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 ナリはそれを見て、エアリエルへと近付き、彼女の瞳から流れるものを優しく親指で拭う。


「なぁ、エアリエル」

「はい、なんでしょう」

「……さっき俺達に襲いかかってきたレムレスは……アンタなのか?」


 おそるおそるエアリエルに問いかけると、彼女は苦しげな表情でこくんと頷く。

 

「アレは……私の後悔です」

「後悔?」

「えぇ。レムレスとは、そういう存在なんです。貴方を守れなかった、貴方の傍にいれなかった、私の後悔。忘れられない、諦め切れない貴方への想い」

 

 彼女は弱々しく話していくのを、ナリは黙って聞いていた。そして、一番重要なことを彼女に問いかける。


「アンタは……全部知ってるのか? 俺のことを」


 ナリの問いかけに、エアリエルは首を傾げる。そんな彼女に、彼は自分が記憶喪失である事を彼女に話した。それを聞いた彼女は驚きで勢いよく立ち上がり、ナリの瞳を見つめる。見つめながら、再び顔をくしゃくしゃにさせて「そう、ですか。すべて、覚えていないのですね」と呟いては、ナリの頬に優しく触れる。

 

「……本当に、思い出したいのですか? 辛くても? 哀しくても?」


 するりと頬をひと撫で。そのこそばゆい感覚に、ナリは身体をビクリと震わせる。

 哀しい、辛い。その単語に結びついて、ナリは二つの夢を思い出す。一つ目は、豊穣の兄妹の見た夢。二つ目は、自身が見ている妹の夢。そのどちらもが、悲しく辛いものであった。それが夢ではないのだと。真実なのであると、彼女は知っている。彼女は自分が欲しいものを持っている。

 そう確信した時には、遅かった。


「――っ」


 ナリの足元に黒い靄がまとわりついて動けない。

 

「思い出さなくていいんです。だからこの世界がある」

「え?」

「愛してますよ、ナリ様。ダカラ〉


 彼女の瞳が血のように赤い瞳へ、髪も光の見えない黒へと変わる。

 

〈イッショニナロウ〉

 

 エアリエル――レムレスの口元が歪む。歪む。視界が、世界が、歪む。歪む。歪んでいく。

 頭痛、吐き気、汗がダラダラと身体が流れていく。それでも、女から目を離せず。彼の思考は再び闇の中へと。


「――っ!!!!」


 ナリは自身の足の甲に、剣を突き刺した。剣が刺された場所から、どくどくと赤黒い血が傷穴から溢れ出していく。しかし、その痛みと引き換えに、彼の意思は鮮明になる。彼の行動に、レムレスは驚きで絡んでいた黒い靄共々その傍から離れた。

 ナリは痺れる痛みに唇を噛み締めながら耐え、レムレスとなった彼女に声をかける。

 

「ごめん」

〈……〉

「一緒には、なれない。俺は、俺達は……きっと、受け入れなくちゃ、いけないんだっ。だから今……ここにいるんだと思う」


 ナリはそう言い切った後、無理矢理だけれど彼らしいまっすぐで眩しい笑顔を見せる。その笑顔を見たレムレスは黒い靄を揺らしながら狼狽え、顔の部分だけ黒い靄がうっすらと消えていく。そして彼女は、震えながらも彼と同じように、けれども悲しげな笑みを見せる。

 

「えぇ。えぇ。貴方はそういう人ですよね」


 エアリエルは、両の手を大きく広げる。


「ナリ様。どうか、私を殺してください」

「――っ! 何言ってんだ!」


 エアリエルの言葉に、ナリは痛みなど忘れるほどの怒号を発する。そんな彼と真逆で、彼女は冷静なままだった。血迷ったわけでもなく、冷静に考えての発言だったのだ。


「では、言葉を変えましょうか。……どうか、私を救ってください」

「救う?」

「えぇ。このままでは、私はレムレスに飲み込まれる。そして今度こそ、ナリ様を……そして、貴方の大切な方達を殺してしまうでしょう」


 彼女の決意は固かった。ナリは唇を噛み締めながら、剣を握る手を強めて――手放す。その行動にエアリエルが拍子抜けしている間に、ナリは彼女へと近づいて――優しく抱きしめた。


「な、ナリ様っ!」

「分かってたろ? 俺がこういう奴だって」


 ナリの言葉に彼女は狼狽えながら、彼に絡もうとする黒い靄を必死に制御しようとする。ナリはその靄を見ながら、彼女に言い放つ。


「エアリエル。それがアンタの後悔だっていうんなら……俺の傍にいろよ」


 ナリの言葉に、エアリエルはまたも思考を停止してしまい。だんだんと彼の言っている事を理解すると、彼女の黒い靄は身体の部分もだんだんと薄くなっていく。


「私は……また、貴方の剣になってもいいのですか?」

「あぁ、そう言ってる」


 ナリの決意に輝く瞳をまっすぐと見つめるエアリエル。彼女の身体から、黒い靄が完全に消え去ると。またも彼女の瞳から大粒の涙を流しながら、彼女は花が咲くように微笑んだ。そんな彼女の笑みに、ナリは頬を赤らめながら涙を拭ってやる。

 少しして、彼女の涙がおさまっていくと。

 

「けれどナリ様。貴方の剣になれたとしても。私はやはり、この後悔をずっと押さえつけられる自信はありません。貴方の剣になる以上に、あの時の貴方を守れなかったという後悔が一番強いのだから」

「……」

「だから、少し眠らせていただきます」

「えっ? 眠る?」

「はい。大丈夫。呼んでくだされば、お力だけは、お渡し出来るようにしますから」


 エアリエルは跪いて、彼の右手の甲に口付けをする。


「風の精霊エアリエル――真名、リリィ。此度も貴方の剣となりましょう。……ナリ様。私の主。私の愛しい人。どうか、記憶のないまま。この明けない夜の世界で、お幸せに」


 風が吹く。強い風が、彼等の周りを踊っている。

 風の強さに目をくらましている、と――ぽとん、と何かが地面へと落ちる。ナリは瞬きを数回し、目の前にいたはずの彼女がいないことに少しばかり慌てながら、地面へと目を向ける。そこには、彼女の瞳と同色の宝石が輝いていた。ナリはそれを拾い上げては強く優しく握り、言葉をかける。

 

「おやすみ。……リリィ」


 ――フラッ

 ナリは緊張の糸が切れたのか、そのまま地面へと頭から倒れる。

 が。それをロキが受け止めた。どうやら、途中から二人に気づかれぬように物陰で見守っていたようだ。気を失っているナリの顔を、憂いた瞳で見つめながら優しく撫でるロキ。そんな彼の肩に、一匹の黒いリスが乗ってくる。


〈一時はどうなることかと思ったが。なんとか丸く収まったな〉

「……ロプト」

〈……昨日も言ったが、質問は無しだ。……さぁ、帰りな。あの子が待ってる〉


 ロキの言葉を予想したロプトはすかさず遮り、ロキの肩から近くの暗闇へと飛び降りて、姿をロキと同じ人型へ変化させる。暗闇には、赤い瞳だけが怪しく光っている。奴は闇から本を取り出しては、ペラペラと捲っている。


〈なぁ、ロキ。……まだ、兄妹を見てなんとも思わないのか?〉


 奴の言葉にロキは意味が分からず固まっていると、〈いや、なんでもない〉とロプトは闇の中へと消えていった。そんな奴の消えた先を見つめながらロキは。

 自分の胸に手を当て、強く握るのであった。


「……苦しい」

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暁光のレムレス 夜門シヨ @kuro-usagi

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