第29話 さようなら、ですわ
「お前が? 私を裁く?」
片眉をあげたカィビはさもおかしそうに言って、鼻でわらう。
言葉にこそしないが「この小娘が」と侮る気持ちがありありと現れていた。
(ふん、結構ですわ)
それを見て、ローレンシアは怯むどころかやる気がわく。
「ええ。だってあなたのなさりようは目に余りますもの」
「目に余る! ははっ。お前のような小娘に商売の何がわかる」
侮りが、カィビの口を軽くする。
「儲けが無ければ誰もやらないんだよ。懐に余裕があるからと気まぐれに手を出したとしても、長くは続かない。だからこそ、あの教会は私を受け入れたんだ」
(それについては、まあそうですわね)
自慢げに語り出したカィビを止めなかったのは、ローレンシアが教会の事情をティンに聞いていたからだった。
いわく、教会の地下空間が発見されたのは十数年ほど前のこと。詳細は不明だが、青い光を宿した花が人の苦痛を和らげることはすぐに判明していたらしい。
けれど、当時の司祭はそれを公表しなかった。
なぜならば、光る花のそばに長く居た者は人が変わったように粗暴な振る舞いをするようになったから。
ティンがどこからか見つけてきた当時の司祭の手記には『あれは神の意思に反するもの』と記され、地下空間の存在は秘匿されてきた。
それは、宝玉や名のある装飾品を身代わりにできると判明してからも変わらなかった。
当時の司祭はずいぶんと信心深かったのだろう。
変わったのは、いまの司祭になってから。
とはいえ、彼が神を軽んじているというわけではない。
彼は神への忠誠と、人の苦しみとの間に挟まれ、悩み、そして妥協点を見つけたのだ。
死の間際で苦しむ人々だけに地下空間を開くこととした。
(けれど、司祭は身代わりにした宝玉や装飾品の扱いに困ったのですわ。少しずつ溜まっていく禍付きの品、その妖しい魅力に気づいたのが、カィビというわけですわね)
当時、カィビは商会長ではなかった。
ティンの調べによれば、ただの出入りの荷運びだったらしい。
それがどうしてか地下空間の話を聞きつけ、悪さを思いついたのだろう。
司祭が持て余した禍付きの宝玉を元手にみるみるうちに金を増やし、商会を待つまでになったのだ。
「現に司祭は私に感謝しているだろう? 祈りの後に生じる宝玉の処理に教会では長年苦慮してきたんだ。そこを引き受けた私がいるからこそ、いま多くの者があの場に受け入れられ穏やかな最後を過ごせるのだぞ」
「その点については、たしかにおっしゃる通りかもしれませんわね」
教会が持て余した物に目をつけた点、それを元手に金を増やしていった点については素直に賞賛に値するとローレンシアも思う。
素直な同意にカィビがにやりと笑った。
「ですけど、あなたのなさりようを肯定はできませんわね」
「なんだと?」
一度、同意されたぶんカィビの不機嫌が跳ね上がる。
ローレンシアが構わず続けようとしたとき。
「続きは私に言わせてくれんかね、お嬢さん」
ガゼボのある方面こ暗がりから、ひとりの男がのっそりと姿を見せた。
丸い体を小綺麗なジャケットとズボンにおさめ、短い首にワンポイントの赤い蝶ネクタイ。もこもことした側頭部の毛にかぶせるように、かぶったキャスケットが良く似合う。
肉付きのいい顔をほっこりと笑ませたそのひとは。
「オージィ男爵……!」
「男爵、ようこそおいでくださいました」
この特別な空間へ招待したもうひとり、オージィ男爵が帽子をとってにこりと微笑む。
「いやはや、特別な場にお招きいただきありがとう。機会をもらえて本当によかった。これでもね、商人としての矜持があるからね」
男爵には、怪盗令嬢クロウの正体までは明かしていない。ただ、敵ではない、とだけティンが告げていた。
そのほかにはブレイド家として招待状を送り、カィビの悪事とこれからのことについて相談しただけだ。
だというのに、不審な怪盗を前におっとり微笑むこの余裕。
(さすが、商売ひとつで男爵位を得られるだけのお人ですわ)
笑顔の男爵はすたすたとローレンシアを通り抜け、カィビの前へ。
禿げあがった眉から上の頭部をきらりと光らせて相手を見据えた。
ローレンシアに見せた柔和な表情はあっさり消えて、厳しい視線が年若い商人を刺す。
「ルーン商会長。あなたは商売をなんと心得ますか」
「しょ、商売とは物をやりとりして、いかに儲けるか……」
「それもあるでしょう」
男爵にまで登り詰めた商人に肯定されて、カィビはほっとしたらしい。
わずかに肩の力を抜いた瞬間を狙うように、オージィ男爵が「ですがね」と続ける。
「それはほんの一面に過ぎないのです」
寂しげに笑ったその顔に、カィビもローレンシアもつい黙って言葉を待った。
「ルーン商会長。あなたが物をやりとりするのは、誰ですか」
「そ、れは客です。扱うものによって相手は違いますが、私はそれはもうたくさんの客を相手にしておりまして!」
息急き切って語りだしたカィビの前に、オージィはすっと手のひらを向けた。
思わずカィビの声が止まる。
「数も大切です。けれど、あなたはそのひとりひとりのお客さまのお顔を、お名前を、いくつ思い出せますか?」
「顔……、名前……?」
思わぬことを言われた、とカィビの顔に書いてあるようだった。
戸惑い、口ごもる彼にオージィ男爵は寂しそうに微笑む。
「商会が大きくなれば、自然と商いも大きくなる。そうすれば当然、数多くのお客さまを相手にすることとなる。ですが、その方々はそれぞれの顔を持ったひとりの人なのですよ」
「そんなことは」
言われるまでもない。
そう告げようとしたのだろう。
けれどオージィ男爵は首を横に振り、カィビの言葉を遮った。
「わかっていません。あなたはひとりひとりをただの金づるとして数えてきただけだ。けれど、商売とは、品物を人に売るということです。売る先には必ず誰かがいる。つまり、人と人との繋がりこそが商売にもっとも大切なことなのです」
そこまで言った男爵は、ひどく悲しげな顔でカィビを見つめる。
「それをあなたに教える者がいなかったことが、私は悲しくてなりません」
「なにを……」
なにを悲しまれているのか。戸惑いを隠しきれない姿を認めて、ローレンシアは一歩前へ。
「あなたはご自身の欲を優先させすぎたのですわ。以降は、こちらのオージィ男爵が教会の事業を引き受けてくださいますの」
「そんなわけが! 司祭、司祭が認めるわけがない!」
秘密を共有してきた司祭をカィビは信じているのか。
(いいえ、この方の場合は信用ではなく共謀が足場を支えてくれると思っておいでなのね)
哀れだった。
哀れな男に、無情にも告げる。
「司祭さまは認めてくださいましたわ」
「そんな……」
「人は誰しもいつか死を迎える。その時間を少しでも手助けできるなら、利益は最小限で構わない。そう伝えましたらね、司祭さまはご理解くださいましたよ」
オージィ男爵の言葉が決定打となって、カィビはどさりとその場に崩れ落ちた。
「ルーン商会の仕事は、どれも本来他の商会が担っていたもの。商会が無くなっても穴はすぐに埋まる。少し街が広くなる程度のことでしょう。働いていた者たちもまっとうな者は、みなそれぞれ街の商会が引き受けますよ」
事務的に言ったオージィ男爵は、満足したのだろう。
カィビから一歩、静かに距離を置いた。
「では、教会のことも商会のことも区切りがついたということで」
次はこの道具の出番だ。
星の形を模した結晶。
先ほど、押し込んで夜を呼び出した一角とは別の、他の四つの突起をぐっと押し込む。
「さようなら、ですわ」
「なんっ……!?」
途端に、あたりを覆っていた黒い闇がみるみるうちに凝縮されていく。
集まった中心はカィビの足元。
否、黒い闇はカィビの姿までもごくりと飲み込んで、ぷつりと消えた。
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