監禁
青豆
1
汚れの無い無機質な白の壁に囲まれ、また、天井の隅には威圧的な監視カメラぶら下がり、くたびれた僕達を軽蔑するように覗いていた。あの球体のカメラの奥では、調査員か誰かがモニタリングしているはずだった。彼(彼女かもしれないが)が見ていることを期待して、僕はせき込んでみたり、欠伸をしてみたりした。しかし、どこか演技めいた僕の行動は、僕に徒労感と無力感とをもたらし、その他のいかなる物も与えなかった。球体の中心の赤い光が僕を睨み、しかし同時に僕達を意識的に無視していた。
向かいの床に座り眠っていた女が目を覚まし、立ち上がって伸びをした。僕はその様子を見ながら、彼女を見ている僕もまた、誰かに見られているのだなと思った。彼女はその二重の視線を感じたのか、恥ずかしそうにしながら、再び床に座った。僕は定点カメラによる視点のような客観的な意識で、その状況を捉えていた。
部屋に入れられた時、僕達は、特に何をしろとは言われなかった。ただ、正午と十九時に食事が運ばれる。トイレはそこにある、自由に使いたまえ。七十二時間が経ったら、君達は解放される。結果に関わらず、報酬が封筒に入って手渡しされる……そう言われたのだった。僕も女も、特に質問はしなかった。そんなことしても無駄だ、と感じさせる何かが、その調査員にはあるのだった。
女は再び目を瞑った。しかし、彼女の意識が覚醒しきっていることは明らかだった。瞼や鼻や口なんかが、まるで独立した生き物のように、時々ひくひくと動いた。境目の曖昧な背景を前に、肉体的な動きはぼんやりと空間に馴染み、分かりにくかった。僕は目を凝らし、彼女の顔の細部を見つめた。
「もう眠れないだろう」と僕は笑いながら言った。「随分と眠っていたものな」
「そうね。……私、どのくらい眠っていた?」
「さあ。時計なんて無いし、こんな場所じゃ時間的な感覚は無いに等しい。だから、全然わからないよ。六時間な気もするけど、実は三時間かもしれないな」
「三時間ということは無いわね、きっと」と彼女は真面目な表情で言った。
「ふうん」
「長めの昼寝って感じの体調ではないのよ。しっかり眠った感覚があるの」
僕は床をぺたぺたと触り、よくこんな場所で眠れるなと思った。壁と同じく、白い硬い床だった。囚人だって寝床はあるのだから、僕達は今、人間としてすら扱われていないと言えるかもしれない。しかし、七十二時間が経過した後に部屋を出れば、多額の報酬が貰えた。つまり、この屈辱的な放置は相応の扱いだった。
「あなたは眠らないの?」と彼女は僕を見つめて言った。
「いずれ眠るよ」と僕は言った。「だけど、まだ無理かな。本当に気絶寸前というくらい眠くなきゃ、眠れる気がしない。繊細なんだ」
「なにそれ、まるで私が繊細でないみたいじゃない」
「そうは言ってない」と僕は首を振った。
「言ったように聞こえたわ」
女は腰に手を当て、不満そうな表情をした。僕は苦笑し、壁と、それから監視カメラの方を見やった。それらの過剰な無機質さは、僕達の状況を正確に描写していた。
「だけど」と僕は言った。「この実験を引き受ける時点で、繊細とは言えない気がするな。少なくとも精神の面では」
すると女は肩をすくめ、確かにね、と言った。彼女は立ち上がり、もう一度身体を伸ばしてから、僕のことを見た。彼女は白い服を着ていた。だから、蛍光灯の白い明かりの下で動く姿は、やはり空間との境目が曖昧だった。その姿は必要以上に大きく見えたり、小さく見えたりした。
そのように彼女の本当の姿を掴みかねていると、やがて目が合い、僕は俯いた。なんだか僕は、万引きを見咎められたような恥ずかしさを感じた。それを弾劾される恐れよりも、上手くやれなかったことを恥じるような。しかし僕は彼女の何かを見透かそうとしていたわけでもなく、ただその輪郭をなぞっていただけだった。そして、その行為を隠そうとしたわけでもなかった。
「何を見ていたの?」女は僕を見ながら言った。
「何が?」
「私を見ていたでしょう、今。それも、かなり熱心にね」
「同じ部屋に閉じ込められている相手の顔を観察することは、そんなに不自然な事でもないだろう?」
女は深くため息をついた。
「男のそういう視線には、なんだか慣れたわ。ねえ、知ってる? 男は奇麗な女の子のことは、まるで盗み見るみたいに、おそるおそる覗くのよ。でも、私みたいな平均以下の女の顔は、それがバレるまで、ジッと見つめるの。相手にどう思われようが、どうだっていいと思っているからかしら。いずれにしても、私にはそういうのがとても不快なのよ。わかる?」
「それはただの偏見じゃないか」と僕は抗議するように言った。
「いいえ、そんなことないわ。男が奇麗な女の子の見た目の違いを、あまり深く理解していないことの正体が、まさにこれなんだもの。そもそも男は、彼女らを見てすらいないんだわ、本当のところはね」
そう言われると、僕はいやに窮屈な気持ちになった。僕は今、謂われのないことで糾弾され、彼女の日ごろの鬱憤を全てこの身に受けていた。まるで贖罪の羊じゃないか、と僕は思った。もちろん、彼女の気持ち自体は、わからないわけではなかった。しかし、納得できる程、僕と彼女が親密なわけでもない。沈んでいく気分の中で、背景の白は黒が混じり、灰色となり始めていた。彼女の存在が浮き立ち、僕は肌の下でガラス同士が触れ合うような、痛みの鋭い音を感じた。
「苛々する気持ちはわかるけれど」と僕は言った。「だけど、この状況は強制されたわけじゃない。多額の報酬のために、僕達は自分から入ったわけだろう。だから、そういう当てこすりはやめて欲しいな。ここを出れば、僕達は別々の生活をまた営むことになるけど、あと五〇時間以上は、一緒にいるんだから」
僕は改めて、残りの時間を数えた。僕達が部屋に入ったのは、深夜の0時だった。それで、彼女が眠る少し前に、正午の食事が運ばれた。彼女の感覚を信じるとして、現在経過した時間は、大体十七時間から十八時間といったところだった。もっとも、次の食事が運ばれた時に、その正確な時間は判明するわけだが。……
「ごめんなさい」と女は僕に頭を軽く下げて言った。「確かに、あなたに色々言ってしまったのは、不当なことね。……想像していたのとは、少し違ったというか、目先のお金に釣られて、判断が早計だったのよ」
「わかるよ」と僕は同意を示した。
「確か、二十万円貰えるんだったわね」
「ああ、結果に関わらず、二十万が与えられるって言っていたな」と僕は思い出しながら言った。
「結果って、何の結果だと思う?」
「さあ」と僕は首を傾げて言った。「別に何もされていないし、僕達は何かを競い合っているわけでもないしなあ」
「時間のわからない密室空間で、人間がいかに狂っていくか……そういう実験なんじゃないかしら」
「それはないだろう」と僕は笑って言った。「だって、時間ならわかる。食事が運ばれるたびに、残りの時間が計算出来るんだもの。確かに、食事と食事の間はわからないけれど、それは大した問題じゃない。そんなことで精神は崩壊しないものな。つまり君の言う実験をするなら、食事時間はランダムにしなくちゃ、意味をなさないんだよ」
「確かにそうね」と彼女は納得したように言った。「じゃあ、いよいよこの状況も意味がなく思えてきたわね」
僕は首を振った。「僕は最初から意味がなく思っていたけどな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます