第4話

「チャンスは残り三回です」

 どこか楽しげな声は告げた。小顔全部で悪戯っぽい笑みを表現しながら、白々しい敬語で話すときは、揶揄う時か怒っている時の合図だというのを、この三年間でボクは知っている。

 そして笑ってもいられないのがこの状況だった。二学期の終業式を終えてすぐ、アマタの部屋へ連れ込まれたボクは壁を背に詰め寄られているのだから。

 既に世間を賑わせていたニューロチップとM/M変換による記憶と意識の転写を考案し、当時三歳になる義理の息子に打ち込んだ狂人とゴシップが吹聴する三田博士。

 その娘である三田アマタは、フィクションから飛び出したような超天才だった。小学校卒業時点で脳科学の論文を発表し、現地の研究者への研究協力という目的で中学卒業と同時に渡米することがもうすでに決まっているような。そんな彼女のプロポーズを受け、三年間過ごしたことに対してなんの打算も感じないほど、ボクは自惚れていない。ボクがニューロチップを埋め込まれた狂気の科学者第一の実験体だということは、きっとバレているんだろうと悟ったまま、それでも今まで彼女からその話題を切り出されたことはなかった。

「なんの、チャンス?」

「質問のチャンス。あなたが、私に対して、この状況に対して、三つの質問を許します」

「冬休み、どっか行こうか?」

「うん。一緒にいられる時間も少ないから、素敵なところに行きたい」

「えっと、何か怒らせるようなことした?」

「そうね。でも自覚がないんじゃ、教える意味はないかも」

「ごめん」

「謝る前に考えたら? それとも海馬に電極でも突っ込まれたい?」

 アマタは明らかに不機嫌だった。核心を突く質問を避けたことは確実にバレている。

 詰まるところ、ボクがこうして彼女に詰め寄られている理由はボクには明白だった。

「どうして、ボクが県外で引っ越すことを知ってるの?」

「教師受けが良い自分にこれほど感謝したことはないわ」

 質問に対して遠回しに答え、目を伏せながらアマタは距離をとる。

「転写クローンじゃないって、はっきり言えばいいのよ」

「言い返したって意味ないよ。ああいうのは、騒げるネタがあればいいだけなんだし」

「だからって、県外まで出て泣き寝入りする気? あなた、いつからそんなに腑抜けたの?」

「いつからって」

 困惑するボクをよそに、アマタのベッドに腰を下ろして、膝を抱いた。

「昔のあなたは、もっと行動的だったはずでしょ」

「誰かと勘違いしてない?」

 精一杯とぼけてみせても、もうわかってるでしょ、とアマタは食い下がる。

 違う、違うんだよ、アマタ。そう心が暗い反論をしている。親の目を盗んで縁日で遊んだのは、ボクであってボクじゃないことを、アマタはわかっていない。

「昔、縁日で私と遊んでくれたお兄ちゃん。今でも、あのことは覚えてる」

「別人だよ」

「誤魔化さないで。とっくに気付いてる、あなたは――」

「本当に別人なんだよ。遺伝子上でも、ボクの意識の中でも」

 膝に頭を乗せて、上目遣いで睨むアマタを瞳をしっかり見据える。

「確かに記録に残ってる。あの縁日の日にしか会えない義妹に、フラワーボトルをあげようとしたこと。でもそれだけだよ。今のボクは、その記憶を持ってるだけのただの別人」

「そんなわけない。過去の記憶が人格形成に影響を与えるなんて、わかり切ってることでしょう」

「だからだよ」ボクはこめかみを叩いて、その先のニューロチップを指さす。

「このニューロチップには『最初のボク』だけじゃない。『二番目のボク』が意識障害を起こす前の記憶だってある。それが重なってるんだから、別人じゃなきゃおかしい」

「嘘ね。それじゃあ転写クローンが患者を演じられる理由と矛盾する」

「記憶が人格を形成するけれど、多感な子供はたくさんの経験を記憶してその度に人格を毎秒変えていく。毎秒生まれ変わるボクらの人格に、基準値なんてないし、演じる必要だってないんだよ」

「じゃあ、何? 別人同然の思い出に固執するなんて馬鹿げてるとでも言う気?」

「あの時のボクに感謝したいなら、そうすればいい。でもボクはその記憶を持った他人として聞いてあげることしかできない。……それでもいいの?」

 突き放すような物言いになってしまったことに、ボクは内心自己嫌悪を覚えながらも言い訳を始める。仕方ないじゃないか、他人のことばかりで。

「それじゃあ、なんで私のことを好きになったの? 私のことを覚えていたわけじゃないの?」

 純粋な嫉妬が渦巻く中でその質問を聞いたものだから、さらにむかついた気持ちが溢れてきて、そんなの、と乱暴な調子を抑えられなかった。

「今このボクが、君を好きになったからに決まってるだろ。過去のことなんて関係ない、それなのに君は――」

 アマタは真顔で大きな瞳をパチパチを瞬かせる。それで自分が、とんでもないことを口走っていることに気付いた。

 アマタは何も言わず。

「そっか。ごめん」

 と、小さく微笑んだ。

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