第4話 身元不明者の唄

忌唄

 

※一部表現や、方言、言葉に改変を入れています。場所の特定やその場所に迷惑がかからないように、またその場所に行かれた読者の方に不利益が生じない為です。また本文の場所を特定しその場で起きたいかなる責任も当方では負えませんので悪しからず。


シュガナンナワラ シュガナンナワラ

シュガホウニサンスマワレ


クルシハムコニ エンギハワンニ

マタシュガナンナワラハドノワラナン

マタシュガナンナワラハドノワラナン


ユビサシテトマレ


サキワイトッタ


  

   

     

 先に語っておきたい。これは十年程前に私が経験した事であり、その場にいれば私でなくとも誰でも経験できたであろうし、今でも経験できるかもしれない不可解な、いや……理不尽な事だった。このお話には幽霊や妖怪などの所謂怪異という物は一切出てこないし、私は霊感とやらも信じていない、というか霊感は病気か詐欺のどちらかだと言う強い信念すら持っているくらいだ。

 

 でははじめて行きたい。

 とある場所で子供から大人まで複数人の人骨が見つかった事件があったのを知っている人も少なくないだろう。この一文でネットの検索をかけている人がいる事も容易に想像がつくのは時代なんだろうね。

 私の知人が大学で講義をしている人で、少しばかりその人物に当時憧れがあったわけだ。教授でも准教授でもなく月十数万の安月給だった彼だが、夏になるといろんなところに研究旅行に出かけていた。高校生時代の私も塾講師というなんの責任もないアルバイトでそこそこのお金を貯めていたわけでその研究旅行について行った。

 なんせ、人骨大量事件の場所だ。当時からというべきか、私は世の理における深淵のような物を覗く事が好きだった。アングラサイトを探しては用意周到に自宅ではなくネット喫茶の回線からアクセスした物である。

 

 何か、非現実的な事が起きるんじゃないか! 好奇心と、相反するように少しばかりの不安感、いわば恐怖という感情なのだろう。私は自分の恐怖心を煽るのが好きだった。

 

 まさか、本当に深淵がこちらを覗き返してくるとはこの時は本当に思いもしなかったのだが……

 

 そこはそこら中にバナナがなっているのどかで、老人が多く、子供はちらほらいるわけだが、私と同年代はどうやら本土の学校に通うような、絵に描いたような過疎っている場所だった。

 

 商店も一つか、きっとめちゃくちゃ遠いところにもう一つくらいしかなく、自動販売機のラインナップは見たことももないジュース類の中にマックスコーヒーが並んでいてそれだけが売り切れになっているような異世界感半端ないど田舎だった。

 

 どちらかといえばシティガールだった私はその場所を飽きるのに30分は掛からなかったんじゃないかと思う。お気づきの事だろうが私には友達と呼べる存在も少なく暇潰しの連絡相手という者も当然いない。

 知人と宿泊していた民宿に戻りネット回線なんてないエアコンの効いた部屋で今より心なしか分厚いMacBookを開き、この場所のレポートもどきでも綴ろうかとしていた時に民宿のオーナーさんからこう話を持ちかけられた。

 

「妻が出産前でね。よければ話あいてになってやってくれないかな?」

 

 面倒くせー、というのがまぁ私の全身全霊の気持ちだったのだが、まぁ例に漏れず私も右えならえの日本の高等教育を受けてきたわけで快く引き受けるふりをした。商店でちょっとお高いお菓子と果物を購入して言われた産婦人科に行くと出産を控えたオーナーの奥さんがお腹を大きくしてベットで何か本を読んでいた。人間から人間が生まれるというのは神秘だね。

 

「こんにちは、民宿でお世話になってます。オーナーさんに言われてお話でもという感じでお邪魔しました」

 

 こんな感じの意味不明な事を当時の私は言ったんだろう。文章にしているから綺麗に読めるかもしれないが、実際は吃りまくっていたハズだ。

 

「あら、ありがとう。高校生?」

「えぇ、いかにも」

 恥ずかしい事に、私は当時、博士喋りみたいな言葉遣いがかっこいいと思っていた。この奥さんであるが、実に良い人でクソつまらない私の気持ちが幾分か救われた事がいまだに思い出される。

 おしまい、おしまい。

 となれば話は一体なんだったのかという事になるのだが、田舎の産婦人科って驚くほどに面会者がいるのである。親類、友達から、近所の人という私からすればお前他人だろう! みたいな奴までやってくる。

 その度に自己紹介をする事で私のコミュニケーション能力が幾分か向上したのはこの経験かもしれない。

 

 私もこの地の風土に慣れてきた頃にその人物はやってきたのだ。

 私が言うのもなんだが、ホラーとかで出てくる女性は化け物じみた幽鬼みたいな女ややせ細った今にも死にそうなやつが多いように思われるだろう?

 

 私に深淵の片鱗を見せてくれた女性は黒いセミロングに、白いワンピース、もしかすると流行遅れ気味のサマードレスのような物だったのかもしれない。化粧っ気は少なかったが、綺麗な人だったと覚えている。

 

 その人が来た時、オーナーの奥さんは固まった。

 私は既にこの時、このクソど田舎に染まっていたのだ。

 

「こんにちは」

 

 と普通に挨拶をすると、私にその人は会釈。今にして思えばよそ者であるとすぐに察知されていたのかもしれない。

 

「わんにいっちょ、優しくしちくれたのは美樹、決めた。美樹のあっぱめきーめた」

「やめてぇ! 帰って、いみ子。帰って、何も言わないでお願い!」

 

 ヤベェ、何これって私は固まっていた。

 すると、いみ子さんという女性は歌い出した。

 

“シュガナンナワラ シュガナンナワラ

シュガホウニサンスマワレ


クルシハムコニ エンギハワンニ

マタシュガナンナワラハドノワラナン

マタシュガナンナワラハドノワラナン


ユビサシテトマレ


サキワイトッタ“


  

 

 歌が始まり、終わるまでオーナーの奥さん、美樹さん(仮名)は泣き叫び、枕とか、私が持ってきたお菓子とかをいみ子さんに投げつけ叫ぶ。これはヤバいと思った私は誰かを呼びに行こう院内にいる人、看護婦さん(今でいう看護師)に大慌てで説明すると、神妙な顔で一緒に病室についてきてくれた。

 病室に戻った時には、お手本のようにいみ子さんはもう既にいなくて、実際はすれ違ったので帰って行ったのだが……

 何この修羅場と私は内心楽しんでいた。

 

 民宿に帰ると民宿のオーナーさんがお世辞にも美味しいと言えない食事中の私に笑顔でこう言ってきた。

 

「今日、みた事や聞いた事は忘れてね?」

 

 いいえ、忘れる物ですか! と好奇心旺盛な私は日本の高等教育を受けてきたので表面上は「はい」と頷いて見せたが、あのいみ子さんと彼女が歌っていた歌について単独で調べてみる事にした。

 このオーナーさんに聞いてもはぐらかされるか、ブチキレられると本能的に感じていたことを今でも鮮明に覚えている。

 当時の私は日本で一番需要がある身分であるJKだったわけだ。夜に散歩がてら酒をその辺で煽っている若い衆(と言っても大体30代から40代が田舎の若い衆だ)達に話を聞くことにした。オーナーの奥さんの年齢も二十代後半から30代前半くらいのハズなので大体何か知っているだろうと。

 

「あの、すみません。少しいいですか?」

 

 シティガールにJK、自分で言うのもなんだが見てくれもそんなに悪くはないだろう。そんな若い燕が話しかけてきて喜ばない雄はいない。

 しかし、お酒に頭が狂わされている状態でも、いみ子さんといみ子さんが歌っていた歌の話を聞くと、看護婦さんと同じ神妙な顔をする。

 本当にドラマとかアニメとかでよくあるタブーに反応した際の人間の反応ってあんな感じである事を私はリアルにこの時知った。

 私は、自分の知的好奇心を満たす為だけに生きているので、どうしても奥さんが気の毒なので何かしてあげたいのだとどうでもいい嘘を言ったりして情報を聞き出した。

 

 歌っていた歌についてはこの若い衆も小学生くらいの頃は歌って遊んでいたらしいが、ちゃんとした意味は分からないらしい、そしていみ子さんについて口をつぐんでいた理由、この若い衆。彼女を幼少期虐めていた事があったらしい。

 

 要約するとこんな物語になる。

 しばしお付き合い頂ければ幸いである。

 

 随分前、未曾有の大震災があった。オーナーの奥さん、美樹さんは当時小学生で学校が休校になった為、父方か母方の実家であるこの地方のに避難しそのまま小学校に転校した。学校は全員で二十名程だったらしく、皆仲が良かったらしい。

 

 そんな恵まれた学校生活で美樹さんは不思議に思った事があった。授業中、外を見ると一人の女の子がうろうろしていたり、一人で遊んでいるのである。あの子は誰かと友達に聞くと

 

“いみ子“という名前だけ教えてもらった。

 放課後に鬼ごっこなどをしていると遠くからいみ子はこっちを見ている。仲良しなみんなが彼女を仲間に混ぜない事、そして男子達が、時折童歌のような歌を歌って、最後に

 

「サキワイとーった!」

 

 との掛け声と共に、泥団子をいみ子にぶつけたり、いみ子を倒したり、彼女は虐められていたらしい。されど、いみ子は泣かない。恨めしそうに彼らを見ていたらしい。

 ある時、いみ子をわざと海に突き落とした男子がいたらしい。深さのある海、いみ子も助けを呼び溺れそうになった時、通りがかった大人が海に飛び込みいみ子を助けた。

 ほっとした皆だったが、大人はいみ子を海から物でも引き上げるように助けると何も言わず、何事もなかったかのように濡れた服のまま立ち去ってしまったのだとおいう。

 

 濡れたいみ子をハンカチで拭いてやる美樹さんを遠くから見つめる他の友達。彼らは美樹さんにいみ子は、いない子であるから関わってはいけない事を告げたのだという。

 その地域ではなぜそうするのかもはや誰も分からない風習があり、必ず一人、いない子、あるいはそれが大人になりいない人がいるいるらしい。

 だから、美樹もいない子とは関わってはいけないとそう言われたらしい。それから、中学、高校と街の学校に行き大学を経て高校の頃から付き合っていた今のオーナーと結婚、子供も授かり幸せの絶頂だったというお話である。

 

 

 実際はもう少し長いのだが、かいつまんで説明するとこんなお話になる。私は二泊三日の滞在期間が終わった後もこの事が気になり、調べていたのだが再び同じ土地に行こうかと知人より民宿の連絡先を伺い電話をしてあの民宿がもうお店を閉めてしまった事を知った。

 

 奥さんの子供が死産という悲しい結果で、それ以外にも色々あったのだろう。私も大人になって自分の好奇心を優先するということには少し配慮するようになったのだが……

 

 一つの疑念があった。

 美樹さんのお子さんは、本当に死産だったのだろうか? という点である。その地域の人口は大した事はない。図書室みたいな現地の図書館にある卒業アルバムには“いみ子“さんは当然写っていないし、戸籍がもしなければ彼女が役場の情報に載る事もないだろう。

 

 

 もし、もしである。美樹さんの子供が、次なる“いみ子“に選ばれていたとすれば、彼女、あるいは彼は生きながらにして存在を許されない人になったのではないか?

 

 そして、この風習が私の考える通りなのであれば、あの事件。子供から、大人まで多くの身元不明の人骨が出てきたあれは全員。“いみ子“だった方々ではないのだろうかと、あの地域の人はそれを全員が知っているから、あの人骨の人々はそもそも存在してはいけない人だから、身元が特定できる筈がないのではないだろうか?

 

 これは、あの場所に限った事ではない。

 ふとあなたが、帰り道に目に入ったマンションの明かり、普段通らない細く暗い道、街中に点在する落書きみたいな同じ記号のような模様。

 存外、我々の知らないアンダーグラウンド、深淵は既に我々を見つめているのかもしれない。

 私はこれからもそういう場所に足を踏み入れるのだろうと思う。

 きっと、いつか必ず痛い目を見るだろうとも覚悟している。

 

 例えば、私が身元不明の死体となり、私になり変わって生活している者がこの文章を書いているかもしれない。

 

 昨今、身元不明の遺体数は300以上にのぼるらしい。

 

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ヤバい話はいらんかね? アヌビス兄さん @sesyato

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