くまったくん

秋犬

くまったくん

 この子はうさぎのミミちゃん。とても良い子です。

 この子は熊のくまったくん。とても悪い子です。


 ミミちゃんは朝はひとりで起きて、元気に幼稚園に行きます。

 くまったくんは決まった時間に起きられず、幼稚園に来ても元気がありません。


 ミミちゃんはお弁当を何でも全部食べて、友達と仲良く遊びます。

 くまったくんは嫌いなものを残して、友達にいじわるをします。


 ミミちゃんは規則正しい生活をして、皆から愛されています。

 くまったくんは時間を守れず、誰からも迷惑がられています。


 みなさんは、ミミちゃんみたいな生活を送りましょう。間違っても、くまったくんのようにはならないようにね。


 ――少年の友出版「よいこのおやくそく」より一部抜粋


***


 くまったくんはとても困っている男の子でした。何故なら、くまったという名前だからです。もっと言えば、悪いことをしている見本として生み出されたのがくまったくんでした。だからくまったくんは正しいことを何ひとつ知りません。


 絵本の見えない部分で、くまったくんは膝を抱えていました。くまったくんは他の人に比べて寝たり起きたりというのが苦手でした。くまったくんも頑張っているのですが、どうしても夜は眠くならないし朝は起きられません。それにお父さんとお母さんがいつも喧嘩をしているのでくまったくんは落ち着いて眠れません。喧嘩の音を聞きたくないのでテレビをつけます。テレビでは面白いことをやっているのでついつい見てしまいます。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『よるおそくまでテレビをみるのはやめよう』


 くまったくんは絵本に文句を言いたくなりました。好きでテレビを見ているわけではないのに、くまったくんが悪者みたいに描かれているからです。


 くまったくんのお弁当はいつも夕飯の残り物を詰め直したものでした。夕飯もお父さんの好きなものばかりで、くまったくんの好きなものはあまりありません。それにお父さんは食いしん坊で、くまったくんのご飯も食べようとしてきます。くまったくんはお父さんに取られる前にご飯を食べる癖が付きました。


 そしてお父さんは野菜が嫌いなので、くまったくんのお弁当はいつもあまりおいしくない野菜の炒め物が中心です。お母さんの料理もあまり上手ではないので、くまったくんはお弁当を食べる気がしません。特に少し焦げたにんじんは最悪です。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『すききらいしないでなんでもたべよう』


 くまったくんは悲しくなりました。隣でおいしそうにお弁当を食べているミミちゃんを見ます。ミミちゃんのお弁当にはミミちゃんの好きなものばかり入っています。


「うわあミミちゃん、にんじんたべられるんだね」

「うん、わたしにんじんだいすきなのよ」


 うさぎなんだからにんじんが好きなのは当たり前だろう、とくまったくんは思います。不公平だと思いますが、絵本にはいじわるそうな顔でにんじんを残すくまったくんしか描かれません。


 くまったくんはミミちゃんが大嫌いでした。ミミちゃんのお父さんは「じょうじょうきぎょう」に勤めていてお母さんは「バレエのいんすとらくたー」をしているそうです。だからミミちゃんの髪の毛はいつもきれいにしてあって、綺麗な髪飾りまでついています。くまったくんの服はどこかから貰ってきたお下がりばかりです。


「ねえくまったくんはどこのしょうがっこうにいくの?」


 ミミちゃんはくまったくんに聞きます。


「わたしはね、となりまちのじょしこうにきまったんだ。ねこのみぃたくんはでんしゃでしょうがっこうにいくんだって。くまったくんはどこにきまったの?」


 ミミちゃんの言うことはくまったくんにはよくわかりません。


「おじゅけんだよ、知らないの? くまったくんはいきたいしょうがっこうとかなかったの?」


 くまったくんはミミちゃんの言うことがよくわからないし、何故かバカにされている気がして思わずミミちゃんの髪飾りをむしり取りました。ミミちゃんは泣きました。すぐに先生が飛んできて、くまったくんは叱られました。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『おともだちにらんぼうをするのはやめましょう』


 くまったくんは怒りたくなりました。くまったくんもどうして意地悪をしてしまったのかよくわかりません。しかしミミちゃんは「何もしてないのに髪飾りをとられた」と泣き、くまったくんもどうしてそんなことをしてしまったのかわからないので何も言えません。そして家に帰るとお父さんに殴られました。


「女の子を泣かせたんだと!? そんなの俺の子じゃねえ!!」


 くまったくんは訳がわかりませんでした。


 ただ、そうやって何となく時間だけが過ぎていきました。地元の小学校にあがったくまったくんは授業中に立ち歩いて先生を困らせました。中学生になったくまったくんは勉強が全くわからなくて、授業をサボるようになりました。すっかり勉強に遅れたくまったくんはずっと家でテレビを見ていました。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『学校には毎日行って、勉強をしましょう』


 くまったくんだってちゃんと勉強したいし、友達だって欲しいと思っています。しかし、くまったくんは悪い見本なので困った生き方しか出来ないようになっています。高校に行けなかったくまったくんはアルバイトを始めました。アルバイト先でもくまったくんは困ったことばかりするようになっていました。何故なら、くまったくんは悪い人の見本だからです。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『目上の人には敬意をもって接しましょう』

『お客様には大事に接客をしましょう』

『決められた仕事をきちんとしましょう』


 どれもこれも、くまったくんには難しいことばかりでした。そもそもくまったくんは「敬意」も「大事な扱い」も全くわかりません。それに決められた仕事をきちんとできるくまったくんは存在してはいけないことになっています。くまったくんはアルバイトをすぐにクビになりました。


 途方に暮れたくまったくんが電車の座席に座っていると、目の前にお年寄りが来ました。くまったくんは席を譲ろうとしましたが、くまったくんなので寝たふりをすることしかできませんでした。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『お年寄りには席をゆずろう』


 くまったくんは絵本を破りたくなりましたが、絵本の中のくまったくんにはできないことでした。


「あら、くまったくんじゃない?」


 しょんぼりとしたくまったくんの前にうさぎの女の子が現れました。それは私立の女子小学校へ行ったミミちゃんでした。立派な女子高生になったミミちゃんはとてもかわいらしくなっていました。


「ねえ、今何しているの? 私はね、管弦楽部に入ってヴィオラの練習をしているのよ。これはこの前の誕生日にお父さんに買ってもらったの」


 電車の中でミミちゃんは楽器を見せつけます。ずっと習っていたバレエに影響されてミミちゃんは音楽に興味を持ったようでした。


「楽器の練習って大変なのよ、今からプロになるには努力をしないといけないんですって」


 ミミちゃんは無邪気に笑います。くまったくんは今度こそバカにされていると思って思わずミミちゃんの楽器を蹴飛ばしました。楽器ケースは遠くへ飛んでいき、ベビーカーにぶつかりました。


「何をするの!!」


 ベビーカーの中の赤ん坊が泣いています。周囲の大人が一斉にくまったくんを取り押さえます。ミミちゃんは泣きました。すぐに駅員が飛んできて、くまったくんは駆けつけた警官に連行されました。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『他人を羨んで傷つけるのはやめましょう』


 くまったくんはキレました。キレて暴れました。くまったくんは熊なのでその辺の動物よりも大変強く、誰もくまったくんを取り押さえることができませんでした。警官を殴り殺し、駅員に噛みつきました。そしてその辺にいる弱そうな動物を次々と撲殺し始めました。そうすると絵本にこんなことを描かれてしまいます。


『暴力はいけません。暴力は何も生みません。戦争反対。ラブアンドピース』


「ムカつくんだよ何がよいこのおやくそくだよ!」


『こら絵本で血を流すな、悪い見本なんだから黙って読者に殴られ続けろ畜生が』


「うるせえ! てめえの価値観ばかり押しつけやがって! この絵本をめちゃくちゃにしてやる!」


 キレた勢いでくまったくんは絵本のページを遡ります。大人になったくまったくんは子供の頃に戻ってきました。目の前を幼稚園児のミミちゃんとお母さんが手を繋いで歩いています。


「何が良い子だよ。上流階級の上澄みの差別する側の思考回路じゃねえか!」


 くまったくんは子供のミミちゃんを殴り飛ばしました。やってきたミミちゃんのお母さんも一緒に殴り飛ばします。


「教育資本が豊かでよかったですね! 公立は動物園ってお受験させて自分の娘だけ特別扱いですか!?」


 ぺちゃんこになったミミちゃん母子の頭をくまったくんは踏み潰します。頭蓋骨がぐしゃりと砕ける音がしました。その血だらけの足で自分の家まで行きます。家に入ると、お母さんが知らない男の人と仲良くしていました。


「何が親だよ! てめえが不倫しているのは知ってたんだからな!」


 くまったくんはお母さんも知らない男の人も殴り飛ばします。でもお母さんは熊なのでミミちゃんのように簡単に吹き飛びませんでした。


「誰があんたを育ててやったと思ってるんだい! この疫病神が!」

「好きで生まれてきたわけじゃねえ! この盛りメス熊が!」

「熊が盛って何が悪いのよ!」

「うるせえメスはメスらしくガキ作ったら子育てに専念しとけ!!」


 くまったくんはお母さんと取っ組み合いの喧嘩になりました。そこへお父さんが帰ってきました。


「何だこの騒ぎは。そしてこの男は何だ?」

「知らないよ、あたしは」


 お父さんはとりあえず裸で気を失っている男の人をぶん殴ります。お母さんは全力でお父さんを止めに入ります。熊と熊の激しい争いを見てくまったくんが困っていると、幼稚園児のくまったくんが家に帰ってきました。血だらけのくまったくんを見て、子供のくまったくんは泣きました。お父さんとお母さんの喧嘩の決着は、お父さんがお母さんと間男を手に掛けたことでいろいろ終わりそうでした。


「おにいちゃんはだれ? おとうさんとおかあさんは?」


 遠くからサイレンの音がします。ミミちゃんの件もあるので、警察がここに辿り着くのは時間の問題でした。くまったくんが絵本の先を見ると、そこは真っ白になっていました。予定調和の『よいこのおやくそく』は破綻し、ここから先はくまったくんが物語を紡ぎ直すことになるようでした。


「よし、一緒に行こう。こっちに来るんだ」


 くまったくんは子供のくまったくんの手を引き、真っ白なページに逃げ込みました。悪い子になるよう定められたくまったくんは、初めて自分自身を助け出すことに成功しました。書き換えられた世界で、子供のくまったくんは遠くの街に住んでいる親戚に引き取られました。これからはきっと友達もたくさんできて、勉強もいっぱいできるでしょう。


 血だらけになったくまったくんは書き換えられた世界で少しずつ輪郭がなくなっていくことを感じていました。ここは悪い子のくまったくんは要らない世界です。くまったくんは新しい世界に留まることを諦めました。


 くまったくんは元のくまった世界に戻りました。くまったくんのお父さんは警官に射殺されていました。ミミちゃんとそのお母さんを殺したのは、くまったくんのお父さんということになっていました。ミミちゃん母子は悲劇のヒロインとして連日マスコミが騒ぎ、何故かミミちゃんのお父さんに誹謗中傷が大量に舞い込んできたためにミミちゃんのお父さんは自殺しました。


「凶暴なクマが全部悪い」

「なんてくまった奴らなんだ」

「クマは全部滅ぼすべきだ」


 世論の後押しもあり、くまったくんの世界では熊は例外なく集められて収容所で暮らすようになりました。人間社会から追われた熊は何度か反抗を試みましたが、世間の「良い子」の意見に圧殺されました。そうして熊は全員「くまったくん」になりました。そのうち「くまったくん」はいらないとして熊は全員殺されることになりました。


 次々と射殺される罪のない熊たちの叫びを聞きながら、くまったくんは満足していました。これで「くまったくん」はもうどこにもいません。絵本から自由になったくまったくんは微笑みながら消えていきました。


『熊は悪者。こうして悪い熊は退治されたのでした、めでたしめでたし』


 ――少年の友出版「熊族のさいご」より一部抜粋

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