第28話 飛んで火に入る、ですわね

 ローレンシアは音もなく立ち上がると、懐から取りだした仮面を身に着けた。

 黒い羽根で武装してひとり、ガゼボを出ていく。


 トレッドの前を通りすぎざま、絡んだ視線にローレンシアの頬がほんのりゆるむ。


(ひとりではないからな)

(ええ、頼りにしております)


 互いに口を動かさないままに、声だけが届いた。

 いや、声に込められたトレッドの思いもまた確かに届いていた。


 通信の耳飾りはローレンシアの耳にある。そして対になるもう一方は、兄のティンではなくトレッドの耳にあった。

 現場に出ても足手まといならば、せめて情報で助ける。その役割を譲ったのは、ティンなりの激励なのだろう。


 兄の気持ちがうれしい。

 それ以上に、道具越しとはいえトレッドと繋がっていられるのがうれしかった。


(そんなことを言ったら、お兄さまがすねてしまわれるかしら)


 これから迎える局面を前に、くすりと笑う余裕があることに感謝をしつつ。

 ローレンシアはガゼボの床を蹴り軽やかに跳んだ。


 あえて足音を高く立てて着地すれば、怪盗令嬢クロウの大舞台のはじまりだ。


「だっ、誰だ!?」


 足音に振り向いたカィビ=ルーンの正面で、ローレンシアはひらめく黒衣の布きれをつまみ優雅に礼をする。


「ようこそおいでくださいました」


 招待したのは間違いない。

 ただし、招いたのは祝宴ではなく断罪の場だ。

 そうとも知らずやってきた商会の長は、ひどくめかしこんでいる。

 ローレンシアの目が確かならば、身に着けている上下は高級店として名の知れた服飾店のもの。派手なクラバットは異国の布を取り寄せたのか、ずいぶんと柄の主張がはげしい。仕立てのいい上下もまた奇抜な柄入りの布地を使用しているため、互いの柄がけんかをしているよう。

 飾りに着けられたブローチは大振りで、シンプルな装いならば引き立っただろう。

 

 身の丈に合わない豪勢な物を寄り集めた形になっており、一言でまとめれば『似合っていない』。


(招待状の日時こそ正規の招待客と違うけれど、文面は同じですのに。残念な方)


 顔を合わせた瞬間、内心でため息をつかれているとも知らずにカィビはローレンシアを指さした。


「お前は、怪盗クロウ!」

「あら、わたくしの名をご存知でしたのね。ですが少々、不足がございますわ。どうぞ、怪盗令嬢クロウとお呼びくださいませ」


 ただの怪盗クロウではない。令嬢としての矜持を持った怪盗なのだ。

 とはいえ、それはローレンシアの胸中の話。

 カィビは関係ない、とばかりに声を荒らげる。


「なにが令嬢だ、しょせんは盗人! お前が人前で盗みを働いたせいで、こっちは大損害なんだぞ」


 ぎろりと睨んでくる成人男性に、ただの令嬢ローレンシアであったならばたじろいだだろう。

 けれど今の彼女は怪盗令嬢クロウだ。

 黒い仮面と背後に控える頼もしい味方たちの存在が、ローレンシアの心を支えてくれる。


(そもそも自分が悪どい商売をしていたことを棚に上げて、人に怒鳴りつけるなどと……その男、婦女子への恫喝で取り押さえよう)


 否、心だけでなく物理的に支えてくれようとしている人が待機していた。

 聞こえないはずの剣に手をかける音まで届いた気がして、ローレンシアは仮面の下で苦笑してしまう。


(問題ありませんわ。それに、いま取り押さえられてしまったら、わたくしの見せ場が無くなってしまいますわよ?)

(む。それは……すまない。静かにしている)


 それきりトレッドは静かになった。

 けれども背後からひしひしと伝わってくる視線で、彼がいつでも飛び出せるよう構えていることがわかる。


 心配性の婚約者のためにも、のんびりしているのはよくないようだ。

 ローレンシアは気持ちを引き締め、目の前の男に向き直る。


「そうですわ。あなたは商人ですものね。大きな取引先がひとつ無くなってしまったなんて、とっても不運なことですわ」


 気の毒そうに言っておいて、こてりと首をかしげた。


「あなたがまっとうな商人ならば、ですけれど?」

「なんだと!?」


 挑発すればあっさりと乗ってくる。

 

「だって、そもそもその取引に使っていた品物がまっとうな流通に乗せられないものなのではなくって?」


 暗に不当な取引をしていることを指摘すれば、カィビの顔色が変わる。苛立ちに赤らんだ色は消え、さっと青ざめた顔でローレンシアをにらみつけた。


「お前……何を知っている。ただの卑しい盗人じゃないな!?」

「ですから、怪盗令嬢ですわ」


 同じことを何度も言わせる男に、ローレンシアは呆れて腰に手を当てる。


「卑しいのは、相手の立場に付け込んで価値に見合わぬ値で物を売るあなたではなくって?」

「なっ」

「それだけではありませんわね。売りつけた物を処分する、だなんて名目でさらに高値をつけて別の方からもお金を受け取るだなんて。本当に、金に目がくらんで卑しいこと」

「なっ! なぜお前がそれを!」


 指摘されたことすべて、思い当たる節があったらしい。

 激高するカィビに軽く笑って胸を張る。


「なぜって、わたくし怪盗令嬢ですもの。世のため人のため、盗むのは物だけとは限りませんわ」

「くっ……」


 歯噛みするも反論をしてこないあたり、情報が洩れる状況に心当たりがあるのだろう。


(このところ、ずいぶんと調子に乗ってらしたようですものね。存在があやふやな貴族家の若夫婦との面会まで受け入れるほどですもの)


 ローレンシアとトレッドが正面から教会の地下に迎えたのは、確かにティンの力も大きかった。

 けれどそれだけでは、面会にこぎつけることはできない。

 欲をかいたカィビが『貴族の金づる』という甘い餌に釣られたからこそ、入り込むことができたのだ。

 

「さあ、どういたしましょうかしら。このところ幅をきかせているルーン商会の会長が、裏ではよろしくない手法で大金を得ているだなんて。どなたにお伝えしたらよろしいかしら」

「……お前のような盗人の言葉、信じる騎士がいるものか」


 じとりと恨みのこもった声で、口にしたのは案外とまともなこと。

 クロウがただの盗人ならば、確かにカィビの言う通りだろう。


(俺は信じるぞ。ロールはじょうだんはいっても意味のない嘘はつかん)

(……トレッド、気持ちはうれしいですけれど、静かになさっていて)


 訂正。

 約一名、無条件にローレンシアのことを信じる騎士もいるようだが、それは例外として。


 商人が裏で悪事を働いていると騒いだところで、年若い娘の戯言など誰も本気にしない。

 良くて、どこでその情報を手に入れたのだ、と問われて答えられずに終わり。

 悪くすれば、ルーン商会を貶めたとして騎士団に囚われ罪に問われるかもしれない。


 ただの盗人、ただの娘であれば、だ。


「ですから先ほどから申しておりますでしょう。わたくしは、怪盗なのですわ」


 令嬢、と強調しながら再度繰り返せば、カィビはようやく気がついたらしい。

 苛立ちに濁った目を見開いて、信じられないとばかりにローレンシアを映す。


「まさか、ただの呼び名ではなく実際の身分を表しているのか……?」


 信じられない、と言いたげなカィビの様子に満足して、ローレンシアはにっこり。

 

「お父さまにお願いすれば、あなたはもう逃げられませんわ。あまりにも急激に勢力を広げた商人と、名のある家柄の者と。世間はどちらの意見を信じるがだなんて、考えなくともわかりますわよねえ?」

「お前ぇっ!」


 飛びかかってきたカィビをひらり。

 軽やかに飛び上がって避け、頭上を飛び越えて着地する。

 

 今度はカィビがガゼボを背にして立つ形になった。

 すると、ガゼボの柱の影から今にも飛び出そうとしている、頼もしい青年の姿が見える。


(トレッド、わたくしならば無傷ですから。どうか落ち着いてくださいまし)

 

 兄と母になだめられるトレッドがちらちらと見える。

 頼むから今は振り向いてくれるな、とローレンシアは念じていた。


 けれどその思いは表には出さず、優雅に微笑んでみせる。


「ですが、わたくしあなたを表立って裁いて差し上げるつもりはございませんの。いま、この場で引導を渡して差し上げますわ」

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