12月25日 出来上がったカヌー、幸せな記憶は永遠に(第八部 下した決断)
その春、スターリングはラスカルを南京錠付きのオリに入れていれば、しばらくそのまま一緒に過ごせたのかもしれません。でもそこまでしてラスカルを自分のそばに置いておく事には抵抗があったのです。普通の鍵ですら開けるようになったラスカルの賢さに対し、南京錠は裏切りのような気がしていました。
クリスマスツリーを網で囲った事からもラスカルの自由を奪いたくない気持ちは分かりますね。ラスカル以外の他のペットにしたって、カラスやスカンク等、自分が支配しようって類のものではありません。
元よりこの家族は、幼い少年が父と家事を分担するという家で、母親がなくなった四年前にも娘の夢を奪って家に縛り付けたりはしなかったのですね。自由な意思を尊重する家族なんだと思います。実際には、次女ジェシカはスターリングのために結婚を少し(三年位?)延期した事実はあるみたいですが。
かと言って、その春、ついにサーマン氏の鶏小屋を襲ったラスカルをそのままにはしておけませんでした。アライグマが鶏小屋を襲うという時、卵だけでなく雛まで食べられてしまいますし、これは必然的に常習化していきます。
原作では、最後のスターリングの気持ちは、あえて詳細に描かれてはいません。淡々という感じです。
ただ、日々、ラスカルが殺されるのではないかという不安と恐怖に脅かされるようになりました。
元々、サーマン氏は、いつかラスカルを撃ってやると宣言していたので、そんな不安も仕方ないのです。近所でもどこでも、この地域ではアライグマに、ペットとか人間の友達とかいう認識はないのです。旅先でもラスカルを連れていると、「良い毛皮になりそうなアライグマだね」と言われたりしていましたし。
スターリングは十二才の子どもと言っても、これまで決して死と無縁の人生ではなく、死というものを漠然とでも理解していました。七才の時に母親が亡くなって辛い思いをしましたし、戦地にいる兄が命を落とすような戦線にいるのではないかとよく悪夢に悩まされていました。
ですからスターリングがラスカルの死を不安に感じるようになっても、おかしくはなかったのです。
家に家政婦が来る事が決まり、以前のようにラスカルを室内に入れられなくなるというのも打撃でした。家の外壁にラスカルや友達が入って来られるようなハシゴも考えたのですが、それも無駄な努力である事を頭のどこかで理解していました。
その朝、朝食後、今日ラスカルと川へ行くと言ったスターリングの表情を見て、お父さんは、スターリングの決意を察します。
スターリング・ノースは、この日の出来事を何から何まで時系列で憶えていると語っています。
スターリングはラスカルを連れて朝、カヌーで川に出ます。
自分で作ったカヌー。この、自分で起こした事を自分の手で解決しようというのが何か泣けるんですよね。
カヌーは、室内で作っていて、なかなか簡単には完成に至らなかったもの。それでもコツコツと積み重ねた継続の力は、時間の経過と相まると困難だった事をもいつか可能にします。
逆に言うと時間の経過は残酷でもありますけどね。
スターリング・ノース記念館には、室内に作りかけのカヌーのレプリカが置かれています。
以前はスターリングの本物のカヌーがどこかの博物館に保存されていたようですが、今は火災で焼けてしまっているとか。
その日、一日をかけてカヌーで湖まで行き、満月が昇る頃、森からは雌のアライグマのトレモロのような鳴き声が聴こえてきます。行きたそうな、何かを問いかけるようなラスカルに「好きなようにするといいよ。おまえの人生なんだから」と言います。
ラスカルは一分間、じっとしています。スターリングも待ちます。ラスカルはスターリングを躊躇うように見ると、それから水の中に飛び込み泳いで岸へと渡ります。もしこのままカヌーの中にいれば、そのままラスカルと帰るところでした。
ラスカルは森へ戻る事を選んだんだとスターリングは思います。
最後に見た姿は鳴き声の主のアライグマと向かい合っている姿でした。
ラスカルの思い出にと取った名入りの首輪をポケットの中に、スターリングは切り株の上にラスカルへの最後のヒッコリーの実を置き、その場を後にします。
満月の下のカヌーの様子を例の挿絵画家さんが描いた挿絵は、本当に秀逸です。暗い表情でオールを漕ぐ少年と舳先で空を見上げるアライグマの絵。アニメでもこの挿絵とまるで重ねたような絵となっています。
この森の別れの場面では、ラスカルの気持ちを考えてしまう事もありました。今まで友達だったスターリングの微妙な気持ちを野生の感覚で悟ったのかな、とか。
でもたとえ森で育ったとしても、成長すれば母親アライグマから離れるのが野生動物というもの。そんなDNAがラスカルの中にあり、ここが別れる時なんだと理解させたのかな、とも。そう理解をしたいです。
かつての映画、「赤ちゃん泥棒」のエンディングで、赤ちゃんを生みの親の下へ戻した主人公のモノローグで、赤ちゃんの記憶の中に何らかの記憶も無意識のうちに残っているのであれば、成長しても自分の事をどこかで何かの瞬間に思い出すかもしれないと。
そんな言葉が確か、ありました。主人公の想像の中で、大学生に成長した子がアメフトのゴールキーパーになって活躍していたかも。
そんな風にラスカルが森で生活をして年を取っても、どこか心の中に「小さい頃、人間の住む集落で、一人の少年と過ごしたなぁ」という記憶を残していたら、そしてそんなDNAが森の中で暮らす遥かな子孫達にも残っていたらなぁと心から思います。
これまで読んでいただき、ありがとうございました。大好きな本で、自分の思いが先走ってしまった事もあるかと思います。スミマセン。
このお話は、愛情と自由の尊重という点で、また自然との共存という点で、色々な教訓がある、ずっと読みつがれてほしいと思う一冊です。
拙い文章ではありましたが、それが伝わればいいなと思いました。
では……Merry Christmas⊂(•‿•⊂ )*.✧
〈Fin〉
ラスカルと開ける24の扉【アドベントカレンダー2023】 秋色 @autumn-hue
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