星空の予兆 甲
白雪花房
幻想世界が君を待っている
深い群青に澄み切った空。輝く星々のおかげか夜なのに明るく感じる。差し込む月虹は透明で、神秘的だった。
空気は冷たく冴えていて、静謐さを帯びている。開けた平原から天を見上げる青年。まるで星の海だと彼は感じた。
幻想的な世界に手を伸ばそうとして、視界を横切ったのはシルバーの篭手。
「なんだこりゃ?」
自身の姿を見下ろし、目を見開く。
スタイリッシュな純白の鎧に無骨な鉄靴。腰には精巧な装飾が施された聖剣が挿してある。まるでゲームに登場する勇者のような格好だった。
ようなではなく、実際にオンラインRPGで使うアバターの姿である。
「なんでたって俺がルークになってるんだよ」
仮想世界でエミュレートしていた主人公の名を口にする。
今水鏡に自身を映せば、頭は太陽の光を集めたような金に染まり、瞳は空と同じ瑠璃色に澄んでいることだろう。
妙な体験に巻き込まれたものだ。
やれやれと頭を振ったところ急に薄暗さを感じる。
ぼんやりと見上げると、雄大な空を巨大な鯨が泳いでいた。白い体はまるで飛行船のよう。圧倒的な存在感。あまりの迫力に言葉も出ない。
イリュージョンか? 手品師がそばにいて自分を騙しているのではないか。
「あいにくと仕掛け人はどこにもいないわ」
クールな声が鼓膜を揺らす。
振り返ると物憂げな少女が靴を揃えて立っていた。月の光に染められたような艷やかな銀髪、白磁の肌の整った顔立ち。シンプルな外見なのに妙に引き込まれる。オニキスのような真っ黒な瞳が妙に印象的だった。
じっと見ていると彼女は眉をひそめ、切れ長の目を細めた。
「なにか用なの?」
唇をとがらせる。
バリアを張ってくるような反応。なぜか気が緩んだ。
「俺はルーク。あんたは?」
「名なんてないわ。強いていうなら、いつか聞くことになる」
なんのことか分からない。首をひねる。
「あんたいったい? ここはどこなんだ」
「あなた自身が一番分かっているはずよ。自分のことは本人に聞いてみないと」
「つまり、どういう?」
まわりくどい。余計に頭が混乱してくる。
少女はゆっくりと視線をそらした。なんの感情も映さない無機質な瞳は、空をとらえている。
「この魔境はあなたの心を映す鏡。いわば精神世界よ。今、目に見えているもの全てが予兆。あなたの運命を告げているわ」
淡々と彼女は語る。
要は夢のようなものだと彼は解釈した。周りの景色が幻想的なのも、不思議な世界に入り込んでしまったせいだろう。
そして、視界に入っているものには意味があると。
漆黒の少女と出会ったことも、おのれの姿がオンラインゲームのアバターにそっくりなことも、全部。
「じゃあ鯨はなんなんだよ」
「さあ。大きな魔物と戦うんじゃない? 鯨って海の悪魔を意味することもあるし」
「いやいや。船に出るわけでもあるまいし」
半信半疑。半笑い。顔がこわばる。
「そのまさかと言ったら?」
涼やかな目がこちらを向く。夜を閉じ込めたような色。視線が合うと吸い込まれそうになる。
「冗談だろ」
汗が頬を伝う。
「行くのなら早くしたら。時間はないわよ」
清らかな声が遠ざかる。視界の端から暗闇が迫り、狭まっていく気配がした。
「おいちょっと待て。俺にはなにがなんだか」
心が追いつかない。焦って手を伸ばす。丸い指の先が影に染まった。
足元から闇に染まる。落ちていく体。閉じていく視界。
傾く体。歯を食いしばりながら見上げた先で、少女が背を向ける。青黒いローブを着た後ろ姿が夜に溶けていった。
彼女の気配はもう、見つからない。本当に一旦の別れなのだ。
いつかまた会えると楽観はしている。だけど、本名を伝えることは二度とないような気がした。
ここを逃すとまずいという切迫感が体の芯を貫く。けれども彼はあらがえず、意識を閉ざした。
がばっと起きるとベッドの上だった。腰には薄い布団がある。電気はついていないが部屋は明るく、窓の外は桜が満開だ。はらはらと薄い花びらが落ちていく。
夢だった。大事な内容だった気がするけど、思い出せない。もやもやする。
うーん。唸って、腕を組む。
「まあいっか」
考えても意味はない。きっと大したことはないのだから。
伸びをし、起き上がる。青年は何事もなかったかのように日常に戻った。
なお、これから彼は異世界に召喚されて世界を救う羽目になるのだが、それはまた別の話。
星空の予兆 甲 白雪花房 @snowhite
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