第3話

「チャンスは残り三回です」

 どこか楽しげな声は告げた。イヤホン越しに響く硬質で透き通るようなソプラノは、日の差したガラス細工を連想させる。それを聞く観客たちは、ステージに上がった彼女から熱狂を分かち合い、画面越しからでも凄まじい盛り上がりを見せていた。

「あれ? アマタ見てんの?」

 自室で記憶装置を確認した次の日の昼休み。ボクが教室の片隅で『アマタ』のミニライブをスマホで眺めていると、頭の上から不意に声が掛かる。うん、久しぶりにね。と、片耳だけイヤホンを外して顔を上げると、親友の中島はふーんと無関心気味に呟いて前の席に座り、ライブ映像を覗いてきた。

 薄暗い仮想空間のステージ中央で、少女と呼べるような年齢のアバターがギャラリーに向かって、彼女が最初にリリースしたオリジナル楽曲である『Try Chance』――人生の中にある三つの大きなチャンスという独自の哲学の下に歌われる快活なJポップで、最初のセリフはこのオリジナル曲の歌いだしだ――を、ディスプレイに表示された奏者の伴奏に合わせて歌っている。咲き誇ったカーネーションを逆さまにしたような淡い色彩のショートヘア。ノースリーブのインナー、フリルの存在感を強調する短いスカート、肘から広がる花束を連想させる大きな袖。華やかな風貌からアイドルを思わせる愛らしさがあるものの、歌っている彼女に笑顔こそあれ、小さくて丸い顔に沿ったインカムに指を添えたその姿は、普遍的で真っ直ぐな端麗さを放っている。

 バーチャルシンガー・アマタ。動画配信サイトを中心に音楽活動を行うバーチャルアーティスト。『Try Chance』を含めた三つのオリジナル曲をリリース、同業の中でもトップクラスの人気を誇っていたのが当時のライブ映像や楽曲動画の再生数からも伺える。

 そんな彼女の引退を所属事務所が発表したというネットニュースが流れたのは、『三番目のボク』にあのオルゴールが送られる三か月ほど前のことだった。

「珍しいじゃん? 前の炎上騒ぎから話題にも出さないから、興味なくしたのかと思ったけど」

「炎上? なにそれ?」

 類似した記憶をニューロチップから検索しても、以前のボクが体感した記憶の中には、彼の言うことに心当たりは全くない。少なくとも以前の彼は、アマタのファンである以上の感情も、それ以下の悪感情も抱いていないようだ。

「あぁ、そっか。そういや、あの時はまだお前寝てたもんな」

 そう言いながら視線を逸らす中島に、藪蛇を突いた気まずさを感じたボクは、アマタに何かあったのかと尋ねると、嫌そうに口をへの字に曲げて、面白い話じゃねぇぞと保険をかけた。

「ほら、転写クローンの話。アマタが肯定派だったってのは前からわかってたけど、その理由がさ……、アマタが中学時代に付き合っていたのがそうなんじゃないかってリークがあって、アマタもそれを認めちまったもんだから、それで大騒ぎしたんだよ」

 おそらく気遣ってか、それとも単純な知ったかぶりからなのか、精一杯言葉を選んだ中島の説明はあまり要領を得なかったが、話題を要求したボクに不満はない。

 何故なら転写クローンと呼ばれるものの正体は、ボク一人のことだから。

 最初は遷延性意識障害の特効治療法として発表されたそれは、脳の中枢にニューロチップを打ち込んで患者の意識回復を促すものというのが表向きの話。実のところは保護者の同意のもと、他人の記憶と意識を患者に転写して、当人が海馬に残された記憶をサルベージすることでその人と遜色なく振舞うことができるというもの。

 人類史上で最も恥ずべき侵略行為。医療関係者のリークによってこの事実が暴露された時、ゴシップ誌はこの技術をそうやって酷評した。これだけならまだ単純な技術批判で済んだのだが、この施術が可能なのは脳機能の発達しきっていない未成年のみで、未熟な子供の精神変化・成長とクローニングによって生じた細かな差異との見分けがつかず、治療記録も患者のプライバシーから公表されなかった点が問題をより倫理的に面倒にさせた。

 全国の植物状態の回復者が意識を乗っ取られたクローンとして人格を否定され、いわれのない親が人でなしと責め立てられる。正義感が転じて世間は一時期大混乱となった。当然ボクも例外ではなく、中島はそんなボクと偏見なく接してくれる数少ない友人の一人だ。

「アマタも不憫だよな、ファンだったやつに逆恨みで叩かれて。アマタの魂って、天才の科学者なんだろ? 俺らと歳も変わんねぇのに、アメリカで大人と一緒に脳科学の研究してるっていうさ。それで歌もうまくて性格もいいなんて超人に、彼氏の一人二人いてもおかしかねぇってのにさ」

 返す言葉を忘れていたボクに、中島は饒舌に語り掛けてくる。嫌な思い出を掘り起こさせたのかと気遣われていることに気付いて、気にしないでと手を振って誤魔化す。再びライブ映像に目を向けると、画面上でカメラ越しのアマタの大きな瞳と目が合った。

 3Dの体で自身を演じるバーチャルアーティストの役者のことを『魂』と呼ぶ風習に、なんとなく共感を覚えて思わず鼻を鳴らす。

 きっと彼女は、ボクの真似事をしている。別の依り代に魂を明け渡しても、この瞬間の精神は残り続け繋がっているんだと、真っ直ぐな瞳が言い放っている。

 そう言われる『二番目のボク』が、中学生のアマタと付き合っていたボクが、ボクは羨ましい。

 毎秒生まれ変わるボクらの人格に、基準値なんてないし、演じる必要だってないんだ。

 あの超天才相手に偉そうに語っていたのは十五歳の時、つまりは三×五歳の時だった。

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