第6話

 僕は持ち上げたカップを、カチャリとソーサーに下ろした。


「・・・先輩、気を遣わなくてもいいんですよ」


 僕が出し抜けにそんなことを言ったので、先輩は目を丸くした。


「俺は別に、気なんて・・・」


「気遣ってくれてるじゃないですか、いつも。今日だってせっかくの休日なのに、僕なんかに付き合って、優しくしてくれてる」


「・・・それは、サークルの先輩として当然のことをしているだけだ」


 僕は首をブンブン横に振った。


「嘘です。だって先輩、普段はそんなキャラじゃないでしょう」


「『キャラ』って・・・」


 僕は膝の上に置いた両手を、グッと握りしめた。


 お願いだから、気を遣わないでほしい。

 無理して優しく接するのは、やめてほしい。



「先輩、兄さんのことで僕を気遣うのは・・・やめてください」



「! 清水しみず・・・」


「わかってるんです。先輩は兄さんのクラスメイトだったから、兄さんが死んでしまったことを知っているから・・・だから、弟である僕を可哀想だと思ってくれている。『兄を亡くした弟』を可哀想に思って、気遣ってくれている」


 ぶっきらぼうで、かたい表情を浮かべていて、優しくないように見えるけれど、さりげなく周りをサポートして、困っているところを助けてくれる。

 不器用で優しい言葉を、ボソリと口にしてくれる。

 それが、普段の──みんなが知ってる、三芳みよし先輩だ。


 でも僕に対しては、優しい。

 かたい表情を見せても、その表情をぎこちなくやわらげ、気遣いの言葉をかけてくれる。

 そっけないような態度で隠すことなく、ストレートに。


 先輩は無理をしている。

 もちろん、先輩が本質的に優しい人だっていうのは分かっている。だから、先輩が僕にかけてくれる優しい言葉は、本心からのものなんだろう。


 でも、らしくないことをさせているのだ、先輩に。

 僕の前では、先輩は自然に振る舞えていないのだ。


 そう考えると、なんだか僕と先輩の間にだけ壁があるような感じがして、寂しかった。

 他のみんなよりも、僕は先輩と距離がある。そんな風に思ってしまうのだ。



 最初からそこにある壁。

 決して埋まることのない距離。

 その理由は──。



「三芳先輩」


 言葉を失っている先輩を、僕はまっすぐ見つめた。


「・・・なんだ」


 兄さん、ごめん。

 僕は心の中で兄に謝った。

 ひどいことを言おうとしている、その自覚があるのに、言葉を止められなかった。


「僕の兄のこと、忘れてください。たいして親しくなかったんでしょう? いいじゃないですか、忘れても。兄さんのことを忘れて、そして・・・僕を『可哀想な弟』として見るのを、やめてください」


 言葉に色がつくのなら、僕の今の言葉は、窓から見える紅葉もみじのように真っ赤だったと思う。

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