第24話 神で在ること

「しゃあねえな、こっち向け」


 ルカの眼前にレイナの顔が現れる。淡泊に、表情もない。視界の幅が狭まりぼやけていた意識が、少しはっきりする。頬にレイナの手が添えられた。


「これはルカのせいだからな」


 あっさりと唇が触れた。ほのかな温もりを、口の中で感じる。


「…………⁉」


 引き寄せるように、レイナはルカの首に両腕を回す。抱きしめて離さなかった。

 時間にすれば、数秒。まるで永遠といえる時を感じた。


「んぐっ…………!」


 レイナの力が弱まると、ルカはすぐに引きはがした。湿っていた口元を拭う。


「なっ…………⁉ 何してんだよ⁉」

「反応可愛すぎか。私の神刻を返してもらっただけだ」


 我に返る。《暴食gula》の異形の腕は、すっかり元の腕に戻っていた。燃えるような酷い痛みも、身体から湧き上がっていた高揚感も、全能感も、消え失せていた。


 代わりに、身体のなかの鉛が大きくなっていくかの如く、重く、壮大な疲労感が襲ってくる。口を開き、大きく肩を上下させる。


「ったく、それにしても」

 レイナはルカに向かって全力で、でこぴんをした。


「いっ……てぇ、なにすんだよ」


 結界は解け、少しずつ陽の光が差し込んでくる。辺りが明るくなると、蔓延っていた黒い塵は見る影もなく、転がる怪物の頭だけが闇を漂わせていた。


「ルカの言う『ニンゲンとして生きる』っつーのは、結局、神刻がないから仕方なく言ってただけだったんだな」


 目を反らさず、ルカとレイナは相対する。


「なにが、言いたいんだ」

「ずいぶん、楽しそうだったからよ。初めて振るった神の呪いは、そんなにも気持ちよかったか?」

「俺はただ、怪物を倒すために――」


「だけど暴走した。たかが一部、神刻を貸した程度のことで」


「それは、初めてだったから! 次はもっと上手くやれる!」


「やれねえよ、今の中途半端なままだったら。もう、貸したくもねえし」


 胸がズキンと動悸を打った。ルカの心の底を覗けてしまうような、獣の瞳がそこにはあった。


「神刻ってのは神で在る所以そのものだ。コントロールするためには覚悟や信念がいる。どんなものであれ、己のなかでの芯が必要だ」


 どん、とレイナはルカの胸に拳をぶつけた。徐々に広がる痛みが、やがて身体を蝕む。


「神としての自分は捨てて、ニンゲンとして生きる。結構なことじゃねえか。だが、欲するときだけ神の力を利用しようなんて好いとこ取りが、成り立つわけがねえ。そこに覚悟なんて、ありはしねえだろうよ」


 神は我儘で自由。だが、愚劣ではない。


「じゃあ、失敗するとわかって俺に神刻を貸したのかよ」


「だから確認したんじゃねえか。私はてっきり事件を解決するために、己の『人間性』を完全に捨てて、神として在ると覚悟を決めたのかと思ったんだ。それが――」


 レイナは倒れている人間たちに目をやる。商店街の人間は繋がれていた管から放り出され、無造作に転がっている。津川先生は血だまりのなか、意識を失い、達郎により応急処置を受けていた。


 レイナが止めてくれなければ、《暴食gula》は死を導いていたことだろう。


「どっちつかずの、甘ちゃんだったとはよ。唯が見たら呆れるんじゃねえの? ニンゲンであそこまで自分の芯があるやつ、滅多にいねえ」


「お、俺は……」


 人間としても在れず、神としても在れず。


「ルカの考えは卑しいだけだ。そんなやつに、私の神刻は貸せない」


 ぐうの音も出なかった。

 もし、ルカが生まれてからすでに神刻を所有していたとして。それでも人間として生きたいと思えただろうか。既に手している強さを全部捨ててまで、人生を歩もうと少しでも考えることがあっただろうか。


 達郎の指示のもと、結界の外にいた天使たちが駆け寄ってくる。人命の救助とともに、転がり落ちている怪物の頭部を囲い、調査を始めた。


「フェイアスはルカを神にしたかったんだろうな。もう、どうでも良いことだが」


 レイナがルカを横切り、その場を離れていく。



「――――っ!」


 歯を食いしばり振り返っても、言葉は出てこなかった。綺麗なウェーブの長い髪が靡いて、細身のシルエットが段々と遠くなっていくのを、眺めていることしかできなかった。


「ふざけんな」


 やがて姿が見えなくなったところで、誰も拾わない言葉を、吐き出した。


「自分の信念がわかっていたら、苦労してないんだよ」


 神刻を解放した反動で、眩暈がする。異形と化していた右腕は血で真っ赤に染まり、感覚が鈍くなっていた。吐き気もする。


 よろめいて、ルカは倒れるように座り込んだ。遠くで達郎が声を掛けている気がしたが、返事をする気力が残っていなかった。

 思考が止まり、目の前がぼやける。ルカの視界は暗転した。



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神の呪いを貴方に刻む 柊木舜 @hiirgi_sh999

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