。たぶん、現実のサリーが焦がれたものでもある。

「こはなって変なこと言うのね」

「そう? 私は変わった人を目指してるから」

 手を広げて胸を張れば、サリーはくつくつと笑った。そういう仕草一つ一つがやっぱりとても素敵だ。サリーは美しい。

 私は馬鹿だけど、でもこれだけは間違えない。自分が欲しいものだけは見失ったことがない。綺麗なものを見たいという気持ちはずっと変わらなかった。

 私は今のサリーを形作るものが見たい。サリーが目指すところも、現実のサリーも知りたいんだ。

「だから、私はサリーに会ってみたいんだ」

 いつだって答えはシンプルと決まっている。私はそう信じてる。

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