アブノーマル

中尾よる

アブノーマル

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 何度問いかけても答えの出ない問いを、自分に向かって投げかける。

 こんなはずじゃなかった。私は高校受験に合格して、友達をたくさん作って、所謂青春というものを謳歌するはずだったのに。やっと初めての、を経験できるはずだったのに。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。その言葉を問いかける度に、自分がどこか暗いところに落ちていく気がした。



「なんで、それしか食べないの」

 朝六時だった。いつもは私が朝食を終え、身支度をし始めてから起きてくる母だが、今日は高校の一日入学の日だからだろうか、私がまだ朝食を食べている時間に起きてきた。

「いや、えっと……そう見えるだけだよ」

 私が持っているお茶碗の中には、卵かけご飯が入っていた。テーブルには小鉢にきゅうりの塩揉みもある。

「おかしいよ、よる。そんなドロドロの卵ばっかりの卵かけご飯」

 しまった。普段は、生の白身が苦手なので卵黄のみの卵かけご飯を作るのだが、今日は面倒くささが先立って全卵の卵かけご飯だったのだ。ご飯はいつも通り、きっちり四十グラム。お茶碗の中で、生卵の中をご飯粒が泳いでいる。

 明らかに苛ついた声を出す母に、私は卵かけご飯を隠すようにして口の中にかき込んだ。

「せめてチーズも足しなさい」

「え、いや、もうお腹いっぱいだから」

 ご飯は四十グラムで六十三キロカロリー、生卵はMサイズ一個で七十六キロカロリー、醤油は小さじ一で五キロカロリー、きゅうりは半分で五キロカロリー。合計、百四十九キロカロリー。今うちにあるのはロッピーチーズなので、食べたら二百キロカロリーに達してしまう。どうにかして避けたい。

「いや、おかしいよ。変だから」

「……変じゃないよ」

 何度か同じやりとりが繰り返され、先に折れたのは私だった。母が怒っているのは怖かったし、これ以上この話題を長引かせたくなかったからだ。冷蔵庫から出したチーズの包装紙を取り、口に運ぶ。なめらかなチーズは、上顎を使って押すと簡単に潰れ、じんわりと乳脂肪の味がした。




 K高校の一日入学は、既に受験に合格して春に入学予定の生徒が集まり、入試の時と同じ三教科のテストを受けるというものだった。K学校はこの辺ではちょっと珍しい学校で、入試科目が国語、数学、英語の三教科のみだった。しかし、かわりに推薦枠がなく、更に偏差値が六十五と少し難易度が高い。ただ、倍率はそんなに高くなく、全員が確実に六十五もの偏差値を持っていなくても、合格できる状況だった。

 テストは国語と数学が六十分、英語がリスニング含め七十分間だった。難易度はまあまあと言ったところだ。全てのテストが終わると、生徒たちがお弁当箱を出しはじめた。私も鞄から母の作ってくれたお弁当を取り出す。周りの生徒が食べ始めるのを待ってから、蓋を開けた。一段のお弁当箱の四割くらいにご飯がぎゅっと詰めてある。小さくため息をつき、おかずを確認。大学芋と野菜炒め、朝も食べたロッピーチーズに小さな羊羹、それからアジフライがこれまたぎゅっと押し込まれていた。食べ切れるか不安になりながら食べ始める。去年の夏頃から、どんどん咀嚼数が多く、食べるのが遅くなっていた。今日は時間がないので、咀嚼数を減らして一生懸命飲み込む。苦しい。

 ふと、他の子のお弁当が気になって、目だけ動かし見える範囲のお弁当を覗いた。

 ……なんで。

 他の女の子のお弁当の方が明らかに小さい。そう見えるだけ? 否。ご飯もふわっと入れられてるし、おかずも少ない。私のお弁当にはサラダとかさっぱりしたものが全く入ってないのに、みんなのお弁当箱には胡瓜だとか林檎だとか、カロリーの低いものが多少なりとも入れられていた。

 やっぱり、このお弁当多いじゃん。それでも、頑張っておかずを口に運ぶ。だんだん満腹感に襲われて、タイムリミットも近づいてきた。隣の女の子は、いつのまにか食べ終わり、お弁当箱を風呂敷で包んでいた。教室の中を見渡すと、もう全員食べ終えて、席の近い子と交流したり、トイレに行ったりしている。

 湿ったアジフライを口に押し込んだ。なんだかとても悲しくなって、食べるのがどんどん辛くなってきて、涙がこぼれそうになるのをどうにか堪えた。結局、タイムリミットがやってきてチーズと羊羹は残した。

 昔だったら、“今日のお弁当多かったー次から減らして!”とか、気軽に言えたのに。今はまるで、言ってはならない禁句のようで言うことができない。“その量食べられないのがおかしいんだよ。”とか、一蹴にされて終わりだろう。

 適量を堂々と食べられる隣の子が、無性に羨ましかった。

 その夜の体重は、三十六キロだった。ちなみに、身長は百五十三センチ。性別、女。



 K高校の一日入学から、五日が経っていた。今日は家から車で三十分の精神病院の通院の日だ。昨夜は寝る前にホットミルクを飲んだ。母を安心させるためもあって、ここ数日は寝る前にホットミルクを飲む。きっかり二百ミリリットル測った牛乳と、小さじ一杯の蜂蜜を入れて作ったものだ。今朝は朝起きて行って以来、トイレには行っていない。朝食には、重量が軽く思えるパンではなく、ご飯四十グラムにチーズを入れたおにぎりを一個食べる。そして水をたっぷり。家を出る直前まで、できるだけ胃に水を入れ、更に五百ミリリットルの水筒に水を汲んだ。病院に着くまでの三十分でこれを飲み干す。お陰でいつも、病院に着く頃にはトイレに駆け込みたくて仕方ない。

 今日も、病院に着いた頃には激しく尿意が催されたが、どうにかそれを我慢して体重計に乗った。体重、三十六.八キログラム。もちろん、昨日の夜よりかは増えている。そして、先週家で測ったよりも、ちゃんと増えている。しかし、先週の通院の時も今日と同じく水をがぶ飲みしていたので、その分実際より体重が増えていた。結局、先週この病院で測った時と比べて、百グラムも増えていない。

「最低でも、一週間に一キロは増やしてほしいのですが」

 と、若い担当の先生が言った。

「はい……」

 最近は、夜寝る前に牛乳も飲んでるんですけど、と伝えると、そうですか、でも増えてませんね、と言われた。

「前にも言いましたけど、中尾さんは今高校一年生で、内臓や骨も成長する時期なんです。食べないと栄養が体に行き渡らなくて危険ですし、骨粗鬆症のリスクも高まります」

 はい、と頷いた。学校にいる時のように、優等生面する。さも、わかっています、すみません、と言うように。

「中尾さんも、もうすぐ入学ですし、入院は控えたいでしょうから」

 まるで脅し文句だ、と思った。

 それが、私がその精神病院に通った最後の日になった。次の週には入学式があり、その後は授業で遅れを取らないためにも学校を休みたくないため、通院できないと伝えたのだ。担当の若い先生は、週に一キロ増やし、増えなかったら病院へ来るという条件で許してくれた。しかし、体重が増えなくても、私が二度とその病院に行くことはなかった。


 ***


 私は、小学校に一年間と少ししか通っていない。小学二年生になった頃、いじめに遭っていたからだ。いじめを主導していたのは、色白の可愛い女の子だった。その子は先生や私の母に対しては驚くほどいい子で、小学二年生なのにも関わらず敬語で話し、上目遣いで相手を見た。今でも記憶に残っているのは、ある日その子が他の同級生に、“よるちゃんがあたしのこと、クソババアって言った”と嘘をついたことだ。その日の放課後、私は同級生二十人ほどに校庭で追いかけられた。捕まえて何をするつもりだったかはわからないが、怖くて悔しかった私は全速力で逃げ、時折振り返ってはテレビで見たアニメの真似をしてパンチを打った。誰にも当たらなかったけど。

 その後、担任の先生に言いに行ったが、帰宅する生徒たちをまとめている最中で忙しかったらしく、相手にはしてもらえなかった。

「ごめんね」

 私が先生に言いに行ったことに気づき、彼女は私の元に寄ってきた。

「でも、よるちゃんも悪いんだから、謝って?」

 私は何も言うことができなかった。

 幸い、母は“学校は行っても行かなくてもいいよー”と言う人だったので、私はオルタナティブスクールに通いながら、楽しく毎日を過ごした。

 私は勉強が好きだったので、中学校には行きたいと思っていた。小学五年生の時に違う町に引っ越したので、中学では知らない人ばかりになる。それなら行けるかもしれないと思った。

 しかし、一度学校という社会から離れてしまったため、なんとも学校の規律が性に合わない。それに、毎日たくさんの人とコミュニケーションを取ったり、ずっと座って前を向いているのはとても疲れることだった。普段は自信満々で、楽しく友達と話せるのに、学校ではなぜか自信がなくなり、相手の顔を伺うようになっていた。それでも美術の授業が好きだったので、週に一回は通っていたのだが、中学二年生になる頃には嫌になって行くのをやめた。

“不登校”と言う言葉に、今このエッセイを読んで下さっている方々はどんな印象を受けるだろう。引きこもり? 鬱々としている? コミュニケーションが下手で、暗い子が多い? 残念ながら、私はそうではなかった。自分で言うのもなんだが、正直周りに不登校を肯定してくれる人が多かったこともあり、自己肯定感も高く、外に出てよく遊び、親子仲も良く、同じく学校に通っていない友達が多くいた。大人と喋るのも好きで、よく母の友人に“大人っぽいね”と言われた。

 中学一年生の時は、自分で勉強していた。わからないところだけ、人に聞いて教えてもらいながら、自分の好きな数学と、国語に集中して勉強した。二年生になってから、市内の中学校と連携した、不登校の子どもが勉強を教われる施設に通うようになった。そしてその施設の人たちと高校見学へ行ったことを機に、私は高校受験をして公立の高校へ通いたいと思うようになった。少しずつ追いついていた数学、社会、国語、英語をちゃんと同級生と同じ範囲まで追いつけるように勉強し、嫌厭してずっと手をつけていなかったいた理科は、一ヶ月で教科書一冊を終わらせた。

 もちろん、丸一年行かなかった学校に、戻ることは容易ではない。校舎に足を踏み入れた時の緊張感、教室へ入る前の手汗は今でも忘れない。ただ、運が良かったことに、私のクラスはいい子の集まりだった。これは主観ではなく、先生たちにも言われていたことで、学校一真面目で素直な子が揃ったクラスだったのだ。だからだろう、一年の時に仲が良かった友達ともすぐ打ち解け、他の同級生とも少しずつ、徐々に、話せるようになった。

「よるちゃん、一年の時は髪短かったよねー」

「え、よく覚えてるね」

「うん、今こんなに長くなっててびっくり」




 原因は、あのことだっただろうか。いや、恐らく今の状態は他の様々な要素が組み合わさって起きた結果で、あれはきっかけに過ぎなかったんだと思う。

 年末の席替えで、隣の席になったのは、背が高くて肌が綺麗な男の子だった。実は小学生の頃通っていたオルタナティブスクールの友達の弟でもあり、私は一年生の時から何かと彼に話しかけていた。しかし、彼はなぜかいつも知らんぷりをして、ほとんど返事もせず、私のことを他人行儀に、“中尾さん”なんて呼んだ。

 彼を好きになるのに、時間はかからなかった。優しくて、フェミニストで、隣の席になってからだんだんと縮まる距離が嬉しくて、下の名前で読んでくれた時は心臓が止まりそうになった。首を傾けて、くしゃっと笑う。その笑顔に、いつも胸がキュウ、と委縮するのを感じた。

「あれ、髪切ったの?」

「あ、うん」

 気づいてくれた……。彼の目を見て笑う。意識してるわけじゃない。彼と話していると、自然に頬が綻ぶのだ。

「かわいいじゃん」

 うっわ……。

「……ありがと」

 さらっとそう言うこと言うんだよなあ。しかも、意識してない。海外の血が四分の一だけ入った彼は、時折何も意識せずそんなことを言った。きっと、私以外にも、彼を好きな子はたくさんいたんだろう。そう言えば、卒業式の日、他の男子のボタンがぴっちりとついている中、彼のボタンだけほとんどなくなっていた。




 知らなかったわけじゃない。柔らかい微笑み、向けられる視線の先が誰かなんて。ただ、確信が持てていないうちは、自分にもチャンスがあると思っていた。彼を好きになってすぐ、ダイエットを始めたのには、彼と仲の良い女の子が私よりも痩せていたからだ。決して華奢ではなかったが、色白でふわっとした可愛い子だった。

 学園祭の日、同級生たちがこぞって絵を描いた黒板の中に、一つの相合傘を見つけ、私はその場で固まった。彼と彼女の名前が、傘の下で仲良さげに寄り添っている。

 うわあ……

 頭の中でそう呟いた。

 うわあ……思ってたよりずっと、ショックだ。

 私はその相手の女の子のことも好きだった。その年始めた習い事で同じになって、学校外で会うことも多かった。特に話すことはなく、友達と言えるか曖昧だったが、好意は持っていたのだ。人見知りで、あまり積極的になれなかっただけで。だから、彼らの破局を望むなんてとてもできなくて、よかったね、Hちゃん、と思っているのに、心から祝えない状態だった。

 その後も私は彼に恋し続けた。好きなことに変わりはなかった。そんなに簡単に思いを断ち切れなかった。けれど、彼らの破局を望めない以上、私たちの関係が変わることはなかった。




「よるちゃん、ちょっといい?」

 保健室の先生に呼ばれたのは、いつだっただろう。少し寒くなってきた頃だった気がする。

「はい」

 渡されたのは身体測定の結果だった。

「五ヶ月で十キロも減ってるけど」

「あー……はい」

「大丈夫? 急激すぎるよ」

「大丈夫です。ダイエットして」

「だめだよー? 健康に悪いし……中学生なんだからたくさん食べなきゃ」

「はい。気をつけます」

 中学三年の頃は、所謂優等生だった。特に意識していたわけではないが、先生に敬意を払ったり、授業が楽しかったので話を真面目に聞いたりしていた結果だった。いつの間にか、みんな私が一、二年生の時通っていなかったことを忘れて、“よるちゃんって真面目だよねー”とか、“よるちゃんの印象は、真面目で優等生!”とか言ってくるようになった。いやいや、真面目な優等生って言うのは一年生の時からちゃんと毎日学校に通ってる人を言うんだよ、

 けれど、中学校に通うようになって間もなく学年一位をとり、その後も上位をキープし続ける私が何を言っても説得力はなかった。




 その後も体重は順調に減って行った。給食を減らしたり、残すようになった。母もその頃大分心配し始め、私の食事に干渉してくるようになった。だから、私は体重を盛って伝えなければならなかったし、給食も、ちゃんと食べていると嘘をつかなければならなかった。それまで本当に仲が良く、ほとんど嘘をついたことがない私にとって、母に嘘をつくのはとても息苦しいものだった。

 受験勉強は減量の妨げにはならなかった。むしろ、集中できるものがある分食欲は湧かないし、うまくバランスが取れていたと思う。偏差値六十五の公立高校を第一志望にした私は、第二希望に県外の私立高校、第三希望に市内の公立高校を入れていた。しかし、第一志望にしたK高校以外行きたい学校がなく、ましてや私立に入学するお金なんてうちにはなかったので、私はどうしてもK高校に合格しなければならなかった。同じ学校でK高校を受ける子は、私の他に四人いた。みんな、学年上位を占めている子ばかりだった。

 その頃、私はまだ受験もしていないのによく入学してからのことを想像した。高校の制服を着て、親友ができて、学校帰りに買い食いする。彼氏ができて、青春を満喫する。今までを体験したことがなかった私にとって、高校での生活はとても魅力的に思えた。

 母との関係は、日に日に歪んでいった。朝食や昼食を減らす私に、なんとか食べさせようと、母は夕飯の量を増やしていった。今まで食卓に並ぶことがなかったカツやフライ、唐揚げなどが頻繁に並ぶ。スパゲッティは、“八十グラムにして”と頼んでも、百二十グラムぐらいに増えてやってきた。そして平然と、“八十グラムも意外とあるね”なんて言う。わからないと思ってるの? バレバレなのに。

 ご飯は自分でよそえたので、初めは七十五グラムよそっていた。そのうち、七十グラム、六十グラムと減っていき、四十五グラムでしばらく安定した後、四十グラムになった。母には、出来るだけ多く見えるようにふわっとよそったり、下に大根を入れて底上げしたりして食べているように見せかけた。

「体型が、小学生みたい」

 母にそう言われると、悲しくなった。その頃は自分でも、もう痩せなくていい、と思っていたし、これ以上痩せても私のなりたい体型にはなれないとわかっていた。でも、普通に食べるようになったら反動で物凄く食べて、あっという間に痩せる前の体型に戻ってしまう気がして、怖かった。

 もうこれ以上痩せるべきじゃない。そんなことわかってる。でも、できない。怖い。心の中が葛藤で渦巻いている。どうしたらいいのかわからなくて、苦しい。そこに、母の言葉が何度でも釘を刺す。




 ただ、時間が過ぎるのを待っている。ストーブの前に膝を抱えて座り込み、ぼんやりと宙を見つめる。

 今日が消えてなくなってしまえばいい。明日が来なければいい。何も考えなくて良かった頃に戻りたい。受験勉強も、学校も、家も、家族も、何もかもが嫌で逃げ出したい。自分の弱さが嫌で、叫ぶ。声は出ない。喉からただ、乾いた空気が漏れる。目から涙が溢れて、頬を伝う。隣の部屋に聞こえないよう、声を殺す。目を閉じて、音のない叫び声を上げると、頭の奥にある一つの糸がブツン、と切れそうだった。

 受験勉強がストレスになっていたのだろう。毎日鬱っぽくて、流行しているコロナウイルスやインフルエンザ、何でもいいからかかりたかった。何も考えないで、布団の中で眠りたかった。

 年が明け、三学期の始業式に薄いタイツを履いて行ったせいだろうか、主任の先生から母に“足が細過ぎて心配”と電話が入ったらしく、母に“もう少し食べて”と言われた。

 いや、食べたい気持ちはあるのだ。体重増加が怖くて、食べられないのに、体重が減るのも怖くて、八方塞がり。毎日悩んでいるのに、母の言葉がさらに私を追い詰める。

 味方が欲しい。寄り添って、私と一緒に考えてくれる味方が。母さえも味方じゃない。自分でもどうしたらいいかわからなくて辛いのに、心配という名で周りは私を責める。四方から追い詰められている気分。そして受験のストレスも目の前に立ちはだかる。

 助けて。誰かに向けて助けを求める。毎晩不安と添い寝する。

 幸せって、何だっけ?




 受験期、鬱っぽくなったことの原因の一つに、家の寒さがあったと思う。築七十年の我が家は隙間だらけで、とても寒い。標高は千を超えている。冬は部屋の中でコップの中の水が凍る。野菜は冷蔵庫に入れておかないと凍ってしまって、美味しくなくなる。暖房は炬燵と灯油ストーブのみだ。眠る時は豆炭あんかを抱えて眠る。

「家が貧乏で寒すぎる中、受験勉強って、私不利じゃない?」

 そう母に言うと、

「ベートーヴェンだね」

 と言われた。

「受かればね」

 ベートーヴェンかぁ……貧乏だった天才。私はモーツァルトがいいなぁ。お金ありそう。

 寒いのは本当に不利だ。勉強したくても頭が働かない。仮に頭が働いたとしても、指が悴んで文字が書けない。なぜか自分の部屋には、窓は全て閉め切っているのに風が入ってくる。

 受験二週間前から学校を休んで受験勉強に集中した。受験前で授業は受験対策ばかりだったので、追いつけなくなるなんてことはなかった。一人で集中して勉強することには慣れていたので、毎日図書館へ行って朝から晩まで勉強した。暖房がついているからだ。痩せて脂肪が減ってしまい、体を暖かく保つ術を失った私は、図書館の中でもエアコンの下や電気ストーブの横を陣取った。




 受験の日も、すごく寒かった。大雪は降らなかったから、高校には無事着けたものの、コロナ禍で窓が全開。暖房なんて何の役にも立たない。開け放たれた窓からの冷気が、暖気を全て消し去っていく。

 家よりかはマシだったことが救いだ。家のような寒さだったら、回答を記入できなかっただろう。

 入試はあっという間だった。難しくて頭を抱える問題も多々あったが、最後に面接を終えた後に、特に不安はなかった。ただ、呆気なさ過ぎて、現実味がなかった。あんなに頑張ったのに。去年の夏から本腰を入れ、半年間受験勉強に力を注ぎ、毎日勉強してきたのに。こんな一瞬で終わってしまう。あれだけで、私たちがどれだけ努力したか、わかるというのだろうか? あんな紙切れ一枚で。まさか。

 受験の翌日はやっと休める、という気持ちで家で休み、次の日から登校した。しかし、そこで待っているものを、私は受験勉強からの解放感ですっかり忘れていた。

「よるちゃん、休んでた間にあった体重測定するから、昼休み保健室に来てね」

 朝礼の前に保健の先生にそう言われ、はっとした。今更水を飲んだってどうにもならない。実はお正月に母の実家で体重を測った時に、三十八キロという数値が出ていたのだ。母には伝えていない。どのくらい信用しているかは不明だが、四十三と言ってある。あれから一ヶ月と少し経った。測った体重が母に知られたらどうしよう。今も十分心配をかけているのに、益々心配をかける。いや、それよりも、太らされる。それが何よりの恐怖だった。

 学校の大きな体重計の数値は、三十七だった。以前、母と“そこまで行ったらやばいよねー”と話していた体重だった。服を着て測ったので、実際は三十六キロ代だっただろう。

「やばいよ」

 そう、保健の先生は言った。

「……はい」

 どうしたらいいかわからなくて、先生に向かって微笑んだ。

 母に体重が伝えられ、母は確かに私を心配していた。まるで怒っているような顔、口調だったが、それらは全て私を心配してのことだとわかった。でも、なぜだろう。過度に思える母の心配に閉口しつつ、安堵している自分がいる。体重を隠さなくていい。嘘をつかなくていい。問題を解決するために、協力してもらえる。多分、私は疲れていたのだと思う。自分一人で抱え込むことに、一人で解決しようとすることに。やっと、肩の荷が降りた気がした。


 ***


 今思えば、あの頃の方がまだマシだった。まだ今よりも母との関係が歪んでいなかった。高校が始まり、病院には行かなくなり、私は毎日自分でお弁当を作った。ご飯は少なめ、おかずは野菜を中心に、ヘルシーなものを詰める。給食を食べていた時より、自分で正確なカロリー計算ができた。五時頃にに起きてお弁当を作るので母は私が何をどのくらい詰めたか知らない。嘘をつくことに慣れた私は、以前に比べて平気で、母に嘘をつくようになっていた。“今日はRちゃんにクッキーもらって食べた”、“今日はSちゃんにチョコレートもらった”、“今日は購買で唐揚げ買った”そんな嘘は、日常茶飯だ。

「よる、ホットミルク飲んだ?」

「あ、今日はいいや」

 一昨日も昨日も飲んだ。今日は飲みたい気分じゃなかった。

「バターでも飲ませるよ」

 は? 何言ってるの。

 けれど口論しても仕方ないとわかっていた。母の言葉は無視して布団に潜る。

「全然ダメじゃん」

 最後の言葉も、耳を塞いだ。冷たい、母のの声。私は“バターを飲む”という言葉が大嫌いだ。たまに母が私に向かっていうのだが、油を飲むなんていかにも異常だし、不健康だとしか思えない。もちろん、今が健康だなんて言わないが。




 どうしてこんなことになってしまったんだろう。いつの間に、こんなに母が遠くなったのだろう。いつの間に母と騙し合いをするようになったのだろう。

 私はただ、綺麗になりたかっただけなのに。に憧れただけなのに。

 摂食障害になった私は、学校に通っていても結局、普通ではなかった。思い描いた青春なんて送れていなかった。体育の激しい運動は、危険だからと一人見学し、体育祭で抽選でリレーに当たった時は、担任の先生に心配げに参加できるかを確認された。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。憧れた生活は目の前にある。手を伸ばせば届きそうなのに。どうして? 手に入らない。喉から手が出るほど欲しい、。掴んだかと思っても、すぐさま指の隙間をすり抜け、消えていく。

 青春を謳歌したい。高校生活を楽しみたい。どうして? ただ、それだけのことができない。どうして、自分にはとても遠いもののように感じるのだろう。

 高校に受かって、この先はもう、希望にしか満ちてないと思っていた。それなのに。

 今は、希望がどこにあるのか、ちっとも見えない。



















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