最終話:未来と言う名の列車

「譲司、大丈夫?忘れ物はない?」

「ちゃんと確認したか?初日・・から忘れ物をすると恥ずかしいからな」


「だ、大丈夫だよ、母さんに父さん……。昨日も今日もじっくり確認したから……」


 その日の朝も、僕の家のリビングには、東の空から差し込む眩い光がレースのカーテン越しに差し込み続けていた。

 その眩しさに少し目を細めながら、僕は心配し続ける父さんや母さんを宥めつつ、改めて最後の確認を行った。

 鞄の中には教科書もノートは勿論、担任の先生に提出するための書類もしっかり入っている。ハンカチも忘れずポケットの中にしまい込んでおり、IC定期券もちゃんとある。そして、何よりデザインが素敵な『制服』を、僕はしっかりと着こなしている。

 これで、全ての準備は万端となった。


「じゃあ、頑張れよ、譲司」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」


 今までよりも早い時間に起きて朝ご飯を食べ、もろもろの準備を行った後、父さんよりも少し早めに家を出る。特に今日は、『初日』という事で更に早い時間に『目的地』へ行かなければならない。

 当然ながら眠気はまだ残っているけれど、それでもこれは僕が選んだ新たな道。これから頑張って慣れなければいけない、と意気込みながら、僕はゆっくりと家の扉を開き、見送る父さんや母さんに、笑顔で挨拶を送った。


「……行ってきます!」


 そう、今日から僕は、新しい学校の一員になるのだ。


 家からしばらく歩いた先にある駅に到着した僕の視界に入ったのは、電車に乗るために集まった群衆だった。

 先日の転入試験の時に父さんから忠告され、僕も実際に体験したけれど、流石は大手私鉄だけあってたくさんの人に利用されているんだな、と改めて実感しつつ、僕はその流れに身を任せるような形でIC定期券を改札にかざし、ごった返すホームへ向かった。

 そして、少し待った後にやって来た電車に、他の乗客の皆さんと共に乗り込んだ。


 朝の車内は右も左も人でいっぱいになっており、その中には僕と同じように学生と思わしき人も何人か見受けられた。

 窮屈な車内でしばらく立ちっぱなしの時間を過ごさなければならない僕だけれど、内心は少し嬉しい気分だった。

 同じ鉄道趣味を持つ年の離れた友人、もしくは先輩のような間柄である教頭先生の学校に、『特別な友達』と共に通える、という事だけではない。

 僕が丁度乗り込んだこの電車は、鉄道オタクの間で廃車が近いのではないかとここ最近噂されている旧型車両だったのである。

 もしかしたら、この編成に乗ることが出来るのは、これが最初で最後のチャンスかもしれないのだ。

 これからの長い学校生活、この大手私鉄の通勤電車を幾度も利用する事になるだろうけれど、その中で今日のようなちょっとした幸運や変化を感じ取ることが出来れば幸せかもしれない、と僕は思った。


 やがて、電車は今日から通う学校の最寄り駅に到着した。

 僕は他の乗客たちと共に電車を降り、人混みに巻き込まれながらも改札にIC定期券をタッチし、無事駅を抜け出す事に成功した。

 それから数分間、僕は学校へ向かう道を歩き続けた。通学路と言う事もあり、周りでは僕と同じ制服を着た生徒が次々に同じ方向へと進んでいた。中には自転車をこいで颯爽と走る人の姿も見かけた。

 そして、学校の正門が見えた時、明るく優しく、そして凛々しい声が聞こえてきた。


「おーい、譲司君!」


 一足先に到着していた『特別な友達』である彩華さんが、嬉しそうに腕を振って僕の名前を呼んでいたのだ。

 互いに朝の挨拶を交わした僕たちは、寝坊や遅刻をすることなく、初日は少し早めの時間に来て欲しいという約束を無事守れたことを称え合った。


「まだ眠いけれど、無事来れて良かったよ……」

「本当ね……。私も何とか早めに起きる事が出来たわ。まあ、寝坊なんてしちゃうと卯月さんたちに迷惑がかかっちゃうものね」

「そうか……彩華さんはみんなに送迎してもらうから……」


 今日も正確なダイヤを維持しているあの大手私鉄の通勤電車のように、『鉄道オタク』としてこれから通う新しい学校でも遅刻することなく、時間厳守で頑張ろう、と僕たちは互いに誓い合ったのだった。

 

 こうして、無事学校に到着した僕たちは、正門から入り、教頭先生と合流する事にした。

 新しいクラスの担任の先生の紹介、クラスの詳細、教科書や体操服など今後必要となる様々な物品の案内については、数日前に母さんを伴った学校での転校手続きの中で実施済みだった。

 そのため、僕や彩華さんはそういった内容の心配をすることなく、目的地となる職員室へ向かうことが出来たのである。


「彩華さん、今日からまた『梅鉢彩華うめばち いろは』さんなんだよね」

「ええ、この苗字も素敵でしょう?」

 

 その質問に肯定の頷きを見せた僕に、彩華さんは語った。

 お父様や梅鉢家の皆様、そして『お母様』が託してくれたこの大切な響きを、今度こそ守ってみせる、と。

 

「……きっと、大丈夫だと思うよ」

「ありがとう、譲司君。それに、素敵と言えば、譲司君の制服姿、やっぱり似合っているわね」

「そ、そうかな……」

「そうよ。写真に写った姿も素敵だったけれど、やっぱりリアルで見ると更にその気持ちが増すわね。コタローさんのヘアサロンで整えて貰った髪型もぴったりよ」

「あ、ありがとう、彩華さん……。そ、そういう彩華さんだって、とっても素敵で可愛いと思うよ……!」


 そう言ってくれると嬉しい、という彩華さんの笑顔を、新しい制服がより可憐に際立たせてくれるように感じた。


 そんな事を語り合っているうち、僕たちは職員室へ到着した。

 何度かノックをし、失礼します、と声を合わせて入った僕たちを待っていたのは、満面の笑みを見せるこの学校の男性教頭、相田哲道あいだ てつみち先生だった。

 

「やあやあ、おはよう!よく2人とも遅刻せずに来てくれたねぇ!いやぁ、今日から君たちがこの学校の一員だなんて、私はとっても嬉しいよぉ!」

 

 朝っぱらからハイテンションですね、と他の先生から突っ込みを受けてしまう程、教頭先生は興奮が抑えられない様相だった。ただ、その気持ちは何となく僕も察する事が出来た。

 教頭と言う立場はあるけれど、やはり僕と同様、『年の離れた友達』と一緒の学校で過ごせるというのはとても喜ばしいのかもしれない、と。

 その推測が正しい事を示すかのように、教頭先生は、ようやくこの学校に自分と趣味を共有できる仲間が増えてとても嬉しい、と言葉を続けた。

 この学校に赴任してからというもの、鉄道趣味を共有できる仲間に生徒、先生ともなかなか巡り会えず、僕と彩華さんがこの学校における初めての『鉄道オタク』仲間だというのだ。


「え、そうだったんですか……!?」

「まぁねぇ。ふふふ、これから思う存分、3人で鉄道の事について語りまくろうねぇ♪」

「それは構いませんが、教頭先生、あまり公私混同をし過ぎないようにお願いします。確かに私たちと同じ『鉄道オタク』仲間ですが、『教頭』という立場を忘れないように」

「ぎくっ……!ま、まあそこは頑張ってみるよ……。私は教頭だもん!」


 彩華さんの若干手厳しい指摘に関して何やら心当たりがあるように若干慌てながらも、教頭先生は気を取り直すように咳払いをした後、僕たちに改めて忘れ物は無いか、ちゃんと担任への提出用の書類は持ってきたか、などの要件を確認した。

 勿論、僕も彩華さんも、家で何度もばっちり確認してきたので、それに関しての問題は一切なかった。

 それを見て、安心したような表情を見せた教頭先生は、先程までの嬉しさを溢れさせるような表情から、どこか真剣な、でも頼りがいを感じさせる笑顔へと変えた。


「確かに、この学校に私たちのような『鉄道オタク』は非常に少ない。でも、この学校の生徒や先生は、みんな明るく楽しく、そして誰かの『好き』という感情を大切にする、素敵な人たちばかりさ。だから、君たちはこれからの生活に何の心配もしなくて良い。これは間違いない話だよ。私が教頭として保証する」


 自分たちがいるこの学び舎で、鉄道に限らず様々な『好き』な気持ちを思う存分に育んでくれれば、教頭としてこれほど嬉しい事はない。

 そして、存分に大きくしたその気持ちを燃料にした、『未来』という名の列車が走る事になる線路を、君たち自身の手で敷き続けて欲しい――『鉄道オタク』だからこそ言えるエールを、教頭先生は僕たちに贈ってくれた。


「……教頭先生……ありがとうございます」

「その言葉、信じさせて貰いますよ」


「いやぁ、2人とも頼もしいねぇ……じゃあ、そろそろ行こうか」


 腕時計を見つめた教頭先生の言葉に、僕と彩華さんは揃って返事をした。そして、そのまま教頭先生に案内される形で、僕たちは『教室』へと向かった。

 しばらく廊下を進んだのち、辿り着いた扉の前で、教頭先生は扉を叩きながら、自分たちが来た旨を軽い口調で知らせた。

 すると、それに合わせるように、これからお世話になる事になるクラスの担任の先生が、ゆっくりと扉を開いた。

 そして、教頭先生たちに促される形で、僕と彩華さんは、ゆっくりと教室へと足を踏み入れた。


 今までの通っていた場所とは違う、どこか明るい雰囲気の教室。それらの中に並べられている席には、『2箇所』を除き、僕たちと同じ制服を着た生徒たちがずらりと座っていた。

 みんな、これから同じ時間を過ごす事になる新たな仲間がどのような存在か、興味津々である事を示す視線をじっと僕たちに向け続けていた。

 それに気づいた時、僕は自分の左手を彩華さんが強く握りしめた事を感じた。新しい環境に緊張しているのだろうか、それとも逆に僕の緊張を和らげようとしているのだろうか、それは把握しきれなかった。

 でも、僕がそちらのほうに顔を向け安心させるような笑みを見せた時、彩華さんが返してくれた表情は、間違いなく凛々しく、優しく、そして僕にとって『特別』なものだった。

 

 そして、黒板の前に並んで立った僕と彩華さんに、担任の先生が自己紹介を促した。


 これから先、僕と彩華さんの前に何が現れるのか、誰と出会うのか、どんな出来事が訪れるのか、そして僕たちの関係に変化は起きるのだろうか。

 幾ら悩んでも、どんなに考えても、答えは一切分からない。

 『未来』という愛称が付けられた列車が走るレールが、今後どのような経路を辿るのか、それを決める心の路線図も未完成のままだ。


 でも、僕と彩華さん、ふたりならきっと大丈夫。どんな急曲線や急勾配が待ち受けていても、間違いなく乗り越えられるはずだ。

 いつだってどこだって、そしていつまでも、僕たちは共に『好き』であり続けられるのだから……。


「皆さん、はじめまして。和達わだち譲司じょうじと言います。僕の趣味は……」


<おわり>

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鉄道オタクだからといじめられ続けた僕を救ってくれたのは、この学校で一番の美人でした。 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

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