第30話 わたくし、怪盗令嬢しています

 闇が消えると同時、あたりのざわめきが帰ってくる。

 暖かな陽射しに包まれた庭は穏やかで、さっきまで断罪が行われていた気配など微塵も残っていなかった。

 

 ガゼボ周辺に客の姿はないが、長くとどまれば怪盗令嬢に気づく者が出るかもしれない。

 かといって、男爵の目の前で変身を解くわけにもいかない。


(男爵はあくまでも商人としての協力者ですもの。わたくしの招待を知る方は、できるだけ少ないほうがよろしいわ)


 男爵の前を失礼しようとローレンシアが動く前に、オージィ男爵が帽子をかぶりなおす。


「さて、私の出番はおわりのようですな」


 おっとりと言ってガゼボに背を向ける。

 のっそりと遠ざかっていく彼に、ローレンシアはつい声をかけた。


「なにもお聞きになりませんのね。ひと一人が目の前で消えましたのに」


 肩越しに振り向いた男爵はきょとりと瞬き、にっこり笑う。


「長く商人をしておりますと、色んなことが起こるものです。自分の取り扱う品はどんなものか、取引をする相手はどんな方か、自身の商売がどのような影響を持つのか。それだけわかっていれば、じゅうぶんですよ」


 言って、男爵は前を向いた。

 ほっほと笑いながら立ち去っていく彼と、兄はどんな話をしたのだろうか。

 

(あのような底の知れない方を味方に引き込むだなんて、お兄さまの手腕は見事ですわね。わたくしには到底、真似できないことだわ)


 つい立ち止まり見送っていると。


「ロール!」


 すぐそばで声がして、ローレンシアの体がふわりと持ち上がった。


「まあ、トレッド!」


 持ち上げた主はトレッド=スウィビス。

 いつの間に着替えたのか、きちりと騎士服を着込んだ彼がローレンシアを抱え上げていた。


「その姿を大勢に見せたくない。仕方ないこととわかってはいるが、体の線も露わなあなたを見て邪な思いを抱く男がいたらと思うと……」


 驚くローレンシアを抱えたまま、トレッドは咳払いをひとつ。

 口を引き結んでガゼボへ向けて歩き出す。


 しっかりと支えられているため落とされる心配はしていなかったけれど、揺れる腕のなかローレンシアはとっさに目の前の首にしがみついた。


「ふふ、心配してくださるんですの?」

「いや、嫉妬だ。不埒者にやすやすと身を許すあなたでないことはわかっている。だが、俺が勝手に不安になるんだ」


(ご機嫌がよろしくないのかしら……いいえ、違うわね。お顔がほんのり赤らんでますもの。これは、照れてらっしゃるのね?)


 むっすりした顔で言うトレッドは、どうやら照れているらしい。

 珍しい表情を間近でじっくり見つめて、気づいたローレンシアはうれしくなった。


(恥じらいながらも本心を伝えてくださる実直さ。好ましいですわ)

 

 ほどなくしてたどり着いたガゼボには、誰もいなかった。

 据え付けの椅子にローレンシアをそっと下ろしながら、トレッドが言う。

 

「ティンと義母上は会場を回ってくると言っていた。俺たちはここで少しゆっくりしてから来ると良い、と」

「そうですの。では、失礼して身支度を整えさせていただきますわ」


 いつまでも身体の線が露わな怪盗の恰好をしているのは落ち着かない。

 トレッドがちょっぴり残念そうな視線を足元に向けてくるのに気づかないふりをして、ローレンシアは髪色を戻しドレス姿になった。


「ふう……トレッドはどうして騎士の恰好をしておりますの? とてもお似合いだから見ていて目が楽しいですけれど」

「万一のためだ。ああいう手合いには、わかりやすい権力の提示が効果的な時もある。まあ、出番はなかったんだが」


 どうやら、トレッドはカィビと対峙するローレンシアを案じて騎士の服を着込んでいたようだ。

 

「ふふ。お気持ちがうれしいですわ。それに、後ろで控えてくださっていることが何よりの心の支えでございました」

「そうか。まあ、万一の事態になかったならそれが1番だからな」


 心からの感謝を込めて伝えれば、トレッドも気が済んだらしい。

 ローレンシアの隣に腰掛けて、肩の力を抜いたようだった。


 特に何をするでもない時間。すこし行けばたくさんの招待客がローレンシアとトレッドを待っている。

 

 けれどこのまま広場に戻るのはなんとなく、もったいない。ローレンシアはそんな気がしていた。


 もう少しだけふたりで座っていたいと、口を開く。


「ねえ、トレッド。ここにはお兄さまもお父さまもいらっしゃらないわ。今のうちに聞いておきたいことはなくって?」

 

 話題はなんだってかまわない。そう思ったローレンシアが問い掛ければ、トレッドは「そうだな……」と思案顔。


「さっきの暗闇はなんだったんだ。あの商人はどこへ消えた?」


 聞いておいて、すぐに「いや」とかぶりをふる。


「答えられないことなら言わなくていい。あなたの家がどういうところか、多少はわかってきたつもりだ。ただ純粋に不思議に思っただけだから」

「ふふふ。わたくしと婚約なさったのですもの、トレッドだって不思議な家の一員ですのよ?」


 問題ない、と伝えたうえでローレンシアは答える。


「とはいえ、わたくしも完全に理解しているわけではありませんの。星の置物は禍をため、その力で招かれた者しか入れない空間を作るのだそうですわ」

「ふむ、そう聞くと便利な道具に思えるが」

「内部に誰かを閉じ込めなければ、空間を閉ざせないのが難点だとか」

「……それはつまり、あの男はまだその星のなかにいる、と?」


 トレッドの目が向けられたのは、ローレンシアの横にある星型の物体。

 怪盗の変装を解く際に無造作に置かれたものだ。


「さあ? それについては誰も存じ上げませんの。閉じ込められた方にお会いできれば、わかるのかもしれませんけれど」


 ブレイド家が所有するようになってから一度も、閉じ込められた者が見つかったことはないのは伝えないでおく。


 閉じ込められた者の末路を考えているのか。

 星を見つめたまま黙り込んでしまったトレッドの横顔を眺めて、ローレンシアはふと思いつき身を乗り出した。


 ちゅ。


 唇で頬に触れる。

 間近に映るトレッドの目が大きく見開かれるのを見てとって、ローレンシアは軽やかにガゼボから躍り出た。


 トレッドが慌てた様子で追いかけてくる。


「ロール! いま、頬にっ」

「ふふふっ。油断大敵ですわ」

 

 しれっと回収した禍付きの品のひとつ、黒い羽を目元にかざしてローレンシアが微笑む。


「わたくし、怪盗令嬢していますのよ」



〈完〉

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訳あって怪盗令嬢しています exa(疋田あたる) @exa34507319

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