第174話:言葉と想い
新しく通う事になった『教頭先生』の制服が届いたので早速試着してみた――その旨を記した文章と共に、僕と彩華さんは『鉄デポ』でずっと応援してくれた皆へ向けて、初めて制服を着た写真をメールで送信した。
それに対する返事が届き始めたのは、夕ご飯を食べ終え自室でのんびり寛いでいた頃だった。
ふたりとも中々似合ってるっすね、格好良くて素敵です、あたしから見ても絶対いける服装だと思う、などなど、どれも好評の内容となっていた。
特にスタイリストとして人気のコタローさんからは、今度ヘアサロンを訪れる時までに、この制服とピッタリな髪型をそれぞれ考えておきたい、という約束までしてくれた。
どうやらコタローさんの心にあるスタイリストの魂に、僕たちの写真が火をつける形になったようである。
そして、皆の中で一番最初に返信メールを寄こしてくれたのは、アイドルグループのセンターとして全国ツアーの真っ最中という忙しい立場であった美咲さんだった。
ふたりともとっても素敵で素晴らしい、この制服を着て思いっきり学園生活を楽しめれば素晴らしいね、などの誉め言葉に合わせて、全国ツアーも絶好調、疲れるけれど心地よい疲れだから大丈夫だよ、という現状報告も文章には加えられていた。
ツアーを終えて『鉄デポ』に戻って来た時には、土産話とたくさんの鉄道写真を紹介したい、という気合が感じられる内容と共に。
(美咲さん、アイドル活動よりもそっちの方を楽しんでいるような気もするな……)
そんな事を考えつつ、僕はこんな夜でも丁寧に応援の言葉を送ってくれた『鉄デポ』の仲間たちへ向けて、返信のメールを打ち込んだ。
それぞれ様々な夢に向かって頑張っている皆をこちらからも全力で応援したい、という思いと共に、くれぐれもあまり無理はしないように、という気遣いの言葉もしっかり添えた。
そんな中で、僕は密かにもう1人、『鉄デポ』とは別の人物からの返信を楽しみにしていた。
今までずっと僕や彩華さんを守り続けてくれた、図書室のおばちゃんにも、是非僕たちの新たな世界への門出に備えた姿を見て欲しい、と考え、ふたりで考えた文章と共にあの制服写真を送信したのである。
でも、残念ながらその夜、僕のもとにおばちゃんからの返事は来なかった。
とはいえ、それも仕方がない事。おばちゃんは今、揺れ動く未来の中で懸命に頑張り続けている状況なのだ。
そんな忙しい中で、返事が欲しいなんて事を考えてしまうのは失礼かもしれない。たとえ反応が無くても、おばちゃんに新たな学校の制服姿を見せる事が出来ただけでも幸せだろう、と僕は考えた。
でも、そんな状況が変わったのは次の日――前日に本も借りたし彩華さんとも話したし、やる事を全てやってしまった結果、自室で暇を持て余していた昼下がりの事だった。
突然、僕のスマートフォンに、彩華さんではない誰かからの着信が届いたのである。
一瞬迷惑電話か、と不安になった僕だけれど、画面を見てそれは杞憂である事を認識できた。
「あ、もしもし……!」
『もしもし、久しぶりだねぇ!』
スマートフォンの通話口から響いてきたのは、久しぶりに聞く図書室のおばちゃんの、元気で頼もしそうな声だった。
『昨日はメールを貰ったのに返事が出来なくて悪かったねぇ』
「い、いえ、こちらこそ突然メールを送ったりしてごめんなさい……」
『いやいや、私は全然大丈夫だよ。それより最近はどうだい?元気にしている?』
「は、はい!お陰さまで体調は良好です。それに、鉄道趣味も順調に楽しんでいます」
『そうか、安心したよ』
そして、図書室のおばちゃんは、改めて僕に、お祝いの言葉をかけてくれた。
新しい学校への転入試験合格、本当におめでとう、と。
おばちゃんには、合格発表当日に彩華さんと共に急いでその一報を送信し、すぐさま嬉しい気持ちを溢れさせる返信を貰っていた。
でも、電話伝いとはいえおばちゃんの声で祝福の言葉を聞くと、文字とは別の感慨深い思いが僕の心を包み込むようだった。
「ありがとうございます……。僕と彩華さんがこうやって新しい道を進むことが出来るようになったのも、おばちゃんと図書室で出会えたお陰です」
『そう思ってくれると嬉しいねぇ。メールにも書かれていたけれど、進学先の候補だったんだって?』
「はい……。遅ればせながら、ようやく僕の願いが叶った、という感じかもしれません」
『そうかい……それは良かったねぇ』
優しい声と共に、おばちゃんはこう述べた。
図書室で姿を見かけた時、『和達譲司』という人物は、まるですべてに怯えて怖がり続けるような日々を過ごしているようだった。でも、今こうやって電話越しに聞く声からは、そのような過去が感じられないほどの明るさや頼もしさ、そして未来に向けた希望が感じられる。
きっと、様々な出来事を経て心も体も一回り大きくなった証なのだろう――あの地獄のような学校の中でたった1人、僕たちの味方をしてくれた『教師』であったおばちゃんの言葉は、僕の心に深く染み渡った。
「そう言ってくれますと、とっても嬉しいです。でも、それはきっと、おばちゃんが支えてくれたお陰だと思っています。あの図書室があったからこそ、僕は学校に通い、彩華さんと出会う事が出来たんですから」
『そうだったねぇ……。そう言ってくれると、私が長年あの学校で「図書室のおばちゃん」を
その言葉を聞いた僕は、改めて今のおばちゃんがどのような立場なのか、思い返すことが出来た。
図書室のおばちゃんを『やっていた』、と敢えて過去形を使ったのは、おばちゃんがもう間もなく『図書室のおばちゃん』でなくなることがほぼ確定している、という事。
あの地獄のような学校を離れるため、おばちゃんは他の先生と協力して、僕たちに続いて学校を見放して集団退職を検討しているのである。
そして、もう間もなくそれは実行に移されるだろう、という情報を、僕は昨日得ていた。
「……おばちゃんも、色々と大変そうですね……」
呟くように口から出た言葉に、おばちゃんはそこまで心配しなくても良い、と返した。
『前も言ったかもしれないけれど、あの学校自体に不満を持つ先生は意外と多かったからね。何より、お偉いさんたちが『スポンサー』の堪忍袋の緒を切らせてしまった事もあったし。だから、私が思ったよりすんなり受け入れられそうだよ。はっきり言って、全てに見放された今の理事長には、もう私たちを止められる力は無いね』
その言葉を聞いた僕は、自業自得だ、という感情も、可哀想だ、という同情も起きなかった。ただ、そう言う事実がある、という事を淡々と受け止めていた。
もう、今の僕にとってあの学校での出来事、僕や彩華さんを苦しめた人々の姿は、単なる『苦い思い出』の1つになろうとしていたのかもしれない。
そんな僕に、おばちゃんは語った。
こちらは経験も実績とたっぷりの小じわがある立派な大人。だから、自分の未来行きのレールは自分でしっかり敷くから大丈夫だ、と。
改めておばちゃんの頼もしさを感じつつも、僕はやはり無理だけはしないで欲しい、と思いを伝えた。
「それに、何かあったらいつでも僕を呼んでください。綺堂家の一員ではない、以前あの学校と関わりがあった1人の『学生』として、出来る限り力になりたいです」
『……そうか。ありがたいねえ……あ、それなら1つだけ、お願いしたい事があるんだ』
「え、何ですか?」
『この私が「図書室」じゃなくて『図書館」のおばちゃんになる日が来たら、また訪ねてきて欲しいねぇ』
あの学校のスポンサーであった綺堂家が、その立場を降りる際に、学校に寄贈していた多数の蔵書も一緒に撤収させた。
それを基に今後創立を予定している市立図書館に、本の扱いを良く知る人としておばちゃんを是非再就職させたい、という動きが進んでいるのだ。
勿論、おばちゃんもそれを把握済みであり、やがて就くであろう新たな仕事を楽しみにしていた。
「……勿論です。是非、彩華さんや友達と一緒に、色々な本を借りに訪れたいです」
『へへ、ま、私ももうひと頑張りしてみるよ』
そんな事を話し合っているうち、次第に僕たちはそろそろキリが良い頃合いになったのを感じ始めた。
それを受けて、おばちゃんは僕に続いて彩華さんに電話をかける旨を語った。あの制服の感想やここ最近の様子の報告、そしてこれからの未来の事を語り合うため、おばちゃんはわざわざ僕や彩華さん双方に電話で連絡をする事にしたという。
「お手数かけます……」
『いやいや、私は全然大丈夫だよ。それに、久しぶりに話せて楽しかったよね?』
「は、はい……!おばちゃんと会話出来て嬉しかったです」
そんな僕に、おばちゃんはこの機会なので、彩華さんに伝えたい事があったら何でも連絡する、と進言してくれた。
普段あまり語れない事、面と向かって話せない事でもOK。勿論、『想いを伝える言葉』だって構わない。あれやこれや、それやなんや、もうそれは色々と――。
「ま、待ってください!そ、そ、そ、それは結構です!い、彩華さんとはそもそも昨日の間にたくさん話しましたから!」
『ありゃりゃ、そうかい。それは残念だねえ』
――ここぞとばかりにお節介を焼くおばちゃんの言葉に慌てながらも、僕は何とか自分の意志を伝えた。
もしそのような言葉を言う機会が将来、そのうち、万が一訪れたとしても、誰かの手を借りるつもりは無い。はっきりと、僕自身の口から語りたい、と。
『ほほう、格好良い事言うねぇ。それでこそ、彩華ちゃんの「特別な友達」だよ』
「そ、そうですか……あ、ありがとうございます……」
『ま、ともかく、新しい学校でも彩華ちゃんと仲良くするんだよ。それに、新しい学校で素敵な友達とたくさん出会えるといいね』
「……はい!」
電話の終わりに、僕ははっきりとおばちゃんの言葉に元気よく挨拶をすることが出来た。
やがて、通話が切れたスマートフォンに充電コードを差し込みながら、僕は改めて先程のおばちゃんの『言葉』の数々を思い返した。
確かに、全くそう言った意識をしていなかったと言えば嘘になるけれど、いざああやって耳に聞こえる言葉にされると、心の中に様々な『思い』が生まれてしまう。
もし、それらの『思い』が上手くまとまり、それをはっきりと口にした時、僕と彩華さんの中の何かが、大きく変わってしまう可能性は高い。
ただ、それはネガティブなものではなく、ポジティブな変化である事態も大きくあり得る。
正直言って、僕にはまだよく分からなかった。
出来る事なら、彩華さんとは『特別の友達』で居続けたい。
でも、これから訪れるであろう日々の中で、きっとそのままではいられない事態が起きるかもしれない。
そんな事を、僕は新たな未来の象徴である『制服』を見つめながら、ゆっくり考えた。
(……これから僕たち、どんな事が起きるのかな……)
僕と彩華さん、ふたりの新しい日々の始まりは、少しづつ、でも着実に近づいていた……。
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