第5話
「チャンスは残り三回です」
どこか楽しげな声は告げた。上蓋の液晶から流れる透き通ったソプラノは、ボクの心を見透かしているようにまっすぐ掴んでいた。
三回。結果的に、ボクに残っていたチャンスは三回だった。六歳の事故で、十五歳の熱病で二度転生し、十八歳を過ぎれば、移植されたニューロチップを起点として展開した神経網はもろとも脳細胞と同化して、松果体と海馬の一部になる。そうして、亡くなった義父の実験はひっそりと終わる。
結局このオルゴールは、バーチャルシンガー引退前にアマタの手によって当時の遷延性意識障害患者全員に送られていたものらしい。今のボクは推測しかできないけれども、なるほど記憶にあるアマタらしく強引で確実な方法だと感心する。きっと彼女は、どこかで十五歳のボクが亡くなったことを知ったんだろう。
装置に用意された桃色のイヤホンをはめる。端末のスイッチを入れると、記憶をコード化した音楽が流れる。
『チャンスは残り三回です』
思わず眉が寄る。流れてきたのはM/M変換によるノイズじみた音の羅列ではなく、アマタのオリジナル曲だった。
どういうことだろうか。と一瞬疑問に思うものの正解は明白。ボクは端末から流れる三曲のオリジナル曲をニューロチップ内に記録し、同時に再生する。
Try Chance。人生三度しかないチャンスを掴むために挑戦を恐れない心を歌うJポップ。
凛・カーネーション。赤い花を巡って生まれ変わるヒロインを歌う物語風のバラード。
レプリカと踊る。自分そっくりの人形に喩えた人工音声と一緒に倒錯的な歌詞を歌い上げる疑似デュエット。
聞き返してみれば、転写クローンを思わせるようなものばかり。これらを統合することで一つの記憶ファイルになるなんて、まさしく彼女はフィクションから飛び出した超天才だ。
『これを語っている頃には――いや、やっぱやめ。意味ないし。……ハロー。元気してる?』
再生した記憶ファイルの中で、中学よりも背の伸び白衣を着た三田アマタの姿が、研究室らしい部屋で座りながら正面の誰かに語りかけている。中学の時と変わらず、小顔で可愛らしい顔立ちだった。
『まずはありがとう。六歳のあの時、私を助けてくれて。それと、ごめんなさい。子供だったとはいえ、私のせいで結果的にあなたを死なせてしまったこと』
ストンと、落胆した気持ちが胸中を占める。ボクに宛てたメッセージは、ボクに宛てたものじゃない。君の中のボクはもうボクじゃないことに、君はまだ納得していないことに。沸き上がる泥を息が詰まり、ボクは一息小さく呟いた。
「別に、気にしてない」
『うん、気にしないよね。あなたにとって私を助けたことは、他人事だと思うから。でも言わないと私も気持ちに決着がつかないから、言わせてほしい』
は。と、間抜けな息が漏れる。再生した過去の記憶が、現在のボクの呟きに反応したのだ。
「偶然?」
『残念、偶然じゃありません。記憶に基づく人格形成において基準値が存在しないのなら、記憶を挿入することで自己と独立した意識を芽生えさせるのも難しい話ではありませんよ? 人間は元々、誰かの心情に寄り添って他人をシミュレートできる生き物なんですから』
背もたれに体重を預けながら、記憶のアマタは悪戯っぽく口の端を持ち上げる。してやったり、というその仕草と露骨な敬語は『二番目のボク』が見たものに既視感がある。というよりも、ファイルに組み込まれたプログラムによって、アマタはニューロチップ内に仮想の自分を作り上げて、ボクとこれまでの記憶ファイルを使って補正させているらしい。
ウィルスを仕込まれたようなものだと絶句していると、安心してとアマタは断りを入れてきた。
『当然、これも記憶が更新するごとに風化していくことになるし、厳密には現実の私じゃない』
「そ、そうだね。あくまで、ボクが想像しているアマタに過ぎない」
『だから、これを私の記憶だと自覚しているうちにメッセージを送るね』
仕切り直すように、アマタは咳ばらいを一つ。
『あなたは成長する人格に絶対的な基準値がないって言っていた。けど二者間の因果的な基準値ならあるんじゃないかって思うの』
「つまり?」
『わかってるくせに。じゃなかったらこのメッセージは届いていない』
図星だったことを誤魔化したくて研究室を見る。机にはレジンの中に萎れたカーネーションを閉じ込めたボトルケースがあった。
『知ってるよ? 十八歳になれば、ニューロチップは脳細胞と同化して、あなたの精神は大人になって完成する。その時、私への心が残っていればQ.E.D』
「ボクをモルモットか何かだと思ってる?」
『そうかもしれない』
あっさりそう答えるとボトルケースに手を伸ばし手に取る。よく見ると、レジンは円筒形になっていて真新しい。花の周りだけ劣化して変色しているようだった。
『でも、結果がわかり切ってる実験なんてしないでしょ?』
「どういうこと?」
『さぁ、どういうことでしょう?』
アマタは小さく舌を出してとぼけると、最後に、と小脇に抱えていたタブレットの画面をこちらに見せつけてくる。
画面には、黄色い髪に白いカーネーションの髪飾りをしたバーチャルアバターとSNSが表示させていて、名前を『バーチャルシンガー・リンカ』としていた。
よく見ると、上蓋に写されていたデフォルメキャラだった。
『その歌が気に入ったら、チャンネル登録よろしく。それじゃあ、またね』
アマタの声に合わせて画面のアバターが手を振ると、そこで記録は終了した。
上蓋を閉じ、天井を見上げて、大きく息を吐いた。
「最後の最後で、それ?」
ここで耐えていた気恥ずかしさに限界が来た。全身から吹き出しそうになる感情を閉じ込めようとベッドに飛び込んで頭から毛布を被って切なさに呻いて、そのうち心の底から悔しくなって、いつの間にかにやけていた顔に気付く。
これはボクが三×六歳の時。ボクは三度目のチャンスで、三度目のアマタに出会い、三度目の初恋をした。
さんにまつわるあまたのはなし 葛猫サユ @kazuraneko_sayu
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