ゆきめ

双町マチノスケ

怪談:ゆきめ

 私がその民宿を訪れたのは、全くの偶然でした。






 当時の私は観光目的で東北地方の某所に来ていたのですが、観にいった場所がけっこう辺鄙なとこにあったんです。日帰りのつもりだったんですが、運悪く夜から大雪で交通機関がダメになるだろうという予報が出てしまいまして。それで近くに何処か泊まれるような所はないかと探したところ、その民宿に行き着いたわけです。そこは大きいロッジを改修したような所で、どちらかというとペンションといった趣だったでしょうか。ご主人と奥様そして娘さん夫婦で経営されていて、1階には食堂と休憩スペース兼待合所、2階には共同の浴室と宿泊部屋が数室あるといった造りになっていました。私は宵の口に受付を済ませ荷物を整理したあと、休憩スペースでご主人が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、特にすることもなくボンヤリとしていました。






 ふと、厨房からご主人と奥様がボソボソと話している声が、耳に入りました。




「……今晩はかなり降るみたいだね」




「こういう日は『ゆきめ』に気をつけないとね」




「ね。次の日……」





 細かい言い回しなどは覚えていないのですが、大体こういうことを話していたと思います。どういう流れでその会話になったのかも分からないし前後の内容も聞いていなかったのですが、深刻に話している様子はなく普段の何気ない会話が聞こえたといった感じでした。要するに特に引っかかるようなものではなかったのですが、私はチラッと聞こえた「ゆきめ」という単語が妙に気になったのです。








「ゆきめ」ってなんだろう。




 普段から怪談やオカルトめいた話題が好きだった私は一般的な意味を調べるという考えになる前に、そういう方向に頭を働かせ始めました。実は元々の目的だった観光というのも、そういった類の聖地巡りのようなものだったのです。





 ──もしかしたら地元に伝わる怪異か何かのことを、少し冗談半分に話したのかな。




 そう私は思ったんです。




 真っ先に思い浮かんだのは雪女でした。ちょうど雪の降る季節ですし、女という漢字は「め」とも読みます。また、雪女に関連づけられる怪異に産女うぶめというのがあります。もしかしたら、この地域では雪女のことを「ゆきめ」と呼ぶのかもしれない。呼び方に限らず同一とされる怪異でも、地域によって微妙に性質が違ったりする場合があります。少し陳腐な言い方かもしれませんが「ご当地の怪異」というのでしょうか、そういったものなのかなと最初に思いました。

 あるいは全く別の、この地域でのみ伝わっているものか。もしそうなのだとしたら、一体どんな姿をしていて、どんなことをするのだろう?どんな時に現れるのだろう?今その話をしていたご主人に聞けば直ぐにでも解決するような疑問でしたが、時間も潰したかったことですし、ちょうど良いネタができたと思って私は「ゆきめ」を色々と想像してみることにしたんです。






 オーソドックスな人型の幽霊から、得体の知れない妖怪のようなものまで。




 ゆき“め”というからには目玉に関係するものなのかもしれない。






 頭の中であらゆる姿をした存在しない怪異たちが、時にははっきりと時には不完全なまま浮かび上がっては溶けて消えていく。それがなんだか楽しくて、ひと段落した頃にはかなり時間が経っていました。飲み終わったコーヒーのカップを返すついでにご主人に答えを聞こうと思いましたが、なんだか忙しそうにされていたので止めました。そして、そのまま自分の部屋のベッドに入ったんです。それからも先程までしていた想像がやめられず中々寝付けなかったのですが、予定外の移動で疲れていたのもあって、いつのまにか眠っていました。

 目が覚めた時には、すっかり空が明るくなっていました。なにか変な夢を見ていたような気がしましたが、いくら思い出そうとしても記憶が朧げでした。時計を見ると民宿を出るまで時間がまだあったので、ベッドから上半身だけを起こして部屋の窓から見える景色を、またぼんやりと眺めて時間を潰すことにしたんです。昨日の夜に相当降ったのか、外にあるものは雪をすっぽりと被っており、それらが朝日に照らされて目が痛くなるほどの白さと眩しさでギラギラと反射していました。私は特に何かを見るわけでもなく、窓からすぐ下に見える雪を纏って真っ白になった玄関の庇に、無意味に視線を向けていました。




 しばらく眺めたあと、そろそろ荷物をまとめようかと視線を切ろうとした時です。








 ただ、雪が積もってできただけのものが。





 なんでもないはずの、雪の塊が。













 もぞもぞと、蠢いたように見えたんです。





 私はすぐに視線を戻しました。




 見間違いだと思って。




 動くはずがないと思って。




 それを、はっきりさせようと思って。






 私は。








 私は。


















 見てしまいました。






 ひらいたんです。


 平たく積もった雪に急に裂け目が入って。


 そしてそれが、ぱっくりと割れて。








 その中から、私の顔ほどもある大きな目が覗いていたんです。




 その瞳は全部の色をぐちゃぐちゃに溶かして混ぜた絵の具のように、濁った汚い色をして、崩れていました。そして、異様なほど血走っていました。その目は声も出せずに固まってしまっている私を、じっと見つめていました。ただ不気味だった、そして恐ろしかった。でも私は、その目から怒りだとか悲しみだとか……そういった感情の類を読み取ることができなかったんです。あんなにも非現実的な光景であったのに、目そのものは驚くほど無垢でした。




 そうして、長いとも短いとも分からない時間が経ったあと。






 その目は静かに閉じていき──













 ただの、積もった雪に戻りました。








 見間違いだと思い込むには、あまりにも鮮明でした。


 得体の知れない恐怖と、何が起こったのか何故起こったのか分からない、気色悪い後味の悪さだけが残りました。






 私は、何を見たのでしょうか?




 あれを見てから、私は雪が怖くなりました。いや、それだけでなく白くて無機質なものが怖くて堪らなくなりました。白い壁が、白い冷蔵庫が、夜道を照らす白い電灯が。日常で目にする、ありとあらゆる白いものが。あのなんでもない……「なんでもない」ということを押し付けているような真っ白な表面が。いつか急に裂けて割れて、またあの目が現れるんじゃないかって。




 もちろん暗闇だって、幽霊や妖怪だって怖いです。


 いかにも何か出そうな雰囲気があって。

 何か恐ろしいものが出る謂れがあって。

 そんな土台があって成り立つものも、十分に恐ろしいと思います。


 しかし、何もないという確信から覗き込んでいた「あれ」の恐怖は、何よりも本能的で、そして純粋なんです。


 私は民宿を出る時に、恐怖と動揺を抑えながら何でもない風を装って、ご主人に「ゆきめ」について聞いてみました。私が見たものを知っていたり何かそれらしい噂などがあれば、まだ納得できたから。それが怖いものだったとしても、とにかく説明できる何かが欲しかったから。しかし、彼と奥様が昨晩に話していた「ゆきめ」というのは私が見たものとは何の関係なく、もちろん「雪女」の別名でも地域に伝わる怪異でもなく、ただ一般的な単語としての「雪目ゆきめ」……つまり雪面で強く反射した日光の紫外線で目に炎症が起こることを気をつけないといけないと言っていただけでした。






 そんなもの、最初から居なかったんです。


 私は、受け入れることができませんでした。絶対に、何かあるはずだ。たとえ「ゆきめ」とは関係なかったとしても、なにか似た事例があるはずだと。私は民宿があった地域周辺の伝承や怪談などを、資料を片っ端から漁って調べ上げました。ネットの情報や学術本、大学教授の研究論文にまで手をつけました。もう一度その地域に足を運び、色々な方に聞き取り調査をしました。しかし……私が見たものは目撃情報はおろか、存在を仄めかす言い伝えや童話すらも見つかりませんでした。








 私は、何を見たのでしょうか?




 何も見ていなかったのでしょうか?






 では、あの時ひらいたのは何だったのでしょうか?


















 それとも、私がひらいてしまったのでしょうか?

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ゆきめ 双町マチノスケ @machi52310

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