第2話 「職場ではやめてって言ったでしょ」



「んっ...」


支えきれなかった机の上の物がいくつか床に落ちる。遅れて、はらはらと舞いながら落ちてきて床の上を滑るコピー用紙たち。


バックオフィスの散らかりようからして25連勤の疲労はしっかりと見て取れるのに、几帳面な彼女らしく自己メンテナンスは欠かさないらしい。眉毛が繋がってないどころかきめ細かい肌はしっかり保湿されていてうっすらと、でも丁寧に化粧が施されている。


おまけにすごくいい匂いだ。


「......」


「......こ、こら」


うすくマスカラを重ねた長いまつ毛が恥ずかしそうに揺らぐ。俺は軽く抵抗してみせる支配人の髪をそっと撫でた。


「ダメよ。職場ここではやめてって言ったでしょ」


「...はいはい」


そんな俺の手を払いのけて、彼女は再び椅子に座り直した。


しかし、山積みを元に戻し支配人から売り上げ金のメモを受け取って立ち去ろうとすると、今言ったそばからなぜか今度は彼女の方から俺の唇にそっと自分の唇を重ねてきた。


ちゅる、ちゅ、ちゅ、とえっちな水音が狭いバックオフィス内に響き渡る。とても卑猥だ...思考が停止...というか、脳が溶ける...うう。


支配人はするりと慣れた手つきで俺の背中に腕を回してぴたっと身体をくっつけてくる。

Eカップの2つの果実が俺の着ているバイト着の白シャツの布を擦って、気持ちよくて動けない。なんだこの技術。いつの間に覚えてきたんだ、こんな技。


熱い舌がねっとりと絡まって、このまま俺たち永遠に離れないんじゃないか、と幸福と危機感を同時に抱いてきたところでお互いの口と口が離れた。


「....」


実際4〜5秒くらいの出来事なんだろうが、時が止まった余韻の中で俺がポカンとしていると、その間に普段通りのカタブツ支店長に戻っていった彼女は再びメガネをかけてパソコンに向き直った。


「...あれ、職場じゃダメって言ってなかった?」


やばい。ニヤけが止まらない。


「...つまりこういう事よ。君の悪いところって」


支配人はあっけからんと答えた。監視カメラのモニターでも見て事前に気づいていたのか、丁度このタイミングでホールと事務所を繋ぐ扉が開いて、昼番の轟塚さんが入ってきた。


16時42分、退勤時間らしい。


基本昼番の人なのでシフトの代わりはさすがに頼めないな、と思いつつ轟塚さんに軽く挨拶をしてホールに戻ろうとすると支配人に呼び止められた。


彼女は山積みの中から今度は慎重にクリアファイルを1枚抜き取って俺に渡す。


やはり俺と2人っきり以外の時は、なんだそのポーカーフェイスは!と思わずハリセンでツッコミを入れたくなるくらい、平然とした面持ちだ。


社会人って...すごいよなぁ、色々と。


「なんすか?これ」


「アルバイト含めた当館全スタッフの連絡先。休みたいならその日お休みの人捕まえて、出勤日の交替お願いして」


やはり一度決まったシフトの穴は開けるな、と言う事らしい。


「その中で28日の遅番に出勤が入ってなかったのは確か...金剛谷くんと女々崎くん、温湯さん、あとは...比嘉さんだったかな」


ポーカーフェイスの支店長はそう言ってまたパソコンに向き直った。

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上京 曖昧模糊 @Aimee1240

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