第2話
「チャンスは残り三回です」
どこか楽しげな声は告げた。柔らかな声音と、子供相手でも丁寧な物腰と敬語が、強く印象に残っているようだ。それはそれとして、この時のボクは残されたチャンスに声変わり前のソプラノで不満をぶつけることのほうが大事だった。
ボクたちがこの縁日にこっそり会っていることを親たちは――今頃町内会の手伝いの中で気まずさを漂わせているだろう、離婚したボクらの母も父も――知らないはず。知られる前に、ボクはまたすぐ会えなくなる女の子のために、何かプレゼントをしたかった。
「え~、ぜったいむりだって!」
「そんなことありませんよ。がんばれ、お兄ちゃん」
「でも……」
「じゃあ、こうしましょう? あと三回で、あれに一発でも当たったらゲット。どう?」
射的屋台の端でにっこりと笑顔を向けたお姉さんは、ボクが狙っている六角形のオブジェを指さす。中にはレジンで浮かされた一輪の赤い花が収まった上品な意匠のフラワーボトルで、六歳のアマタには早すぎる代物だ。
しかしちらっと脇を見れば、唇を固く結びんだアマタの不安と期待に煌めく眼差しと見合ってしまい、ならばボクはこっちの気も知らないでと心中で悪態をつきながらコルク銃の狙いを定めることしかできなかった。
一発目。大きく左に逸れる。
二発目。軌道修正したつもりが上を通り過ぎる。
三発目。最後の一発。胸に緊張を溜め込みながら、銃口の震えを何とか抑えて、引き金を絞る。
「やったっ」
控えめな歓声が上がる。発射されたコルクが六角形の角を掠め、わずかに揺れたのを見て、ボクは止めた息を吐き出す。すかさず店員のお姉さんはひな壇に飾られたフラワーボトルを取り上げてこちらへ持って来くると、白く華奢な指を開いてボクの頭を撫でてきた。
「かんばりましたね、お兄ちゃん。はい」
不意を打たれた六歳のボクは、緊張から解放された安堵なのか、子ども扱いされていることに対する怒りなのか、それともこの優しくて素敵なお姉さんの純粋な褒め方に恥ずかしくなったのか。そのどれもこれもを混ぜ込んで、最後に気恥ずかしさが勝つと、早々とフラワーボトルを奪うような形で取って、アマタに向き直った。
アマタは潤った大きな瞳を半目にして、むすっとした表情をボクに向けていた。なんだよ、とぶっきらぼうに聞いても、何も答えないアマタに困惑しながら。
「ほら、やるよ」
とフラワーボトルを差し出しても、アマタは視線を落としたまま頭を振るだけだった。
「いらない」
「ほしかったんじゃないのかよ。エンリョすんなって」
「いらないって!」
突然の甲高い怒鳴り声で怯んだ隙に、アマタは踵を翻して賑わう雑踏の中へ姿を消してしまう。
まずい。多少の理不尽を通り越して、先に感じたのは不安だった。町内会が総出で盛り上げている縁日の人ごみの中でアマタを見つけられる保証もないし、神社周りの裏山にアマタが入ったら、それこそ子供のボクじゃ探し出せない。
しかし大人たちの足腰をすり抜けて、鳥居の入口までたどり着くと、今までの不安が肩の力と一緒に抜け落ちた。階段の端の木陰に身を寄せるように、アマタは座り込んでいた。
その消えそうな背中に声を掛けると、アマタはびっくりした反動のままボクから距離を取ろうと道路へ飛び出す。
鳥居入り口の道路は危険だから気をつけろ。という父の警告が頭をよぎるのと、視界の端をライトが白く染めるのが同時。ボクはアマタの腕を取り、ハンマー投げの要領でアマタを鳥居へと放り投げようとした。だが六歳の子供の体に男女差はない。体重がほぼ同じで非力なボクは、繋ぎ合わせた手が軸となって、アマタと入れ替わるように前に出る。
目の前いっぱいに光が広がると、瞬間、視界が満点の星空へと切り替わる。その中心で、逆さまになったフラワーボトルが世界の全てのように、真っ暗になるまでのボクの視線を釘付けにした。
ボクは大型車に頭からぶつかり、地上高三メートルの高さで体を三回転させ、そのままアスファルトに着地して、即死した。
脳内のニューロチップが無事だったのは、本当に奇跡だったそうだ。
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