終礼

 放課後になってからも、先生の仕事は続きます。空いている時間に採点や次の授業で使う教材を準備していますが、まだ終わっていないことはあります。それは授業の振り返りです。時間配分や難易度の適切さ、分かりやすい説明をするために画像や例え話はあるか。足りなかったことを踏まえ、翌日の授業に活かしていかなければいけません。単元が終わってしまったら、次の単元や来年同じ学年を指導するときに改善させます。


 たった五十分の授業ですが、準備にかかる時間はそれよりも長いです。クラスによって学力も雰囲気も異なるため、問い方も変わります。生徒が「分からないから調べてみよう」と思うか、「分からないから寝よう」と思うかどうかで、指導法は変わってきます。やる気やヒントの出し方も、クラスのことをよく知らなければ適切な対応ができません。生徒との関係性を築くことは、板書のレイアウトや生徒への問い方を考えることと同じくらい大切なのでした。


 人の内面は植物と異なり、成長が目に見えにくいです。だからこそ生徒の考えやできたことを褒め、行動する勇気を失わさせないようにするのが教師としての役目だと思っています。


 専門教科の知識が豊富でも、生徒に見向きもされなければ心がしぼんできます。自分の声が笑い声や雑談に消える状況で関心を向けさせるのは、喉も精神も枯れます。それが毎日繰り返されます。注意する時間がかさみ、進みたい範囲までいけなかったことも多々あります。


 わがままだらけの子ども達の手網を握ろうと思えば、鬱になります。真面目な人ほど、理想と現実の落差に自分を責めるもの。机を回っているときに「邪魔」「あっち行けや」と言われ、消えたいと強く感じたこともありました。命の糸を途絶えさせずに済んだのは、相談できる人がいたからです。


 容赦なく斬りつけられる言葉のナイフが痛いのは、生徒の声を受け止めすぎるから。共感的傾聴は先生にとって必要なスタンスですが、受け流せる術がなければ、スマホ使用がバレたくない故の暴言だと気づけないでしょう。


 誰にとっても百点の先生にはなれません。優しい先生は生徒に好かれるものの、何をしても許されると勘違いされて自由奔放になります。嫌われることを恐れず、ルールが守れていないときは叱り、真面目な人が損をしない環境を整えていかなければなりません。百点の先生は無理でも、よい先生でありたいと思っています。


 今日の自分は、何点の先生だろう。あのとき、どう接してあげられるのが正解だったのかな。


 答えのない問いを日々考え、生徒とともに成長し続ける教職は、私にとっては嫌いな仕事ではありません。ただし、悪ふざけに巻き込まれることを除いて。

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せんせー、何点取れるん? 羽間慧 @hazamakei

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