第24話 写真

「母が、亡くなる前に、会っていた人がいるはずなんです。」


美香の書き置きを月島に渡しながら、璃子は切り出した。


「探すことはできないでしょうか?私を見つけてくださったみたいに。」


数日前、月島のもとに、璃子から連絡が入った。


育ての親である林美香に関して、調べたいことがあり、相談にのって欲しいという。


話を聞くため、月島は仕事終わりに、璃子のマンションを訪れた。


“昔お世話になった人に会いにいきます。明日もどります。ごめんね、試験がんばって。”


渡されたメモ用紙を確認し、月島は頷いた。


「璃子さんを探す際に使った調査会社に、依頼することはできます。事故当日の美香さんの足取りを掴むことができれば、見つけられるかもしれません。」


「よかった。取次をお願いできますか?」


「はい。どうして、この方を探そうと?」


「その人なら、母や私の過去について、何か知っているかもと…」


璃子は5歳まで過ごしたはずの子ども部屋や、自分の写真、動画のどれを見ても、何も思い出せないことを月島に話した。


「璃子としての記憶がないことが、不安なんです。家族にも申し訳なくて…。それに、母のこと…」


美香に対する複雑な思いを上手く言葉にできず、璃子は言いよどんだ。


渡されたメモ用紙を璃子に返しながら、月島は以前から気になっていたことを璃子に聞くことにした。


「美香さんの写真があると、調査を依頼しやすいのですが、使えそうな写真はありませんか?」


玲子の指示で、千智が璃子である可能性について調べた際、母親である美香についても調査が行われた。


千智の戸籍を取得した際の記録や、美香の生い立ち、育った児童養護施設を特定することはできた。


しかし、奇妙なことに、美香の写真は一切見つからなかった。


まるで、意図的に処分したかのように。


「その、母の写真はなくて…」


璃子は書き置きを挟んだ手帳の縁をなぞりながら、気まずそうに言った。


「写真って、やっぱり普通は残っているものなんでしょうか?」


美香は写真を一切撮ろうとしなかった。


そのため、美香と千智の家族写真は残っていない。


美香の葬儀の際も、遺影にできるような写真がなかった。


その時、家族の写真が一枚も無いことが、一般的にみれば少し奇妙であるらしいことを、千智ははじめて知った。


「そうですね…、家族写真が一枚も残っていないとなると、少し…意図を感じてしまいます。」


月島は思案しながら答えた。


「意図?というと?」


「写真を残さないようにしていたのかもしれません。というのも…」


月島は、美香が育った児童養護施設にも、美香の写真が一切残っておらず、処分された疑いがあることを語った。


手にしていた手帳をぎゅっと握って、璃子は俯いた。


月島の言う通り、美香が意図的に自分の写真が残らないようにしていたのだとしたら、その動機は何だろう。


やはり、美香は璃子の誘拐に関わっているのかもしれない。


けれど、自分を愛して、大切にしてくれた美香を信じたい。


“きっと、何か理由があるはず。”


過去に何があったのかを、美香のことを、自分は知る必要がある。


そうじゃないと、きっといつまでも不安を抱えたままで、前に進めない。


美香との思い出を、千智だった時間を、否定したくない。


璃子は顔を上げた。


「もし、明らかになった事実が、私の望むようなものじゃなかったとしても、受け入れます。」


“全てを知って、これからを生きるために。”


決心した璃子の瞳を見て、月島は頷いた。






「あ、そうだ。先日お借りした眼鏡をお返しします。」


話を終えて帰ろうとする月島を見送りながら、璃子はリビングのサイドボードに置いてあった月島の眼鏡を手に取った。


昼食会の日以降、借りたままになっていた。


手にした眼鏡を見つめながら、璃子は美香の容姿を思い浮かべ、まだ話していない事実を、月島に伝えるべきかを考えた。


佐伯家の人々にも、話せていない。


璃子自身も、この事実をどうとらえるべきか、考えを整理できていなかった。


「どうかしましたか?」


眼鏡を見つめたまま、押し黙る璃子に、月島は問いかけた。


「母は目が悪くて、いつも眼鏡をかけていたんです。でも…」


璃子は迷いつつ、眼鏡を月島に返しながら言った。


「眼鏡をかけていない素顔は、美由紀さんによく似ていました。」






美由紀と美香は似た顔をしている。


璃子はそう言った。


偶然とは思えない事実を、どうとらえるべきか。


タクシーの後部座席で、考えを巡らせていると、友人の有本から月島にメッセージが届いた。


“暇だ。来るなら今日だぞ。”


夜に飲みに行くと約束をして以降、まだ有本の店には顔を出していない。


“…いくか。”


月島は運転手に行き先の変更を告げた。


しばらくして、客のいない店に入ってきた月島を見て、有本は驚いた顔をした。


「早かったな。何にする?」


「ジントニックで。」


月島は上着のボタンをはずして、カウンター席に腰掛けた。


「こんなに早く来るなんて、何事だ?」


「タイミングがよかったので。」


「お嬢様とはその後どうだ?」


「その件で、頼みたいことが…」


月島が話そうとすると、話の腰を折るように、入口のドアベルが鳴り、2人組の女性が入ってきた。


女性たちはカウンター席に座る月島を見て互いに目配せをすると、少し距離をとって同じカウンター席に座った。


月島は、思い出したように璃子に貸していた眼鏡を取り出した。


眼鏡をかける月島の前に、ジントニックを置きながら、有本はからかうように囁いた。


「もう、遅いと思うぞ。」


しばらくすると、女性たちは距離をつめ、月島に声をかけてきた。


月島は女性たちの誘いを笑顔で丁重に、しかし率直に断った。


ばつが悪そうに離れる女性たちに気づかれぬよう、有本は笑いをこらえているようだ。


「相変わらず、取り付く島もない対応だな。」


「…すみません。」


「素直か。」


月島は、自分を見た途端、目の色を変える女性たちが苦手だ。


意味ありげな視線を向けられるのも、遠巻きに注目されるのも、心地の良いものではない。


対照的に有本は、女性から寄せられる関心を心底楽しんでおり、居心地悪そうな月島の様子が、面白くて仕方がないらしい。


話題を変えるため、月島はジントニックを飲み干し、バーボンウィスキーを注文した。


ロックグラスに注がれた美しい暗褐色の液体を見つめながら、月島は璃子の瞳の色を思い出した。


璃子はときどき、真っすぐに月島を見つめる。


その瞳は、とても澄んでいて…


“綺麗だ。”


璃子は、どんな事実を知っても、受け入れると言った。


自分も、受け入れられるだろうか。


光に透かすようにグラスを傾けると、氷がカラリと音を立てた。






数日後、月島は故郷の街を訪れていた。


「来られる日だと思っていました。」


受付の女性は月島を見て微笑んだ。


案内の看護師に連れられ訪れた病室からは、かすかな歌声が聞こえてきた。


ベッドに腰掛けた老女が、おだやかな表情で歌っている。


ふたりが部屋に入ると、老女は歌うのをやめて振り向いた。


「日下さん、面会ですよ。」


「どちら様?」


「お孫さんです。」


「孫?私まだ23ですよ。」


老女が不審がると、看護師は少し同情するような表情で、月島を見た。


「大丈夫です。」


月島は看護師に軽くうなずき、ベッドの脇に置かれた椅子に座り、老女に話しかけた。


「久しぶり。具合はどう?」


健忘症の老女は月島が誰かを覚えていない。


若かった頃の記憶の中を生きる老女と、久しぶりに会った知人として、脈絡のない奇妙な会話をする。


「主人が撮ってくれた写真がないの。大切にしまっておいたはずなのに、おかしいわ。」


老女は夫が撮った写真が無くなったと言って不安がった。


「大丈夫。家にあるよ。」


月島は老女を安心させるため、話を合わせて嘘をついた。


夫妻が一緒に暮らした家も、思い出の品々も、今はもうない。


1時間ほど話をし、また来ると言って、月島は病室を後にした。




病院を出た月島は、しばらく車を走らせ、工業地のある海岸線に出た。


車を止め、真冬の灰色の海岸を歩く。


風が強く、波が高い。


空にはうっすらと月が浮かび始めていた。


突堤の先端にたどりつくと、月島は手にしていた花束を置き、風上に座って、かばうように線香を上げた。


強い風に吹かれて、線香が燃え上がる。


その様子を瞳に映しながら、月島は10年前の光景を思い出していた。


煌々と照らされた、真夜中の海。


煙を巻き上げ、燃え盛る船。


全てを飲み込み、焼き尽くしてゆく炎の音。


線香が燃え尽きると、月島は花束を海に投げ入れた。


花束は波にさらわれ、沖に流されてゆき、やがて見えなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

泥とダイヤモンド Dirt and Diamond @-sui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ