神の頼み方
高黄森哉
神の頼み方
ビル間に、革ジャンを来た男が、壁に向かって手を合わせていた。彼は、振り出した雨を確認するかのように、顔を上げているが、頭上に雨粒などなく、ただ、汚れた雪だるまみたいな曇り空が、この町に蓋をしている。
「神様、俺には一つ、願いがあります。それは、人間についてです。俺は今までたくさんの人間を救ってきたんです。それで、最初は感謝するかもしれない。しかし、すぐに忘れてしまう。事実、俺は救ったことはあっても、人に救われたことはありません。この町の人間を、沢山、助けてきたのに。救った奴の顔は覚えている。町ですれ違っても挨拶すらしねえ。それだけで、俺に、借りを返せるってのに」
返事はなかった。ただ、換気扇の回る音や、掃除機の騒音が、耳に届く。右を見ても、左を見ても、この町の人間然とした、すすけた風景が広がっているのみ。
「おい、お前。お前は、前に俺を殴った奴だろう」
振り返ると、ガタイの良い男が立っていた。この男は、クラブの傍の暗がりで、酔わせた女に乱暴を働こうとしているのを、革ジャンの彼によって止められたのだ。
こぶしが飛んできて、金属の味が口の中に広がる。口が切れたからではない。人は殴られると、鉄の味や臭いがするのだ。目の前が、しばらくぼやける。また、平衡感覚が弱まり、まともに立つことが出来ない。それをいいことに、うずくまる彼を、つま先で蹴り飛ばす。なんどもなんども、肝臓のあたりを。
結局、彼が吐くまで暴行は続いた。男がゲロを吐いて、新品のスニーカーを汚し、その腹いせに、特大の一発をかましたところで、満足して帰っていた。
「くそ。人は優しくされると覚えていないのに、侮辱されると、いつまでもねちねちと覚えてやがる。助けてやった女も、俺のことを忘れているんだろうな。なんて生物だ。だから、今の今まで絶滅を逃れてきたのだろう。くそ。俺は人間の突然変異なのかもしれない。どうしたら、恩を忘れられるというんだ」
立ち上がって、手に食い込んだ小石を取り除く。滑らかな白い地面。
「神も仏もない。結局、神なんていないんだ。糞。もし、神様がいるならば、人間をこんな風にはしないし、そもそも、人間を作らないだろう。事情があったのかもしれないが、俺を救わないのはあんまりだ。それとも、拝火教のように、悪なる神の失敗作が想像せし世界なのだろうか。そうだろう。そうに違いない」
その時、彼の背後で、小銭の音がした。振り返ると、それは大判であった。およそ、あり得ない、都会での出土品。空から降ってきたとしか思えない。神の仕業だと思った。その時、彼は本当に、あのひねくれた人間に対する考え方を改めた。なぜなら、それは人間だけでなく、神様も同じだったと気づいたからだ。
祈りは記憶に残らない。ただし、悪口だけは、癇に障る。
神の頼み方 高黄森哉 @kamikawa2001
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