オカルトを、考えるのは好きですか?

その辺りをガチで突き詰めてくと、まあ近い内に民俗学とかち合うわけで、私もご多分に漏れず、その辺りを漁る一般人(古文スキル持ち)なのですが。

この作品、ホラー描写は多々ありますが、話の展開からならば「伝奇」と銘打つのが相応しくはありましょう。
問題は私が文章におけるホラー描写に馴れてしまっているところなので、それ前提の戯言とお思いください。

海面の異常上昇。永遠に続く蝉時雨。夢見るままに待ちたれど、地獄の釜の蓋は開いたまま、詳らかに全てを暴く日を亡くした天は恢恢なる網すら失い、境界曖昧な世を魑魅魍魎は跋扈する――そんな理が狂いきった世界を舞台に、いわゆる洒落怖ネタや往年の怪談・都市伝説ネタ、果てはかの冒涜的な悍ましきクトゥルフ神話ネタまで絡めた縦横無尽な怪異に、喪服の男や黄色スーツのヤクザ、そしてうつくしいひとなど、多くの先達の手を借りつつも、少女二人がバイトで(割と仕方なく)対峙する。

片や何故か十億の借金持ち、片や何故かコスプレ衣装の巫女。
その手段は、多少の力技(暴力もあるよ)と定義付け!

というわけで、最初のオカルトを考えるのは好きですか、という問いになるのですが。
古く、それこそ平安期には怪異の多くは「鬼」と呼ばれておりました。
えーと『今昔物語集』で怪異そのものの呼称は鬼と天狗と珍しいとこで産女でしたかね、はい。ええ『今昔物語集』は平安末期成立からの死蔵なので(説話専攻)
さて、ここに二つほど面白い問題提起があります。

一つ、鎌倉期より前に人間による怪異の退治譚例はかなり少ない(懲らしめはしても殺すに至らない、あるいは怪異とはいっても結局は動物である)
二つ、怪異の種類の細分化がされたのは室町以降である(鬼、天狗、狐狸の類、ひかりもの、など限られた種類のみで構成されていた)

どちらも、田中貴子先生という中世説話研究者の方が取り上げてらっしゃったのですがね、実際、源頼光の酒呑童子退治を描いた絵巻の成立は室町、そして御伽草子を介して人口に膾炙したと考えるのが妥当なライン。まあ、その前に『平家物語』の「剣巻」で形成された頼光像もあるだろうけど。
そしてここにアダム・カバット先生(江戸黄表紙研究者)の妖怪論として、江戸期に濫造された妖怪達はカリカチュア的に抽出された擬人化としてのキャラクターであり、怪異そのものではないのであります。

つまるところ、怪異とは本来人知という枠に納まらぬ、人の手には負えぬものであるのが本来の姿であるのです。

で、あるならば、怪異に行き遭ったら、それに見合った枠を組み立てて押し込めてやればよいのです、というのがこのお話で行われる定義付け。
目の前の怪異に任意のシニフィアンを紐づけてやれば、シニフィエとなった怪異はシニフィアンの制御下に入ってしまう。
作中で形而疆界学と呼ばれてるものの骨子は多分こう、きっとこう(自己解釈です)

さて、最初こそバイトで仕方なく怪異と対峙していく二人ですが、段々とそれぞれの運命との対峙ともなっていきます。

・そもそも十億なんて法外な借金は何故?
・何故巫女コスプレ?
・どうして世界は狂ってしまったのか?
・二部から出るメイド服ちゃん可愛い!可愛い!

などなどの疑問も次第に紐解かれていくはずなので楽しみです(最後は私情)

P.S.ファイナルカット前を別所で拝読し、勝手に送りつけてしまったFAを宣伝に使用していただき大変恐縮(でも何しても良いと申したのも私)と同時に絵描き特有の「か、過去の絵〜!(もだもだ)」という気持ちに襲われております、ありがとうございます。

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