最終話

「先輩、ありがとうございます・・・」


 その瞬間、僕は目頭が熱くなるのを感じた。

 こちらに向き直った先輩は、僕の顔を見てぎょっとした。


「! おい、清水しみず・・・まさか泣きそうになってるのか? 泣くなよ、こんな所で・・・!」


「な、何言ってるんですか、先輩。泣くわけ・・・ないでしょう・・・!」


 そう主張してみたが、僕の目からは涙がこぼれ落ちる寸前だった。

 

 先輩はおろおろと周囲を見回し、僕らが注目を浴びていないことを確認した。


「俺が泣かしたみたいじゃないか・・・トラブルがあったと思われたらどうするんだ」


「だから、僕は泣いてないですってば・・・」


 慌てている先輩がおかしくて、僕は涙を浮かべたまま笑ってしまった。


 先輩は僕の表情をチラリと見て、不満げに腕を組んだ。どことなく、照れくさいのを誤魔化しているようだった。


「まったく・・・こういうのは苦手なのに」



 その言葉で、僕は10月に行われた学園祭でのことを思い出した。


 学園祭。

 文芸サークルは文芸誌の特別号を配布したのだが、その冊子はなかなかに好評だった。そして最終日の夕方、部員達は部室に集まり、互いにねぎらいの言葉をかけ合った。


 特別号を学園祭に間に合わせるまでには苦労もあったので、誰もがやり切ったという満足げな顔をしており、中には涙を流している部員もいた。

 不思議な高揚感が、部室には充満していた。


 その時僕は、そそくさと廊下に出ていく三芳みよし先輩の姿を見つけた。


 労いから逃げるように姿を消した先輩は、そのまましばらく戻ってこなかった。

 いつものことだからなのか、他の先輩達も、無理に連れ戻そうとはしていなかった。



 おそらく先輩は、所謂いわゆるセンチメンタルな場面が──人の感情が溢れ出ているような場面が、苦手なのだろう。


 それなのに、感情的になった僕の言葉を受け止めて、向き合ってくれた。自分の気持ちを、ちゃんと伝えてくれた。



(・・・先輩は本当に、温かい人なんだな)



 その温かさが、今はただ、嬉しく感じられた。



「先輩、今日は本当に・・・ありがとうございます」


 僕は心からそう言った。


「別に、改まって礼を言うようなことじゃないだろ」


「先輩、いつか絶対、雑誌つくってくださいね」


「? なんだよ、いきなり」


 先輩は怪訝そうに眉をひそめた。


「僕、先輩のつくった雑誌、毎号買いますから・・・作家になって、寄稿しますから」


「・・・言われなくても、いつかつくってみせるさ」


 先輩は、満更でもなさそうな顔で言って、笑みを浮かべた。



 少し時間が経ってしまったけれど、テーブルの上のホットコーヒーは美味しいままだった。

 それに今度はもう、飲んでも切ない気持ちにはならなかった。



 僕はソーサーにカップを置き、先輩に言った。


「先輩。実は僕も、写真を撮るの好きなんです。今日は持ってきませんでしたが、カメラも持ってます」


「へえ、それは知らなかったな」



 些細なことでもいいから、先輩にもっと『僕』のことを知ってもらいたいと思った。

 先輩に僕のことを知ってもらいたいし、先輩のこともちゃんと知りたい。


 好きだから。


 先輩が、僕が先輩に抱いているのと同じ感情を僕に抱くことがないのだとしても、この人と、もっと親しくなりたい。



「それじゃあ今度、雪が降った後にでも、カメラを持ってくるといい。雪景色の庭園はすごく綺麗だからな」


「はい、そうします! その時は先輩も──」



 そしてまた、一緒にこの茶店を訪れたい。注文するのはお茶でもコーヒーでも、何だって構わないから。




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日本庭園でホットコーヒー 胡麻桜 薫 @goma-zaku-12

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