「花ごよみ」より ひまわりの季節

刃口呑龍(はぐちどんりゅう)

ひまわりの季節

「暑いな〜」



 俺は、ギラギラと輝く太陽を呪った。確かに日本程は湿気のない空気は、不快感を出さないが、容赦なく照りつける南スペインの日射しは、強烈だった。



 目の前には、一面広がる黄色の絨毯。ここアンダルシア地方にある広大なひまわり畑。雲ひとつない青空。日本より青が濃く見える青空と、黄色のコントラストがはえる。いつまででも眺めていられる景色だ。



 俺は、フリーのカメラマンだ。フリーなんて格好良いことを言っているが実情は違う。一応大学の芸術学部写真学科を卒業したが、就職先は見つからず、というか写真家として生きていこうと思った俺は、結婚式場などでカメラマンとして、働いてお金が貯まると海外で、自分の撮りたい写真を撮る。という生活をここ約20年近くやっているのだ。



「やめだ、やめ。今日は帰るか!」



 俺は誰に言うともなく言うと、カメラをしまうためにカメラケースを開けた。すると、俺の目の端を赤い影が通った。


 なんだ!


 俺は慌てて、カメラを構えファインダーを覗く。俺はあらゆる方向にレンズを振るが、赤い影の正体らしきものは見つからない。なんだったんだあれは?



 俺はカメラをしまうと、ひまわり畑を後にして、レンタカーに乗り近くの小さな町にハンドルをきった。







 カメラケースを肩に背負って町の中を歩く。狭い石畳の道の両脇には、南スペインの強烈な日射しを防ぐためか、白い家々が連なる。所々に青い壁もあり、窓には色とりどりの花が咲く。まだ明るい青い空ともあいまって、どこを切り取っても絵になる、いや、俺の場合は、写真になる風景か。俺は、時々立ち止まり、ファインダーを覗き、その風景を写真におさめる。



 そして、写真を撮りながら、数々の写真賞での俺の選評を思い出す。俺だって少しは、写真賞で賞を取ったことがある。まあ、下の方の賞だけどね。それで書かれているのは、だいたい、絵葉書のように綺麗な写真ですね。まあ、要するにただの綺麗な写真ですねってことだった。俺センス無いのかな。





 ぶらぶらと歩きながら写真を撮っていると、どこからか音楽が聞こえてきた。ギターの軽快な音色と、手をタンタンタンと叩く音がする。フラメンコだな。そう言えば、せっかくフラメンコの本場アンダルシアに来たのに見てなかったな〜。俺は、音のする方に足を運ぶ。



 近づくにつれ、独特な抑揚を持つ歌が聞こえてきた。そして、お店の前に立つ。そこは、白い石造りの平屋の建物だった。そして、大きな扉の横の看板の文字を読む。


「ラカサデルフラメンコか」



 俺は木で出来た扉を開け中に入る。中は、結構広く薄暗かった。外はまだ明るいが、窓はカーテンが閉じられ、各テーブルに置かれた蝋燭の灯りと、舞台を照らすライトのみがついていた。まだ、時間が早いからか、お客は、数人しかいなかった。舞台では、男女の踊り手が向き合って情熱的に舞う。



 ぼーっと突っ立っていると、浅黒い肌をした太ったおばさんが近寄ってきた。スペイン人とは肌の色が違う、おそらくロマ人という人だろう。フラメンコは、ロマ人の踊りと読んだ記憶がある。



 おばさんが何やら聞いてくる。さっぱりわからない。俺は、人差し指を立てて。


「ワン プリーズ」


 とっさだと、スペイン語は出てこない、取り敢えず英語もどきで、意思表示。おばさんは、大げさに肩をすくめると、黙って歩き始めた。ついて来いってことか?



 おばさんは、舞台近くの座席に俺を誘導すると、メニューを見せる。わからん。


「ビア プリーズ」



 おばさんは、頷くとどこかに去っていった。ふー。俺は、誰でも分かるスペイン語と書かれた本を取り出す。せっかくだから、フラメンコの踊っているところを写真におさめようと思ったのだ。えーと。


 ビール瓶を持って、おばさんが近づいてきた。俺の前にビールが置かれる。


「グラシアス ポル シエトロ プエド トマルテ ウナ フォト?」


 よし言えた。すると、おばさんは大きく頷き。俺の前で仁王立ちした。ん?



 すると、カッカッカッカッカッと、靴の甲高い音が響き1人の女性が近づいてきた。気がつくと音楽が止まっていた。おそらく、舞台で踊っていた女性だろう。黒髪に真っ赤なドレス、そして小麦色の肌。



「おじさん、日本人? それだと、あなたの写真撮らせて下さいの意味になちゃうよ。だからマリアさん待ってるんだよ」


「えっ!」


 俺は、慌ててカメラを構えると、1枚写真を撮った。そして、その女性に聞く。



「ええと、フラメンコ踊っている写真を撮りたいんだけど良いか聞いてもらえるかな?」


「わかったわ」



 何やらスペイン語で話し始める。そして、


「今、人少ないから席からなら写真撮って良いって! ただし、フラッシュは、たかないでって」


「わかった、ありがとう」


「うん、じゃ、わたし準備あるから行くね。おじさんも楽しんでいってね。またね」



 そう言うと、去っていった。日本語がとても流暢だし顔立ちも日本人っぽいから、日本人だろう。とても元気で快活な感じだ。年齢は……。20代後半かな? 言葉使い程は、若くない気がするが。





 その後、少しの間フラメンコの写真を撮影する。薄暗い空間で、情熱的に舞う踊り子の男女。激しくギターを弾く、若い男性。哀愁漂う歌を歌う、皺の深い老年に差し掛かるだろう男性。全てが幻想的に美しい情景だった。



 俺は、人が少しずつ増えてくると、カメラをしまい、ビールを飲みつつ舞台を見続けた。彼女にお礼を言っておきたいって気持ちもあった。俺は、閉店まで軽く食事をしつつ、ビールを飲みながら踊りを見た。少し、いやかなり酔ってしまった。明日は、撮影やめて、宿で休むか。



 店から出て向かいの建物にもたれていると、声をかけられた。



「おじさん! そんなとこで寝ちゃためだよ!」



 どうやら、寝てしまったようだ。俺は、慌てて目を開く。すると、先程の女性が目の前に立っていた。さっきとは違い、白いTシャツと、ジーンズの短パンというラフな格好だ。



「あっ、ありがとう」


「うん。それよりどうしたの? こんな所で」


「ああ、君を待っていたんだ。お礼が言いたくて」


「ふーん。わたしお腹空いちゃった。バール言って食事しながら話しよ!」


「ああ」



 俺は、彼女に手を引かれ、彼女の行きつけらしいバールに入った。彼女は手早く数品の食べ物を頼む。俺もビールを頼むと、立ちのみ用のテーブルに向かいあった。



「わたしの名前は、これね」



 彼女は、バックからペンを取り出すと、手近な紙に名前を書いた。


 橘日向



「たちばなひゅうが?」


「ハハハ、違うよおじさん。わたしは、たちばなひなた。お父さんは、これでひまわりって呼ばせようとしたらしいけど、お母さんが反対して、無難にひなたになったんだって」


「ヘー、ひなたさんか、俺は新堂潤平。一応カメラマン」


「ヘー、しんどうじゅんぺいね。う〜ん。じゃあ、しんさん。よろしくねしんさん」


「ああ、じゃあ、ひなちゃん」


「いいね!」





 ひなちゃんは、日本で大学卒業して、普通にOLをしていたそうだが、たまたま友達に誘われたフラメンコに惹かれ、習い始め、だがそれで満足できず、会社を辞め、フラメンコの本場アンダルシアに、来てしまったそうだ。それが3年前、最近ようやく舞台に上がらせてもらえるようになったそうだ。



「凄いね。夢をかなえたんだね」


「う〜ん、まだまだだね。フラメンコの舞台だけじゃ食べて行けないし」


「そっか。俺は、それでも羨ましいね」


「ん?」



 その日は、ひなちゃんも翌朝から別の仕事があるそうで、早めに別れた。



「またね!」


「ああ」







 それから、俺は昼間は車で、撮影に出かけつつ、夜はフラメンコのお店に足しげく通った。そして、ひなちゃんとは、お店終わった後で、いろいろと話した。異国で出会った同じ日本人が心強かったのか、それとも。





 そんなある日、



「そう言えば、しんさん。フラメンコの写真撮りたかったんだよね?」


「ああ、だけどお店で撮ったよ」


「う〜ん、じゃなくて、えーと、構図とか、えーと。とにかくいろいろな角度から撮りたくない?」


「それは撮りたいね」


「だったらさ、開店前にお店来てよ。練習中だったら、みんな良いって言ってたからさ」


「本当か! わかった。ありがとう、ひなちゃん」


「うん!」



 俺は、この頃正直、何が撮りたいのかわからなくなっていた。ただ、あのフラメンコを踊る躍動する、ひなちゃんを撮りたいと思ったのだ。






 汗が飛び散り激しく踊る、情熱的に、そして幻想的に、赤いドレスが舞う。俺は、夢中で、ファインダーを覗きながら、シャッターを押した。いつの間にか、俺まで汗だくだった。室内に響く、深く余韻の残る歌声に、挑むようにかき鳴らされるギター。激しく鳴らされるカスタネットの響き。そして、踊り手達の靴音。俺は、はじめて心から夢中になって写真を撮った。




「お疲れ様、しんさん」


「お疲れ様、ひなちゃん」


「そうだ、写真見せて」


「ああ、タブレットで見せるよ、じゃあバール行こうか」


「う〜ん、わたしん家で見よう。さあ行こう!」



 俺は手を引かれて、彼女の住んでいる家に向かった。彼女の家は、お店から5分ほどにあった。まわりにあるのと、同じような白い家の2階。1階とは、別の入口になっているようで、玄関を開けるとすぐに階段があった。それを登ると、部屋だった。ベットと、テーブル、そしていくつかの家具。部屋は、ワンルームで、小さなキッチンがついていた。



「さあ座って、座って!」


 俺をベットに座らせると、冷蔵庫を開けて小瓶のビールを取り出した。そして、栓を開けると、俺に手渡し、自分も飲み始めた。そして、俺に密着するように座る。俺の鼻孔をひなちゃんの汗の匂いがくすぐる。



「じゃあ見せて!」


「ああ」



 俺は、タブレットを取り出すと、ひなちゃんに渡した。ひなちゃんは、夢中になって見始めた。俺は、ビールをあおって、気持ちを静めた。俺のビールが無くなると、目ざとく、ひなちゃんが立ち上がり、再びビールを持ってくる。そして、それを数度繰り返し、気持ちを落ち着かせるために飲んだビールによって、俺が完全に酔っ払った頃。ひなちゃんは、こちらを向いた。



「やっぱりしんさん凄いよ。こんな写真見たのはじめて!」


 と言って俺に抱きついてきた。ひなちゃんの顔が目の前にあった、俺は抱きしめ返した。異国での開放感か、日本への恋しさか、違うな。夢を追いかけ続ける、真っ直ぐな女性へのおっさんの恋心か。馬鹿だな。



 そして、どちらからともなく、唇を合わせた。2人はそのままベットに倒れ込んだ。









 翌朝、軽い2日酔の中目覚めると、卵の焼ける美味しそうな匂いが、鼻孔をくすぐった。



「しんさん、おっはよー。もうすぐ、朝食できるよ!」


「ああ」



 テーブルには、パンと、サラダ、そして、スペイン風のオムレツ、トルティージャがあった。具材は、じゃがいもと、玉ねぎ、ほうれん草に、ベーコンといたってシンプルなものであった。しかし、


「美味い!」


「そう、良かった。わたし、良いお嫁さんに慣れるかな?」


「ああ、なれるよ。絶対に」


「ハハハ、ありがとう、しんさん。じゃあ、しんさん、宿ひき払って、ここで暮らしなよ」


「えっ! 俺は日本で」


「わかってるよ。それまでの間だけ。駄目かな?」


「ああ、俺もひなちゃんと一緒にいたい」


「そう、良かった」



 こうして、俺は日本に帰るまでの2週間程、ひなちゃんとの同棲生活をした。久しぶりだな。こういう生活。



 淡く短い同棲生活のうち、俺の頭の中にある情景が浮かんできていた。日本に帰る数日前、ひなちゃんの休みの日、俺はひなちゃんに頼んだ。




「ひなちゃん、お願いがあるんだ、また、写真のモデルになってくれ!」


「良いけど。あっわかった! しんさんのエッチ! わたしのヌード写真撮りたいってことか」


「いや違うよ! まあ、それも良いけど、ひまわり畑で写真を撮りたいんだけど!」


「えっ、ひまわり畑?」


「ああ」



 俺達は、ひまわり畑に向かい写真を撮影した。









 そして、数日後、ひなちゃんの運転で、空港に向かった。お互いに無言で空港に向かい。そして、別れ際、



「おじさん、またね!」



 俺の呼称はおじさんになっていた。








 あれから3ヶ月後、俺は1枚の写真パネルの前に立っていた。写真パネルの上には、グランプリの文字そして、写真の下には、俺の名前が書かれていた。



 写真は、赤いドレスで、汗を飛び散らせて、躍動的に踊るひなちゃんの姿。背景には、ひなちゃんに焦点があったことによって、ぼかされて黄色の絨毯のように見えるひまわり畑と、真っ青な空。色の三原色を、これでもかと主張する写真だ。あの時の赤い影は、このためだったのかもしれないな。






 授賞式が終わって、色々な有名カメラマンに声をかけられた。その中で、俺と同じ年齢の有名カメラマンの一言に、ドキッとした。



「被写体への愛を感じますね」



 俺の写真に足りなかったのは、被写体への愛だったんだな。



 俺は、スマホを取り出して、電話をかけた。



「もしもし、俺、俺」


「オレオレ詐欺さんには、用事ありません」


「えっ!」


「ハハハ、冗談ですよ、しんさん。どうしたんですか? あっ、わかった。わたしが、恋しくなっちゃったんですね?」


「ああ」


「えっ!」


「グランプリ取ったんだ、これから行くから」


「えっ!」



 俺は、電話をきった。さて、ふられたらどうするかな? 馬鹿な男だって笑われるかな?



 住んでたアパートは、引き払った。トランクに入れた荷物以外は、全て処分した。仕事も、ヨーロッパ方面の仕事を頼んでおいた。



 俺は、カメラケースを担ぐと立ち上がった。そろそろ飛行機の搭乗時刻だ。



「さて、行くか。冬のアンダルシアって寒いのかな?」

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