(二)徒花に非ず

   §




 どこかで蝉が鳴いている。

 けたたましい合唱は、声というよりも大雨のようだ。空はこんなにも晴れわたって、あっけらかんとしているというのに。


 華は額に滲む汗を作務衣で拭う。

 ひさしの元へ弟子入りして、早くも半年が経とうとしていた。

 港町へ引っ越してきたのはしんしんと雪の降る静かな日だった。

 季節は人間の営みに構わず、どんどん移り変わっていくと改めて実感する。


 今、華の目の前の作業台には、大きくて分厚い硝子の板が置かれている。

 その上には鈍色の泥、焼刃土やきばづち。水をちょっとずつ足しながら、へらで練り合わせているところだった。


 刀の鍛錬にあたって欠かせない材料のひとつが焼刃土だ。

 粘土を主体として炭や砥石が混ざり合っている。その割合は秘伝で、華もまだ正式には教わっていない。

 刀において、刃文はもんの出方は焼刃土を刀身にどう置くかによって決まる。しかしその本来の目的は、模様付けではない。焼刃土を置き乾かした刀身を火床ほどで熱してから一気に水で急冷することで、一気に硬く、決して折れない刀となるのだ。

 なお、この辺りの仕組みについては書物で勉強中である。


「うーん。これくらいの固さかな」


 刀身へ置きやすそうな粘度になったところで足音が聞こえてきたので、華は手を止めた。


「おい」


 不機嫌そうな低めの声に向かって、体を向けた。

 作業場の入り口には、華と同じように作務衣姿で、頭巾を被った青年が立っていた。

 華とほぼ同じ時期にやって来た彼は、元々、央の元で修業をしていたらしい。一度は実家に戻ったが、刀工になる夢を諦めきれず、再び弟子入りを決めたのだと紹介された。


「お前、本当にめげないよな。女のくせに」


 だからかどうかは知らないが、やたらと華に突っかかってくる。


「めげる理由がありませんから」


 華は、にっと笑って受け流す。

 女のくせにという言葉には反応しない。華は華だ。それに彼だって、夢を諦められずに戻ってきた同志なのだと勝手に思っている。


「ふん。いつもの客が来てるぞ」

「ち、ちょっとー!? それを早く言ってくださいよっ」


 華は勢いよく立ち上がった。そして、頭巾を乱暴に取り去ると、手櫛で男性のように短い髪を整える。


 央の店で刀剣を眺めていたのは、和服姿の青年だった。

 華とは対照的に肩甲骨の下まで伸びた長い黒髪は、うなじの辺りでひとつにまとめられている。


「お待たせしましたっ、一条さま!」


 息せき切って華が店に飛び出すと、青年――尊は顔を華へ向けてきた。

 華の姿を確認した途端に、硬かった表情がふっと和らぐ。


「すまなかった。わざわざ呼び出してもらったようだな」

「休憩中だったので問題ありません」


 自主練習で、焼刃土の粘土を調整していたのだと華は説明する。


「勉強熱心なのはいいが、程々にするように」

「でも、あとちょっとで掴めそうな気がするんですよ」


 語り出そうとしたものの、このままだと立ち話になってしまうと華は大げさに手を振った。


「裏にお回りください。暑いでしょう、西瓜を切ってお出ししますよ」

「西瓜とは珍しい」

「お客さんからいただいたんです」


 尊に対して央の住居側へ回るよう指示を出すと、華は駆け足で店の奥へと戻っていった。




   §




 入道雲が青い空に映えている。

 蝉は相変わらずうるさいが、風鈴の音がわずかに涼をもたらしてくれていた。


 華と尊は縁側に隣り合って、肩と肩が触れ合いそうな距離で座った。

 しゃくっ、と西瓜を頬張ると、汗で失われた水分が戻ってくるようだ。


「修業は順調のようだな」

「どうなんでしょう。師匠、何でもかんでも見て盗めって感じなので」

「実に央殿らしい」


 少しの沈黙の後、尊が口を開いた。


「須佐村のが終わった。事後処理もひと段落ついた。初秋には訪問可能となるだろう」

「……そうでしたか」


(そっか。それを一刻も早く報告しようとして、来てくれたんだ)


 華は目を伏せた。

 須佐村。八岐大蛇に飲み込まれてしまった、華の故郷だ。


 火の精霊や土の精霊たちも華の気落ちした感情を受けたのか、わらわらと足元へ集まってきた。


「あの……」

「私も同行する。くずはも行くと言っていた」

「……ありがとうございます。ものすごく賑やかな旅路になりそうですね」


(感傷に浸る間もないくらいに、きっと)


 すっかり変わってしまったかもしれないが、想い出の場所を紹介しようと、華は決意する。

 華にとって尊もくずはも大事な人間だ。好きな人たちには、自分の生まれ育った場所を知っていてもらいたかった。


「そうだな」


 尊が西瓜を頬張る。

 それから、珍しいことに、あくびをかみ殺した。


「お疲れですね。それなのにわざわざ来てもらって、すみ……ありがとうございます」

「私が華に会いたかっただけだ」

「ぶっ」


 ここで華が西瓜の種を吹き出さなかったのは僥倖である。


 想いの通じ合ったふたりだが、現在は、どちらかが月に一度会いに行くくらいの関係である。

 しかし、尊は隙さえあれば華に想いを伝えてくる。

 朱くなった頬を、華は団扇でわざとらしく仰いだ。


「一条さま。あまり甘やかさないでください……」

「特に甘やかしているつもりはないが。それで言うなら、私もひとつ甘えていいか?」

「はい? 何でしょうか?」


(珍しい。本当に、お疲れなんだろうな……)


 心の底から華が尊の身を案じたとき、予想外のことが起きた。


「膝を貸してほしい。仮眠する」

「ひっ、ひざっ?!」


 許可の出る前に、尊は体勢を変えて、華の両膝に頭を載せた。


「おおお、お待ちくださいっ。汗臭いですよ!!」

「問題ない」


 たちまち、すぅ、と寝息が聞こえてきた。どうやら言葉どおり尊は眠ってしまったらしい。

 恐る恐る髪の毛に触れると、思いのほか柔らかかった。

 安らかな寝顔に思わず笑みが零れた。こんな無防備な姿を見せてくれるということが、とても嬉しい。


「……好きです、一条さま」


 尊が眠っているのをいいことに、華はそっと呟いた。

 好きという言葉は口にするだけで力が湧いてくるのだ。


「大好きです」


 ……風鈴が、風に合わせて歌っている。

 そっと瞳を閉じて、故郷へ想いを馳せる。


(皆のお墓を立ててあげよう。たとえ、体がなくっても……)


 いくら恐ろしい夢を見ようとも朝は来る。

 起きてしまったことを忘れるなんてできない。

 世の中のことは、大体理不尽だ。


(……それでも)


 それでも。

 腹は空くし、夜になれば眠くなる。

 大事にしたい人間、物や場所は増えていく。

 願いを諦める方法だって知らない。


「立派な鍛冶師になってみせます」


 誰にともなく呟いて、瞳を開いた華は青空を見上げる。

 その決意を応援してくれるように、風鈴が、ひときわ強く音を鳴らした。





 





                        第二部 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

徒花の鍛冶師 shinobu | 偲 凪生 @heartrium

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画