第7話

 茶店の静けさに、僕らの間を流れる沈黙が加わった。

 

 無茶なことだと分かっていて口にしたくせに、僕はすぐ後悔した。なんてことを言ったんだと、自分自身に呆然とした。


 何が『可哀想な弟として見るのをやめてください』だ。


 4月に出会ってからずっと、僕は三芳みよし先輩に惹かれながらも、先輩と交流を深めようとはしてこなかった。

 尻込みして、自分のことを知ってもらおうという努力をしてこなかった。


 だから先輩にとって僕が、サークルの後輩というより『高校三年の時に亡くなった清水しみず涼太りょうたの弟』として認識されているのは、当たり前のことなのだ。


 先輩は『僕』自身のことをほとんど知らないのだから。


 それなのに、まるで先輩を責めるような言い方をして・・・兄さんが聞いたら傷つくようなことを言ってしまった。


 僕は、自己嫌悪からくる恥ずかしさで、顔が赤くなっていくのを感じた。



「・・・悪かった」



「!!」


 うつむいていた僕は、バッと顔を上げた。


「謝らないでください! 謝るのは僕の方です! ひどいことを言っちゃって・・・! あの、僕は──」


「いや、いいんだ。お前の言いたいことは分かる・・・悪かったよ」


 先輩はソファー椅子に座り直すと、真剣な表情で僕を見つめた。


「確かに俺は、お前を気遣っていた。無意識のうちに」


「せ、先輩・・・」


 あたふたとする僕を見て、先輩は小さく微笑んだ。


「まあ、聞いてくれ」



 先輩は窓の外にふっと視線を向けた。そして、高校時代を振り返るように──懐かしむように目を細めてから、僕の方に向き直った。



「高校の教室で清水は──お前の兄貴は、よく家族の話をしていた。俺は会話に混ざっていたわけじゃないけど、あいつと席が近い時には、よく聞こえてきたんだ。家族について楽しそうに話す、清水の声」


 先輩はそこで言葉を止め、不意に難しい顔をした。眉根を寄せ、その先を話そうかどうか、悩んでいるようだった。


「・・・正直言って、羨ましいな、と思った。俺の両親は家を留守にしてることが多くて、俺はいつもひとりだったから。羨ましいと思って・・・それで、あいつの話にこっそり耳を傾けてたんだ」


 そう言うと、先輩は気恥ずかしそうに頬の辺りをかいた。


(・・・知らなかった・・・)


 僕は先輩の少し寂しそうな声を聞いて、僕だって先輩のことをほとんど知らないのだと、今更ながらに痛感した。


「あいつは弟の話もよくしていた。それを聞いて、仲のいい兄弟なんだろうなって思ったよ」


「あ・・・」


「あんな楽しそうに話すほど、兄弟仲が良かったのなら・・・あいつが亡くなって、きっとすごく悲しい思いをしたんだろうなって──すごく、つらかったんだろうなって、そう思ったんだよ、お前と初めて会った時に。だから、俺は・・・」



 先輩はふっと息を吐き、どこか後ろめたそうな表情を、僕に向けた。



「お前に気を遣ってたんだと思う、無意識のうちに。いや・・・違うな、無意識じゃない。『可哀想』だって、明確に同情してたんだ。同情して、お前を気遣うようにしていた。お前が、どう感じてるかなんて考えもせずに」


 僕は思わず、テーブルの方に身を乗り出した。


「先輩、僕は・・・!」


「・・・お前はお前で、今はもう大学生になって、立派にやってるんだ。いつまでも『兄を亡くした可哀想な弟』として扱われるのは、苦しいよな。考えてみれば、当たり前のことだ」


「!!」


「お前の兄貴のことを忘れるってのは、申し訳ないけど無理だ。でも、気遣うのは・・・可哀想だと思って気遣うのは、やめる。お前はあいつの弟である前に、俺にとって大事なサークルの後輩なんだから。もっとちゃんと、お前自身と向き合うようにするよ」


「先輩・・・」


 僕は、こわばっていた身体から力が抜けるのを感じ、ソファー椅子の背もたれに身を預けた。

 先輩の言葉が、胸を詰まらせていた苦しさをスッと消していく。


「・・・まあ、そういうことだ。ここまで言えば満足だろ?」


 先輩は不貞腐れたように顔を背けた。その顔は、ほんのりと赤くなっていた。

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