第1話 「休むなら代わりを見つけてきて」


 ◎ららシネマ有楽町 バックオフィス


「頼みますよー」


「...もう、しつこいなぁ」


 書類に囲まれたデスクの上で支配人が結えた黒髪をかきあげると、花の形をした髪留めからこぼれた幾束かが細い首筋に垂れる。


「来週どうしても抜けれない講義があるんすよ」


「...いや、だからね。学業を疎かにしないのは確かに立派よ。雪洞ぼんぼりくん」


そう言いながら支配人はデータを入力しているパソコンの画面から目を離さない。うっすらクマの浮く下まぶたが時折、彼女の大きな目の動きに連動して小刻みに震えている。


「なにも学生アルバイトの君に学校をサボってまで出勤しろとは言ってないわよ。ただ、シフトに穴を開けないように協力ほしいの」


「例えば?」


「休むなら代わりを見つけてきて」


当たり前でしょ?とピンクのリップグロスを纏った唇が動く。俺はすぐ彼女のすぐ横の壁にもたれて頭を掻いた。


「...いや、そりゃもちろん俺も努力しましたよ。でも飯倉さんも野々井森さんも、みんな28日は無理っぽくて」


「我がシアターのアルバイトは飯倉さんと野々井森さんだけじゃないでしょうが」


カタカタカタ、と支配人の指に合わせて小気味よく鳴るタイピング音。


飯倉さんも野々井森さんも俺と同じ大学、学部に通う2年生だ。なにせ俺は彼女らの紹介でこの『ららシネマ有楽町』に学生バイトとして雇ってもらっている。


どちらかといえば映画よりもアニメの方が好きなんだけどね。女の子との話題作り的には最新ヒット作には詳しい方がいいんじゃね?という不純な動機①と。


小さい映画館なら上映中はきっと暇でのんびりソシャゲでもしながら過ごせるんだろうなぁ...有楽町で映画?いやいや、誰も観ないでしょ。渋谷とか新宿とか行くんじゃね?という不純な動機②を胸の内に抱えて面接を受けたのが運の尽きだった。


大きいシネコンと違ってこれくらいの規模のミニシアターはバイトも分業制じゃない、人件費削減の為に一日に出勤する社員の数も少ない。でもそこそこ客は来る。特に土日はやたら来る。


在籍スタッフの約8割がアルバイトで構成された当館ではバイトの負担する雑務がとにかく多く、覚える事もクソ多い。


チケットの窓口販売、ポップコーンやドリンクを売るコンセ周りの仕事、扉の前でチケットの確認をする業務以外にも、レジ金の管理、上映時間の直前になると大量の客がどこからともなく押し寄せ、やらパンフレット売れだの、ネットで買ったチケットの発券が出来ないだの、前の席の外国人が縦にも横にもデカすぎて観えないから席を変えてくれだの、やーやーやーやー言われながら週3で平均5〜7時間の勤務時間をやり過ごす。


そんな過酷な労働環境の為アルバイトの去就も目まぐるしいのだ。俺のような大学生は学業を口実にほぼ半年も経たず辞めていく。


今時スマホで出来るバイトだってあるくらいだ。半グレ的な事を含めてもっと楽に稼げるバイトで溢れかえるこの令和の時代で、わざわざ映画館のスタッフやってるのは余程の映画好きか将来の映画監督志望(映像専攻の美大生やいまだ給与形態がブラックな商業映画の制作スタッフと兼業する奴)くらいなものだ。


俺と同じ大学の飯倉さんと野々井森さんは圧倒的に前者の方で、単純に映画が好きなのと、シフトの融通が多少通るところが気に入っているらしい。掛け持ちも派手髪ピアスもokだし、確かにその辺はゆるい。


「だって話しやすい子、みんな辞めちゃったじゃないすか」


「君が片っ端から手をつけるからでしょ」


鋭い刃物のような指摘にうっ、という小さな呻き声が俺の口から思わず溢れる。思わず上擦った声で答えた。


「...なんだ、知ってたんすか」


たーーん!と華麗にエンターキーを叩く音が部屋中に響いて支配人のパソコンを打つ手が止まる。ちょうど入力し終えたらしい。


支配人は大きく伸びをした後ブルーライト防止用メガネを外して机に置き、しなやかな指で目頭をぐりぐりこねる。お疲れなご様子だ。


まだ26歳という若さで本社勤めから支配人に抜擢された、いわゆる切れ者と名高い彼女といえど流石に25連勤は身体に堪えるに違いない。実に不憫だがくたびれてる姿も妙に素敵。色っぽい。


「否定しないのね、雪洞くん」


「いや、まあ、手を出したって言うのは語弊がありますよ。気づけば恋愛っぽい雰囲気になってしまっていたというか...」


「それでワンナイトしたあげく、君の態度が煮え切らないからみんな気まずくなって勝手に辞めていったと。つまり、そう言いたいのね?」


「まぁ、はい」


「......」


支配人は呆れたように盛大にため息を吐いた。いや実際呆れているのが表情から如実に伺える。


ゴミを見るような眼差しでしばらく俺をじぃっと見据え、しばしの沈黙の後彼女は口を開いた。


「...その女癖、治さないといずれ後悔するわよ。これは忠告だからね」


「...はい」


まったく...悪い子ではないんだけどなぁ君は、と。また深いため息を一つして、支配人は椅子に座ったまま机脇に所狭しと山積みになったA4ファイルの一つに手を伸ばす。


どうやらこのまま次の作業に取り掛かるつもりらしい。てっきり明日から来なくていいわよ、とか言われるのも想定範囲内だったのでひとまず俺は安堵した。お咎めなし。どうやら釘を刺されただけっぽい。


やっぱり俺に甘いんだよなぁ、支配人。


さて、そろそろ売り上げ金の中途確認の時間だ。その日の中間売り上げはサーバー上のデータで確認できる様になっており、サーバーにアクセス出来る限られた支配人含め社員がそれをメモ紙に一部写し取り、実際にレジの残金とあっているか確認するのはバイトの、今日で言うなら俺の仕事になっている。


きっとそれを俺に渡してこの話は終わり。

ホールに戻って良しということなのだろう。


支配人の引き抜いたファイルは書類の山積みを維持する上でとても重要な役割を担っていたようで、それが引き抜かれた瞬間支えを失った大量の紙とクリアファイル、バインダーの山が雪崩のように、重力に従って床へ落ちかかる。


「あっ」


俺が慌てて雪崩れをおこしかけた紙の山を支えると、同じく咄嗟に動いていた支配人の顔が僅か5センチの距離にあったので、思わず反射的に彼女の唇にキスをした。


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