手遅れの浜

藍田レプン

手遅れの浜

 この話を伺ったDさんは、全国を旅している途中だという。

 ガラガラと音を立てて大きな旅行鞄を席の傍らに置くと、彼は日焼けした浅黒い顔をほころばせて話し始めた。

「俺の家は海沿いにありまして。家の裏に小さな浜があったんですよ」

 30代のころに買った中古物件で、窓から見える景色に一目惚れして購入したのだという。

「浜の左右は2メートルほどの崖になっているので、ほぼプライベートビーチです」

 羨ましいですね、と私が頷くと、そうでもないんですと彼は答えた。

「家があるのは北国で、海に入れるのは真夏の一ヶ月くらいしかありませんし、それに小さな湾のようになっているからか、漂着物が多くて」

 流木や空き缶、海外から流れてきたであろう異国の言葉が書かれたプラスチックの袋にフジツボがびっしりついたオレンジのブイ。

「そのままにしておくと溜まる一方なんで、定期的に拾い集めてはゴミに出していたんですけど」

 ある時から、奇妙な『漂着物』がぽつぽつと増え始めたのだ、という。

「最初に拾ったのは、遊園地のナイトパレードの写真でした」

 それは名前を聞けば誰でも知っている遊園地で、彼もその家に引っ越すまではたびたび遊びに行くほど好きだったという。

「だから、そのパレードがいつ行われたものかわかりました。あそこは毎年パレードの内容を変えるから、行かなくなった後も雑誌でチェックはしていて。1年前のパレードでしたね」

 映っていたのは夜のパレードを練り歩く、電飾できらびやかに飾られたフロート(山車)で、撮影者はわからなかった。

「俺も行きたかったなあ、なんて思いながら、その時は他の漂着物と一緒にゴミ袋に入れたんですけど」

 それからも時々、普通の流木やごみに混じって不思議なものが流れ着くようになったという。

「俺の好きなバンドのライブチケットが二枚。日付はやっぱり過去のもので、半券は切られていませんでした。未使用のチケットを海に捨てますかね? それに長い間海を漂流していたにしては、さっき話した写真も、ライブチケットも、どこも破れていないんです」

 それからも謎の漂着物は続いた。賞味期限が切れたカップ麺、缶コーヒー、ポテトチップス、有効期限の切れたマッサージ屋の回数券、搭乗日を過ぎた飛行機の搭乗券……

「どれも見つけた時には新品同然で、全部俺が行きたかったところや好物……好きなものばっかりだったんです。でも、全部有効期限が過ぎていたり、賞味期限が切れていたりして」

 彼はそこを『手遅れの浜』と名づけた。

「拾っても全部使えないものばかりだから。でも、次は何が届くかな、と楽しみな気持ちもありました」

 ただ、謎なのはどうして期限切れとはいえ、自分の好きなものばかり漂着するのか、ということだった。

「誰かがいたずらでやっているというのは考えづらかったんです。俺は30代でその海辺の家に越すまでは関東に住んでいましたし、越してからも近所づきあいはうまくやっていましたけど、誰にも好物を話したりはしていません。遠方に住んでいる家族や友人にしても、こんなに詳しく俺の好みを把握している人間は」

 一人しかいない。

「引っ越す前に別れた、恋人です」

 彼とその女性は相思相愛で、いずれは結婚も考えていたという。

 しかしやむにやまれぬ家庭の事情で、お互いがお互いを愛し合った気持ちのまま、別れることになったという。

「でも、その彼女とは別れて以来連絡を一切取っていませんでしたし、俺がその家に住んでいることも知らなかったと思います。仮に友人を介して俺の住所を知ったとしても、彼女は俺の家まで来ることはできない状況でしたし、万が一来たとして、どうしてこんな迂遠な方法をとるのか、しかもすべて『手遅れ』の品を送るのか、わからないでしょう」

 でもね。

「その日浜に流れ着いたものは……手遅れじゃ、なかったんですよ」


 彼がいつものように浜に漂着物を見に行くと、そこに流れ着いていたのは

「頭蓋骨でした」

 そう言って、彼は笑った。

「……その頭蓋骨が、その、恋人さんの物だったんですか」

 遠慮気味に私が尋ねると、それはわかりませんと彼は言った。

「だって、警察に連絡して鑑定してもらえばこの骨が彼女の物か、そうでないのかはわかりますけど、どちらにしても俺のもとには帰ってこないでしょう? だから」

 今も一緒にいるんですよ。

 そう言って彼は大きな旅行鞄を開けると、中から大切そうに木箱をひとつ取り出して、両手で持った。

「彼女が行きたがっていたところを、今は二人で回っているんです。だからこれはハネムーン旅行なんですよ」

 幸せそうに、彼は言った。

「中を、見ますか?」


 私は、首を振った。

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手遅れの浜 藍田レプン @aida_repun

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