58 すまんな、もうお前だけのものにはしてやれん


「す、すまんっ! 許してくれっ! きみを泣かせるつもりは……っ! まさか、泣くほど嫌だったとは……っ!」


 痛みをこらえるかのようなあわてた声に、はじかれたようにかぶりを振る。


「ち、違うのです……っ! 嫌だなんて、決してありえませんっ! 陛下こそ、こんな行き遅れのかかし令嬢なんてお嫌でしょう……っ!?」


「嫌なわけがないだろう!」


 ジェスロッドの力強い声が間髪入れず否定する。


「きみは思いやりがあって職務に熱心で、一緒にいると心地よくて、だが同時にこうしてふれたくてたまらなくなって……っ」


 そっと、もう一度右手でソティアの頬を包んだジェスロッドが、困ったように笑う。


「こんな気持ちは生まれて初めてで、いったいどうしたらいいのか、自分でもわからないんだ。ただただ、きみに気持ちを伝えたくてここまで来たんだが……。迷惑だっただろうか?」


 こんな時でさえソティアを気遣ってくれるジェスロッドの優しさに、胸がいっぱいになりながらかぶりを振る。


「いいえ……っ! 迷惑だなんて、思うはずがありません……っ! 私も……っ、私も陛下をお慕い申し上げております……っ!」


 感情がほとばしるままに、胸の奥からあふれ出る想いを告げる。


「ソティア……っ!」


 鋭く息を呑んだジェスロッドが、反射的に抱きしめようとし――。ソティアの腕に抱かれたユウェルリースに気づいて、すんでのところでとどまった。


「あちゅっ!」


 元気いっぱいに声を上げるユウェルリースは、何やらものすごくご機嫌だ。


「おちあ~っ!」


 小さな手でぎゅっとソティアのお仕着せを掴み、足をぱたぱたさせている。


 ソティアの頬を包んでいるのとは逆の手で、ジェスロッドがユウェルリースの小さな頭をよしよしと撫でた。


「すまんな、ユウェル。ソティアはお前のお世話係だが、もうお前だけのものにはしてやれん」


「陛下……?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべてユウェルリースに告げたジェスロッドに、首をかしげる。


「ソティア」


 視線を上げ、真っ直ぐソティアを見つめたジェスロッドが真摯な声を紡ぐ。


「どうか、ずっと俺のそばにいてくれないか? ユウェルから無理やり引き離すつもりはない。だが……。俺の伴侶はきみ以外考えられない。きみでなければ嫌なんだ」


 心の芯まで貫くような真っ直ぐな声音。


 考えるより早く、ソティアはこくりと頷いていた。


「はい……っ! 私も……っ! 私も陛下のおそばにいたいです……っ!」


 喜びで胸がいっぱいで、うまく言葉が紡げない。


 この恋が実る日が来るなんて、考えたこともなかった。


 どれほど大きな喜びに包まれているのか伝えたくて、万感の想いを宿して黒瑪瑙の瞳を見上げると、柔らかな笑みにぶつかった。と、


「あーいっ!」


 ソティアの真似なのか、ユウェルリースが元気よく片手を上げる。目を瞬かせたジェスロッドが、呆れたように苦笑した。


「ユウェル、お前……。返事だけは一人前だが、素直に従う気はないだろう?」


「あいっ!」


 どこまでジェスロッドの言うことをわかっているのかいないのか、ユウェルリースは輝くばかりの満面の笑みだ。


 ひとつ吐息したジェスロッドが、くすりと笑みを洩らす。


「だが、元がどうであれ、赤ん坊のお前にはまだ早い」


 大きな手のひらがユウェルリースの目元を覆う。同時に、ジェスロッドが身を乗り出した。


 一瞬、麝香じゃこうの甘い薫りがソティアの鼻先をかすめたかと思うと。


 ちゅ、と唇にあたたかなものがふれる。


「っ!?」


「ちぇちゅ~?」


 ユウェルリースの不思議そうな声も耳に入らない。


「へっ、へへへへへ陛下……っ!?」


 あまりに突然のことに、顔から火が吹き出すのではないかと思う。だが、ジェスロッドは泰然たいぜんとしたものだ。


「真っ赤に頬を染めたきみも魅力的だな。……もっと、染めたくなる」


 甘く微笑んだジェスロッドがふたたび身を乗り出す。


 目を閉じる暇もあらばこそ、ふたたび熱い唇に己のそれをふさがれる。


 ジェスロッドの唇の熱さに、くらくらして気絶してしまいそうだ。


「ちぇちゅーっ! やぁ――っ!」


 目隠しされ続けるのがお気に召さなかったらしく、ユウェルリースがソティアの腕の中で暴れる。


 ユウェルリースを落としては大変だと、ソティアはあわてて抱っこする腕に力を込めた。


「ほら、ユウェル。来い」


 ソティアの腕からユウェルリースを受け取り、片手で抱いたジェスロッドが、次いでもう片方の手をソティアに差し伸べてくれる。


「あ、ありがとうございます……っ」


 礼を言い、手を借りて立ち上がる。だが、立ち上がってもジェスロッドの手はソティアの指先を握ったまま離れない。


「陛下……?」


 戸惑った声を上げると、ジェスロッドが柔らかな笑みを浮かべてソティアを見下ろしていた。


「俺はもう、決してきみの手を放す気はない。この先、ユウェルリースが前のように成長しても、他にどんなことがあろうとも……。俺の人生の伴侶は、きみだけだ」


「はい……っ!」


 思いを伝えるかのように、たくましい手を握り返す。


「おちあ~っ!」


 ジェスロッドが抱くユウェルリースにもにぱっと笑って手を出され、ソティアは小さな手を優しく握った。


 むぅ、とジェスロッドが渋面になる。


「ユウェル、お前……。遠慮する気が欠片もないだろう?」


「あいっ!」


「これは……。一番手強いのはお前かもしれんな……」


 大真面目にそんなことを言うジェスロッドに、思わず笑みがこぼれ出る。


「陛下、何をおっしゃいます。ユウェルリース様は陛下が大好きですもの。私などより、もっとずっと……。それに、こんなにもいい子なのですから陛下の邪魔なんできっとなさらないと思います」


「……ソティアの見立てどおりであることを心から祈ろう」


 重々しく頷いたジェスロッドが、ふと表情がゆるめる。


「だがまあ、まだまだ時間はあるからな。まずはユウェルがもっと成長せんことには、どうにもならんし……」


 きゅ、と握った指先に力を込めたジェスロッドが、ソティアの顔を覗き込む。


「いまは、もっときみのことが知りたい。きみが何が好きで、どんなことをすればもっと喜んでくれるのか……。もっと俺に教えてくれ」


「陛下……っ!」


 深い思いやりに、じんと胸の奥が熱くなる。と、ジェスロッドがかぶりを振った。


「ジェスロッドだ。堅苦しい敬称ではなく、きみには名前で呼んでほしい」


「で、では……。ジェ、ジェスロッド様……っ」


「ああ、何だ?」


 名前を呼ぶだけでもどきどきするのに、蜜よりも甘く微笑まれて、心臓が壊れそうになる。


「あの……っ。私も、陛……いえ、ジェスロッド様のことを、もっともっとお教えいただきたいのです……っ!」


 ソティアにできることなど限られているだろう。それでも、ジェスロッドがどんなことを考え、何を好んでいるのか、どんな未来を目指しているのか、少しでも知りたい。


 ソティアの言葉に、黒瑪瑙の瞳がみはられる。かと思うと、嬉しくてたまらないと言わんばかりの笑みが浮かんだ。


「きみにそう思ってもらえるなんて、嬉しいことこの上ない。そうだな、これからお互いのことをもっとたくさん知っていこう。とりあえずは……」


 くすり、と笑みをこぼしたジェスロッドが、不意にソティアの耳元に口を寄せる。


「今日も、ユウェルが昼寝をしたら、二人で菓子でも食べようか。……こいつには内緒で、こっそりとな」


「まあっ、ジェスロッド様……っ」


「ちぇちゅ~?」


 思わず吹き出すと、ジェスロッドの腕に抱かれたユウェルリースがこてん、と可愛らしく小首をかしげる。


 初夏の陽射しはまばゆく、梢をさやかに揺らすそよ風は穏やかで心地よい。


 何より、ジェスロッドの大きくあたたかな手とつないでいれば、きっとこの先も大丈夫なのだと信じられる。


 大好きなジェスロッドに抱っこされているユウェルリースもご機嫌だ。


 世界すべてが輝いているような幸福感を味わいながら、ソティアは歩調を合わせてくれるジェスロッドとともに聖獣の館へと向かった。


                                  おわり


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行き遅れのかかし令嬢ですが、このたび凛々しい国王陛下に赤ちゃん聖獣のお世話係に大抜擢されました 綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売! @kinoto-ayatsuka

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