第8話 月の都
「死にたいのは僕も同じだ」
君は悲しげに顔を振るばかりだった。満月が満ちるように欠けるように希死念慮も徐々に大きくなったり、小さくなったりするのだろうか。
「月の都なんて逝ったらいけない。芸能界もつらければいっそ、辞めてしまえばいいんだよ。生きてさえいれば」
いつの間にか大声で叫んでいた。……僕だって毎日が大きくなった不安で常に心配だった。先行きが見えなくて、どんなに不安を押し殺しても不安はまた大きくなってしまい、しまいには。死の誘惑さえも感じていた。
「もう限界なんだよ……」
二人で月光の下、涙を流していた。耐えきれない重みに二人で耐えていた。
「僕も。本当に毎日がきつくてしょうがない。弓づくりだってまだまだ上達しない。父さんみたいにはなれないよ」
芸能界で活躍する君は見違えるように、日陰者の僕と違って、この望月のように輝いて見えていた。僕の人生が暗転していくにつれ、顔なじみだった君が遠くの世界の天女のように見えていた。いや、それは違う。状況はめまぐるしく変わっても、変わっていなかったのだ。あの頃のように物語が好きで常にびくびくしていた君だったのだ。
「不安を切ってはいけない。月の都にも逝ってはいけない。だから」
君は大声で生まれたままの子供のように泣き始めた。
「本当に?」
演技ではなく、あの頃、いじめられたときの帰り道、二人で慰め合ったときのように、僕は漲る恐怖を押さえて、光る真竹の前の君を抱きしめた。
「大丈夫だよ。死んだらダメだ」
それは僕自身に言い聞かせた言の葉だったかもしれない。目映い金剛石のような月明かりが僕らを導いている。
「僕がいる。僕がいるから」
世間で言われている根も葉もないうわさ話も僕には関係がない。生身の純粋な君を僕は昔から知っている。
「私、このまま生きていてもいいのかな……」
その月の出ない闇夜のような言の葉を封鎖するように僕は顔を近づけ、君と口づけを交わした。
「いつでも死のうと思えば死ねるんだ。すぐに今じゃなくてもいい」
君は僕の背中を抱え込み、驚いたように狼狽えながらも、一筋の月の涙を流していた。光る真竹が秋月に向かって囁いている。月は地球にいる人々に対して愛おしむように、周期を繰り返して光り輝くのだろうか。時折、新月の晩が訪れるのは月でさえも孤独になりたいからなのだろうか。満月のような君も、新月のような僕も生きたい、と心から冀う。
「今日は月が綺麗だよ。……君のように」
月影の下、僕らは互いを慰めるように何度も月が地球を見捨てぬように何度も抱擁を繰り返していた。夏目漱石の翻訳を気取っていつの間にか呟いている僕がいた。
「夏目漱石の翻訳みたいだね。真尋君は昔から今まで何も変わっていないなあ」
今夜は月が綺麗ですね、とは夏目漱石が訳した解釈によると、『君を愛しています』という意味なんだ、と物知りの君ならば知っているだろう。こうやって遠回しに告げるしか、僕には選択肢がなかったのだ。
「君がいるこの世界が月の都だよ。僕にとっては」
千尋草、半ばの月 詩歩子 @hotarubukuro
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