タイミング悪すぎ勇者一行

Q六

タイミング悪すぎ勇者一行


 急ぎ足で会社を出てタクシーに乗り込んだ。はずが、次の瞬間、固い地面に投げ出された。


「いてて……」


 状況がわからず軽く混乱しながら目を開くと、這いつくばったままの体の下に、見慣れたコンクリートの道路は無かった。手に触れたのは石造りの冷たい床。そこには、白い粉のようなもので大きく円と文字、五芒星が描かれている。

 その状況に既視感を覚え、はっと気付いて顔を上げる。中世ヨーロッパの城のような場所。窓が無いのと、装飾の無い石の床と壁から察するに、地下だろうか。キョロキョロをあたりを見回していると、王冠を被った恰幅の良い人物がゆっくりと歩み寄ってきた。周囲には召喚の術を実行したのであろう魔導士のような老人も数人。それととにかく、偉そうなおじさんが大勢。


 これは、あれだ。異世界召喚されたやつだ。


「いやいやいやいや。ちょっと待って!今はダメでしょ!?」


 叫ぶと同時に、その声を打ち消す大音量の「ぎゃーーー!」と言う乙女の絶叫に、耳をつんざかれた。


「ちょ、まっ! 誰か居るの!? 居るんでしょ!? 見ないでよ!」


 振り返ると、高校生くらいだろうか? うら若き乙女が裸でしゃがみこんでいた。大変だ。なんとかしてやりたい。しかし、こちらもパニック状態なのである。何もしてやれずオロオロしていると、魔導士っぽいおじいちゃんが一人慌てた様子で集団から進み出て、自らが羽織っていたマントを彼女にかけてやった。よかった。


「ってゆうか! シャンプー目に入ったし!」


 洗髪中だったようだ。頭と手を泡だらけにして、ギュッと目を閉じたまま金切り声を上げている。やっぱり全然よくない。不憫だ。


「最悪! なにこれ! 女子高生の裸タダ見してんじゃねえよ! うわーん! お嫁にいけないーーー!」

「ご安心下さい。あなたは見えないでしょうが、自分は下半身丸出しで、握ってました。ナニしていたか言い逃れできない状況です」


 もう一人いた。泣き声で喚き散らす女の子の向こうに、今言った通りの状態の大学生っぽい眼鏡男子が仁王立ちしている。身につけているのはTシャツ一枚だが、丸出しのブツをぶらぶらさせたまま隠したりせず胸の前で腕組みしてるあたりに男気(?)を感じる。


「お嬢さん、よろしければこれで泡を拭って下さい」

「ちょ、まっ! へんなの握ってた手! って、なにこれ、Tシャツ!? 脱いだの!? まさか全裸!?」

「女性一人を全裸にさせておくわけにはいきませんので」

「ぶはっ。正論のように変態発言とか、ウケる〜」


 適応力高い二人の会話に呆気に取られる。若いってすごい。そうしている間に、全裸女子はおじいちゃん魔導士たちに取り囲まれ、泡だらけの髪に布を巻かれたり、顔を拭かれたりしていった。そしてその隣では、自ら全裸にっなった男子が偉そうな人たちに取り押さえられ、マントとロープですまきにされて、床に転がされていた。仕方がないが犯罪者扱いだ。


「ねえこれ、異世界転生ってやつ?」

「生まれ変わっていないので、異世界転移ですね。周囲の様子から察するに、勇者として召還されたのではないかと」

「うわ、まじ? あたしら勇者か〜」

「職業、何でしょう。知りたいですね」

「あ、あたしステータス見れるっぽい。お兄さん、ヒーラーって書いてあるよ」

「癒者ですか。寧ろ自分が癒されたいのですが」

「ぶはっ! まじそれな! ってか、お兄さん顔面偏差値高いんだね! イケメンの無駄使いウケる〜」


 若いってすごい。結構な大勢の知らないおっさんに全裸見られたのにもう持ち直してる女子高生と、すまきのまま和む大学生のメンタルに驚愕する。


 いや、って言うか、


「あの! 俺、今こんなとこにいちゃいけないんですけど」

「あ、もう一人いた」


 本気で気付いてなかったらしい女子高生の呑気な呟きに、ちょっと傷付く。影の薄い自分が憎い。しかし、ここは譲れない。しっかり主張せねば!


「臨月の嫁から破水したって連絡きてるんですよ。俺、行かなきゃいけないんです」

「え、大変じゃん。誰か付き添ってくれてるの?」

「いや、俺も嫁も地方出身で…… タクシー呼んで一人で病院に向かうって言ってたけど……」


 本気で心配そうな顔。ギャルっぽいと思ってたけど、案外良い子だな。なにより、大変な状況であると理解してもらえたことに胸をなでおろした。が、


「タクシーって、破水しても乗れましたっけ?」


 きょとん、である。すまき大学生の一言で目が点になった。え? 破水するとタクシー乗れないの?


「乗車拒否された話を聞いたことがありますが。シートを汚されたら困ると」

「え? え? でも、漫画とかでよく、『いたた! 

産まれる!』ってなって、焦ってタクシーで…… 病院に行く、描写…… とか……」

「いたた、は、陣痛ですよね。破水は別ではないかと」


 そうなの? え? でも、そうだよね、破水してんだもん。なんか、水? 羊水? 出てるんだもん。え? なにこれ? 救急車案件なの? あ、やばい泣きそう。震えがきた。王様らしき人が咳払いしてなんか注意を引こうとしてるけど、ちょっとうるさい。邪魔。黙ってて。


「おじさん、落ち着いて。奥さんが呼んだのって陣痛タクシーじゃない? 事前に登録しておくと、破水オーケーの車で家の前まで迎えにきてくれるんだよ」


 あ、そうなの? それなの? 嫁、ちゃんと登録してたの?


「運転手さんがちゃんと荷物を持って病院の中まで付き添ってくれるから大丈夫」

「若いのにお詳しいですね」

「あたし十人兄弟の長女だよ。一番下の弟、先月生まれたばっか」


 そうなんだぁ。ほっ。と、したらダメでしょ! いやいやいやいや、ここで話してても実際わかんないじゃん。嫁、そんなの登録してなくて、今まさに普通のタクシーに乗車拒否されてるかもしれないし。途方に暮れてうずくまってるかも知れないし。俺に助けを求めて泣いてるかもしれないし……


 結婚して五年目で妊娠が判明、初期はつわりが酷くて普段は食べない大根の酢漬けばかり土産に強請られたり、途中の検診で逆子と言われて二人で逆子体操したり、名前決めるのも、姓名判断のプロになれるんじゃないかってくらい二人で勉強しまくって…… 俺も嫁も実家が遠くて助け手がないから、何でも二人で乗り越えて……


 そこまで思って、ふと現実に戻された。

 愛する嫁とまだ見ぬ我が子が、俺を待っている!


「帰らなきゃ!」


 心の中で熱いものがたぎる。


「賛成。あたしも、コンディショナーしないと髪が死ぬ」

「自分は大丈夫です。明日、本命の最終面接ですけど」

「絶対ダメなやつだろ、それ。どんだけタイミング悪いんだ……」

「てゆうか、うちらみんなタイミング悪過ぎ。ウケる〜」

「とにかく、今はダメだ! 嫁が呼んでる! 帰るぞ!」

「考えようによっては、良かったんじゃないですか?」

「なにが? どこも良くないんだけど」

「いや、召還されたのが奥さんの方じゃなくて、本当に良かったですね」

「え」


 すまき大学生の指摘に、さーっと頭から血の気が引いた。この、無関係なおっさんたちの眼前で、股を押さえて「なんか出てきたー!」と絶叫する嫁の姿が脳裏に浮かんだ。そして、タクシーが捕まらなくて、道端で実際そうなっているかも知れない嫁の姿が……


「帰る! とりあえず今日のところはっ! 話はまた今度ゆっくり聞くから!! なっ?」

「そうだー。帰らせろー。髪がきしきしだー」

「自分は別にこのままでも」

「お兄さんは黙ってて」


 仲間(?)たちの援護射撃(?)がこだまする中、側近たちの制止を振り切り、もう、半泣きで、ほとんど掴みかからんばかりに王様に詰め寄った。




 ◇ 




「人生には、負けられない戦いがある。折れてはいけない時がある。あれこそがその時であった」


 と、懐かしげに語る父に、「そうねえ。立ち会い出産、間に合ったもんねえ」と母がニコニコ笑って毎度の合いの手を入れる。

 布団に入ってもなかなか眠れない時や、たんに父が酔っ払った時、よく聞かされたお話。父が勇者一行の一員として、異世界の魔王だったか王様だったかを討伐した、その、前日譚。

 幼い頃のように信じてはいないけれど、でも、じゃあ、父のタンス引き出しの奥に隠すようにしまわれていたあれは、なんなんだろう。あの…… 宝石が散りばめられ、繊細な細工の施された、黄金に輝く、体育の先生が吹く笛。


 ねえ、お父さん。いったい、勇者一行で何職してたの?




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